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2023/03/24

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「話俗隨筆」パート 長柄の人柱 / 「話俗隨筆」パート~了

 

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文脈部分は後に推定訓読を添えた(今回は例外あり)。

 なお、本書の「話俗隨筆」パートはこれで終わっている。]

 

     長 柄 の 人 柱 (大正四年二月『民俗』第三年第一報)

        (『民俗』第二年一報三二頁參照)

 

 雉を射つるを見て瘖女《おしをんな》が初めて聲を出した話は、支那にも有る。「左傳」に、賈大夫惡、娶妻而美、三年不言不笑、御以如臯、射雉獲之、其妻始笑而言〔昔、賈の大夫、惡《みに》くし。妻を娶つて美なり。三年、言(ものい)はず、笑わず。御(ぎよ)して以つて皋(さhじゃ)に如(ゆ)き、雉を射て、之れを獲(う)。其の妻、始めて笑ひて言(ものい)ふ。〕と晉の叔向が言《いつ》た其頃以前よりの傳說だ。

[やぶちゃん注:「選集」では、標題の後の「(『民俗』第二年一報三二頁參照)」の代わりに、『藤田好古「長柄の人柱」参照』とある。藤田好古は不詳。

「射中つる」「選集」では『射』(い)『中(あ)つる』とある。

『「左傳」に、賈大夫惡、……』「中國哲學書電子化計劃」の「春秋經傳集解」の「六」の影印本(ここから次の画像まで)で校合し、修正を加えた。「春秋左氏傳」の魯の第二十五代君主昭公二十八(紀元前五一四年)の秋の記載の中の知られた挿入譚。「賈」は国名で、西周から春秋時代(紀元前十一世紀~紀元前六七八年)の諸侯国。

「羊舌肸」(ようぜつきつ 生没年不詳)は春秋時代の晋(紀元前十一世紀~紀元前三七六年)の公族・政治家。姓は姫、氏は羊舌、諱は肸。]

 又、長柄長者《ながらちやうじや》が、「袴につぎの當りたる者を、牲《いけにへ》にすべし。」と言《いふ》て、自ら牲されたと言ふに似た事は、西洋にも有る。ヂドが、智略もて、カーセージ市を建てた後(『民俗』二年一報二八頁に出《いづ》)、蠻王ヤルバス、其强盛を妬み、カーセージの貴人十人を召し、「ヂド、吾に妻たるべし。しからずんば、兵戈《へいくわ》相見えん。」と言た。十人の者、還つて、事實をジドに語るを憚り、詐《いつはり》て、「『誰なりとも、一人、カーセージより、ヤルバス方へ[やぶちゃん注:底本は「カーセージよオリヤルバス方え」であるが、「選集」で訂した。]來て、文明の作法を敎《をしへ》て欲しい。』と望まれた。」と報ずると、誰も蠻民の中へ[やぶちゃん注:底本は「え」。同前。]往《ゆか》うと[やぶちゃん注:ママ。「といふ」。]望み手が無《なか》つた。ヂド、之を見て、「自國の爲となら、生命すら辭すべきでない。」と一同を叱る。十人の者、「左樣なら、實を述べん。」迚《とて》、「彼《かの》王、ヂドと婚《えんぐみ》せん。然らずば、此國を伐つべし。」と言つた、と語る。ヂド、「今は駟《し》も舌に及ばず、何とも辭せん樣《やう》も無いから、如何にも國の爲に、吾、彼《か》の王の妻となるべし。」と言て、準備の爲とて、三ケ月を過す。其間、市の一端《ひとすみ》に柴を積み、婚嫁[やぶちゃん注:底本は「婚家」。「選集」を採用した。]の期、到りて、畜《かちく》を多く牲し、斯《かく》て、亡夫アセルボスの靈を鎭むと云た。其から、一劍を提《とり》て、柴、堆《つん》んだ上に登り、人民に向ひ、「汝ら、望《のぞみ》通り、吾、今、吾夫の方へ往く也。」と言て、胸を刺して自殺した。カーセージの民、此を「義」として、國、續いた間、ヂドを神として祀つた(スミス「希臘羅馬人傳神誌字彙」一八四五年板、卷一)[やぶちゃん注:最後の丸括弧の出典は底本には、ない。「選集」を参考に正字で補った。]。

[やぶちゃん注:『長柄長者が、「袴につぎの當りたる者を、牲にすべし。」と言て、自ら牲された』『「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 人柱の話 (その2)』を参照されたい。Yoshi氏のサイト「大阪再発見」の「長柄の人柱」にも詳しい解説があるので、見られたい。

「ヂド」『「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「話俗隨筆」パート 少許を乞て廣い地面を手に入れた話』に出た。そちらを参照されたい。

『スミス「希臘羅馬人傳神誌字彙」一八四五年板、卷一』イングランドの辞書編集者ウィリアム・スミス(Sir William Smith 一八一三年~一八九三年)の「ギリシャ・ローマ伝記神話事典」(Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology)。恐らくは、一八四九年版であるが、「Internet archive」のこちらの「DIDO」の条に拠るものと思われる。]

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