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2023/03/06

柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 妖怪名彙(その5) / タンタンコロリン・キシンボウ・フクロサゲ・ヤカンヅル・アブラスマシ・サガリ

 

[やぶちゃん注:永く柳田國男のもので、正規表現で電子化注をしたかった一つであった「妖怪談義」(「妖怪談義」正篇を含め、その後に「かはたれ時」から、この最後の「妖怪名彙」まで全三十篇の妖怪関連論考が続く)を、初出原本(昭和三一(一九五六)年十二月修道社刊)ではないが、「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で「定本 柳田國男集 第四卷」(昭和三八(一九六三)筑摩書房刊)によって、正字正仮名を視認出来ることが判ったので、これで電子化注を開始する。本篇の分割パートはここ。但し、加工データとして「私設万葉文庫」にある「定本柳田國男集 第四卷」の新装版(筑摩書房一九六八年九月発行・一九七〇年一月発行の四刷)で電子化されているものを使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問な箇所は所持する「ちくま文庫版」の「柳田國男全集6」所収のものを参考にする。

 注はオリジナルを心得、最低限、必要と思われるものをストイックに附す。底本はルビが非常に少ないが、若い読者を想定して、底本のルビは( )で、私が読みが特異或いは難読と判断した箇所には歴史的仮名遣で推定で《 》で挿入することとする。踊り字「〱」「〲」は生理的に嫌いなので、正字化した。太字は底本通り

 なお、本篇は底本巻末の「内容細目」によれば、昭和一三(一九三八)年六月から十月までと、翌十四年三月発行の『民間伝承』初出である。]

 

タンタンコロリン 仙臺で、古い柿の木の化けた大入道だといふ。柿の實を取らずに置くとこれになつたともいふから、コロリンのもとは轉がつて來るといつて居たのであらう。

[やぶちゃん注:ウィキの「タンタンコロリン」が存在する。そこには、『老いた柿の木が化けた妖怪で、柿の実を採らずに放置しておくと現れるという』。『姿は僧侶のような姿で、柿の精霊の化身という説もある』。『ある言い伝えでは、沢山の実がなった柿の木のある家から夕暮れ時にタンタンコロリンが現れ、服の袂の中に柿の実を大量に入れて町の中を歩きつつ、柿の種を撒き散らすために実をポトポトと落として行き、町を一回りした末に、もとの家の前で姿を消したという』とあり、さらに、『タンタンコロリンと同様、宮城には柿が人間に化けるという話がよくある』として、『ある民話では』、『ある寺の小僧のもとに男がやって来て、自分の糞をすり鉢ですって食べろと言った。小僧は嫌がったが、男が怒るので仕方なく食べると、とても美味しい柿の味がした。不思議に思った小僧が、寺の和尚にわけを話し、ともに男を捜し出して跡をつけた。男は山奥へ入って行って姿を消し、そこには大きな柿の木があって、実がたくさん落ちていた。和尚は、きっとこの柿の実が化けたのだろうと、柿の実を拾い集めて持って帰ったところ、男は現れなくなったという』とあって、また、『宮城県栗原郡(現・栗原市)には「柿の精」と題し、以下のような民話がある。ある屋敷に仕える女が、庭に実る柿を見てなんとか食べたいと思っていたところ、夜中に真っ赤な顔の大男が現れ、尻をほじって嘗めろと言う。言われるままにその男の尻をほじって嘗めたところ、甘い柿の味がした。翌朝に柿の木を見ると、その実には抉り取った跡があったという』とある。これは、『佐々木喜善の著書』「聴耳草紙」『にも、「柿男」と題して同様の話がある』と記す。私は佐々木の「聴耳草紙」が好きで、かなり以前から、いつか正規表現で電子化したいと思っている。今回、国立国会図書館デジタルコレクションで昭六(一九三一)年刊の原本を視認出来たので、以下に電子化しておく。

   *

 

   一六八番 柿 男

 

 昔々或所に奥さんと下女があった。そこの家の井戶端に柿の木があって、柿が甘さうに實つてゐた[やぶちゃん注:所持する「ちくま文庫」版では「甘さうに」には『うまそうに』となっている。]。下女はその柿が食ひたくて食いたくて堪らなかつた。何とかして一ッ喰ひ度いものだと考へてゐたら、或晩、表の戶を叩いて、此所あけろ此所あけろと云ふ者があつた。下女は、ハテ夜中に誰だべと思つて、今誰も居ませんから開けられないと斷つたが、いいから開けろいいから開けろと云ふので下女はこ怖々そうツと戶を開けたら、背のとても高い眞赤な色をした男が立つてゐた。下女はもう靑くなってブルブル慄へてゐると、その眞赤な男が室の中さ入つて來て、串持つて來いと云つた。下女が串を持つて行くと、赤い男は、俺の尻くぢれ、俺の尻くぢれと云ふ。下女が慄へながら男の尻をえぐると、今度は、なめろなめろと云つて歸つた。下女がその串をなめたらとても甘い柿の味がした。

  (昭和五年四月八日夜蒐集されたものとして、三原良吉氏の御報告の分。)

   *]

キシンボウ 肥後では椿の木を擂木に用ゐると、後に木心坊になるといふさうである(民族と歷史六卷五號)。古椿が化けて火の玉になつたといふ話は、記錄にも二三見えて居る。以前京都でもいつたことである。恐らくこの木は擂木にしなかつたのであらう。

[やぶちゃん注:これ、「宮城県史」第二十一巻「民俗三」の「妖怪変化・幽霊」(茂木徳郎著)のこちらに「バケツバキ(化け椿)」として、石川・岐阜の例を記すのが、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで視認出来る。しかし、「宮城県史」なのに、このパート全体が宮城県と無関係に全国的な記載になっており、何だか、ちょっと? どうなの? という気はする。]

ツルベオトシ 釣瓶落し又は釣瓶卸《おろ》しといふ怪物が道に出るといふ話は、近畿、四國、九州にも分布して居る。井戶の桔槹(きつかう)といふものが始めて用ゐられた當座、その突如たる運動に印象づけられた人々の、いひ始めた名と思はれる。この妖怪も大木の梢などから出しぬけに下つて來るといふので怖れられたのである。或は大きな杉に鬼が住んで居て、下を人が通ると金の釣瓶ですくひ上げたといふ話もある(愛知縣傳說集)。人をさらふためだけなら金にも及ばなかつたらう。何かこれには隱れた意味が有りさうである。

[やぶちゃん注:日文研の「怪異・妖怪伝承データベース」のこちらには、三重県多気郡多気町(たきちょう)採取で、『大きな木の下には「つるべおとし」がいて、木の下で何か落ちているものを拾おうとすると、上に引っ張られる』とあり、また、同データベースには、別立てで、福井県敦賀市採取として、『夫達が毎晩囲碁に興じて帰りが遅かったので、妻の一人がタモノキの枝から釣瓶を落として脅すと』、『夫はその音に驚き、以後』、『碁会は夜にせず昼にするようになった』という話を載せる。「タモノキ」とは日本原産で東北地方から中部地方にかけての温暖な山地に自生するシソ目モクセイ科トネリコ属トネリコFraxinus japonica の異名。北陸地方では田の畦に稲架木(はざぎ)として植えられてきた経緯があり、異名を「ハサ」とも呼ぶ(現在は殆んど見られなくなってしまった)。漢字表記は「秦皮」「梣」で、和名の由来は、参照した当該ウィキによれば、『本種の樹皮に付着しているイボタロウムシ』有翅昆虫亜綱半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目カイガラムシ上科カタカイガラムシ科イボタロウカイガラムシ属イボタロウカイガラムシ Ericerus pela(一属一種)]『が分泌する蝋物質(イボタロウ:いぼた蝋)にあり、動きの悪くなった敷居の溝にこの白蝋を塗って滑りを良くすることから』「戸に塗る木(ト-ニヌルキ)」と『されたのが、やがて転訛して「トネリコ」と発音されるようになったものと考えられている』とある。

「桔槹(きつかう)」の読みは慣用読みで、正しくは「けつかう(けっこう)」。跳ね釣瓶のこと。語としては平安後期には既に存在したが、跳ね釣瓶の機構自体は「日本書紀」の頃にはあった。

「或は大きな杉に鬼が住んで居て、金の釣瓶ですくひ上げたといふ話もある(愛知縣傳說集)」国立国会図書館デジタルコレクションの愛知県教育会編「愛知縣傳說集」(昭和一二(一九三七)年郷土研究社刊)の当該部を見ると(太字は底本では傍点「﹅」。「か」には打たれていない)、

   *

       64 杉に住む鬼 (北設樂郡)

 一宮(いちのみや)村江島(えじま)にある杉林に大きな杉があつた。この樹には鬼が住んでゐて下を通る人をかなつるべでさらつたといふ。

   *

となっている。「江島」は現在の愛知県豊川市江島町。柳田先生、「かなつるべ」であって「金」(きん:ゴールド)の釣瓶じゃあありませんぜ? 「鐵釣瓶」なら、怪力の鬼が使って壊れず、何の不審もないと思いますがねぇ。]

フクロサゲ 信州大町の附近には、昔狸が出て白い袋を下げたので、袋下げといつて居る處がある。田屋の下の飯つぎ轉ばしといふのも同じ怪であつたといふ(北安曇郡鄕土誌稿卷七)。

[やぶちゃん注:「信州大町」長野県大町市

「袋下げ」地名としては現認出来ない。

「北安曇郡鄕土誌稿卷七」新しい一九七九年版で国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで前の部分の当該部が視認出来る。「九 動物・變怪民譚 附獵の話」の「2 狸と狢の話」の冒頭で、

   *

昔狸が大町附近には澤山ゐて、「たやのたのめしつぎころばし」といつて化けたり、木を切り倒す音をさせて人を驚ろかしたりした。又狸ねいいりといつて寢てゐる眞似をして人をだました。或時に繁った高い木の上へ上つてゐて其の林の中を通ると、木の上から白い袋を下げたりなどした。それ故人が袋下げといつた。(佐藤きよの)

   *

とある。しかし後者の「田屋の下の飯つぎ轉ばし」云々は見当たらない。不審。]

ヤカンヅル 夜遲く森の中を通ると樹の上から藥罐が下るといつて居る(長野附近俗信集)。

[やぶちゃん注:ウィキの「薬缶吊る」によれば、『薬缶吊る(やかんづる)は、長野県長野地方に伝わる妖怪』で、「ヤカンズル」・「薬鑵ズル」とも『表記する』、『やかんの姿をした妖怪。夜遅い時間に森の中を歩いていると、木の上からぶら下がって来るといわれる』。『同様に森の中や山中で』、『木から器物がぶら下がる系統の妖怪は日本各地に伝承があり、青森県の』「エンツコ下がり」、『主に西日本に伝わる』「釣瓶落とし」、『岡山県の』「さがり」、『高知県の』「茶袋」『などがある』。『出現する場所が決まっているのでこれを避けて歩くこともできるが、これを目にすると病気になってしまうとの説もある』。『なお、木の上から下がってくるので目撃した人は驚くが、特に危害は加えないという説もある』。『小説家・山田野理夫による児童向け書籍には、「喉が渇いた」「水が欲しい」という類の言葉を口にすると薬缶吊るが下りてきて、口を付けて中の水を飲むと、甘い味がしたという民話がある』。四世紀に東晋の干宝が著した志怪小説集「捜神記」には、『貧苦に喘ぐ上に家人の死が続いて不幸な家が、占い師の助言に従い、町で鞭を買って桑の木に掛けておいたところ』、三『年後に井戸がえをした際に大量の銭、銅器、鉄器などが出てきたという話があり』「薬缶吊る」は、『この話に関連しているとの説もある』とある。]

アブラスマシ 肥後天草島の草隅越《くさずみごえ》といふ山路では、かういふ名の怪物が出る。或時孫を連れた一人の婆樣が、こゝを通つてこの話を思ひ出し、こゝには昔油甁下げたのが出たさうだといふと、「今も出るぞ」といつて油すましが出て來たといふ話もある(天草島民俗誌)。スマシといふ語の意味は不明である。

[やぶちゃん注:「肥後天草島の草隅越」「熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト」の「草隅越の油すまし」に、『妖怪「油すまし」のルーツは天草だった』として以下の記載と、墓と伝えるものの写真及び当該地の地図が載る。必見!

   《引用開始》

天草に濱田隆一という民俗学の草分け期に活躍した民俗学者がいました。この人が1932年、天草の様々な伝承文化を記した「天草島民俗誌」という本を出版しました。この中に次のような話が出ています。

栖本町河内(すもとまちかわち)と本渡市下浦との境に草隅越(くさずみごえ)というところがあります。ある時、一人のおばあさんが孫の手を引きながらここを通り、昔、油すましが出たという話を思い出し「ここにゃむかし、油びんがさげたとん出よらいたちゅぞ。」と言うと、「今もー出るーぞー」といって油すましが出てきたそうです。」

この話に興味を持ったのが日本の民俗学の創始者で指導者であった柳田國男です。柳田はこの話を「民間伝承」という雑誌に38年から連載した「妖怪名彙」で紹介しました。これを読んだ漫画家の水木しげるが人気漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の中で名脇役として登場させたことから、油すましは全国的に知られるようになりました。

さて、この油すましの墓と言われるものが栖本町河内地区に残っています。栖本町中心部から河内方面に県道を進み、旧河内小学校を過ぎて50m程の所で左折。数軒ある民家から山に登る道の入り口にある雑木林(ぞうきばやし)を10m程、はい上がるとお目当ての石像があります。 お地蔵さんのような石像ですが、首から上はありません。 石像の近くにも小さく古びた墓が残っていますが、年代を見ると文政(ぶんせい)・天明(てんめい)などと記してあるところから、江戸中期から末期に造られた物のようです。

当時の天草は飢饉(ききん)などに苦しみ、食糧(しょくりょう)に困った時代です。 以前は天草の各地で「かたし油」と言って、椿やサザンカなどの実から油が絞られていました。特にここ河内地区ではかたし油作りが盛んだったということです。

このような話を聞くと、この油すまし、実は当時貴重品であった油の神様であり、「油をそまつに使ったらいけませんよ。」という先人の教えが原点にあるように思えてきます。

   《引用終了》

ウィキの「油すまし」もリンクさせておくが、そこに、現在の知られたイメージの元は『水木しげるの妖怪画だが、これは伝承とは無関係に描かれた創作であり、本来の天草の伝承像とは大きく異なるものと考えられている』。『雑誌『怪』での京極奨励賞を受賞した評論によれば、文楽に用いられる「蟹首」という名称の人形の頭がこの妖怪画のモチーフと指摘されており、妖怪研究家・京極夏彦も自著においてこの説を支持している』。『書籍によっては、すまし顔であることが「すまし」の名の由来とされているが』、ここに出る通り、柳田國男は『「すまし」の名の由来は不明とされる』とする一方、二〇〇四『年には栖本町河内地区で「油すましどん」と呼ばれる石像の一部が発見された』。『これは栖本町中の門・すべりみちという場所に安置されていたものが町道拡張工事で山中の私有地に移転されたもので、首のない石像が両手を合せた姿をしている』。『土地の伝承者によれば、かつては子供がこのすべりみちで遊んでいると「油すましどんが出る」と言って恐れたという』とあり、さらに『地元では』、「天草島民俗誌」とは『異なり、「油すまし」の名で発音されているが、「油をしぼる」ことを現地では「油をすめる」と表現したらしく、油絞りの職人が祀られて神になったものが、時を経て妖怪に変じたとの説もある』とあった。

「天草島民俗誌」民俗学者濱田隆一著。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本民俗誌大系』第二巻 (九州)(一九七五年角川書店刊)のこちらで当該部が視認出来る。]

サガリ 道の傍の古い榎樹《えのき》から、馬の首がぶら下るといふ話のある場處は多い。備前邑久《おく》郡にも二つまであつて、その一つは地名をサガリといつて居る(岡山文化資料二卷六號)。

[やぶちゃん注:「備前邑久郡」旧郡域は当該ウィキの地図を参照されたい。

「地名をサガリといつて居る」「ひなたGPS」で戦前の地図も調べたが、見当たらない。所持する「民俗地名語彙事典」(松永美吉)の「サカリ、サガリ」の項にも当地は例示されていない。]

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