早川孝太郞「三州橫山話」 鳥の話 「鷹の眼玉」・「鷹を擊つ方法」・「鷹の羽藏」・「クラマの鷹」・「鷄を襲ふ鷹」
[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここから。]
○鷹の眼玉 鷹の眼玉は黃疸の藥と云つて珍重しますが、又、眼病の靈藥とも謂ひます。これを用うるには、藥鑵に水を入れ火に掛けて、其上に眼玉を糸で吊るして置くと、水が煮立つにつれて、湯氣が懸つて、眼玉から垂れた滴で、中の湯が黃色に染まるから、其を飮ませると謂ひます。
[やぶちゃん注:これは、本邦の鳥類ピラミッドの頂点に位置する猛禽であること、希少であること、及び、多分に類感呪術的な要素(黄疸は直ちに眼球の黄色となって示されること・鷹の遠くを見通せる視力こと)からの伝承であろう。成分上からそれらに実際効果があるとは全く思われない。エキスの抽出法も如何にも怪しい呪的な方法ではないか。但し、ウィキの「鷹」によれば、『縄文時代の遺跡からは』、『タカ類の骨が発掘されており、当時は人間の食料であったと考えられている』とある。なお、「鷹」は新顎上目タカ目 Accipitriformesタカ科 Accipitridae に属する鳥の内で、比較的、大きさが小さめの種群を指す一般通称である。同前のウィキによれば、オオタカ(タカ目タカ科ハイタカ属オオタカ Accipiter gentilis:(和名は「蒼鷹」「大鷹」で、由来は前者で、羽の色が青みがかった灰色を呈することからの「あをたか」が訛ったものに由来する)・ハイタカ(ハイタカ属ハイタカ Accipiter nisus:灰鷹・鷂)・クマタカ(クマタカ属クマタカ Nisaetus nipalensi:角鷹・熊鷹・鵰)などが知られる種である。タカ科に分類される種の中でも、比較的、大きいものを「鷲」(わし:Eagle)、小さめのものを「鷹」(Hawk)と呼び分けてはいるが、これは明確な区別ではなく、古くからの慣習に従って呼び分けているに過ぎず、生物学的区分ではない。また、大きさからも明確に分けられているわけでもなく、『例えば』上記の『クマタカはタカ科の中でも大型の種であり大きさからはワシ類といえるし、カンムリワシ』(タカ科カンムリワシ属カンムリワシ Spilornis cheela)『は大きさはノスリ』(タカ科ノスリ属ノスリ Buteo japonicus)『程度であるからタカ類といってもおかしくない』とある。より詳しくは、古い私のリキの入った「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鷹(たか)」を参照されたい。]
○鷹を擊つ方法 鷹を擊てば、其家が一代續かぬと謂ひます。獵師が鷹を擊つ方法だと云つて、こんな話があります。ます不断《ふだん》[やぶちゃん注:ママ。]鷹の休む樹を見つけて、其傍に穴を掘つて、其には脫け穴を造つて置いて、樹の枝には鷹の好む兎や猿の肉を吊るして置いて、穴に隱れて待つてゐる内、鷹が來ると、其肉を一口喰べて見て、二日目には提げて行かうとするものださうですから、其處の呼吸を計つて、ドンと放すが否や、鐵砲を放り出して、後《うしろ》をも見ず脫穴《ぬけあな》へ身を避けると謂ひます。必ず雌雄二羽居るもの故、片々《かたがた》の鷹が擊つと殆ど同時に穴の口へ襲つて來ると謂ひます。
[やぶちゃん注:「必ず雌雄二羽居る」鳥は詳しくなく、これが、どの種を指しているか不詳だが、「必ず」というのは私には、到底、信じられない。]
○鷹の羽藏 鷹の羽藏《はねぐら》を發見すれば、夫婦差向《さしむか》いで、一代左團扇で暮せるなどゝ謂つたさうですが、それは深山の岩石の聳えてゐるやうな所に、岩と岩との間の雨や風のかゝらぬ所に、きれいに羽が積重ねてあると謂ひます。鷹は自分の體から脫けた羽は、みんな其處へ持つて行つて藏《しま》つて置くので、其を見つけた時は、鷹の留守にそつと出掛けて行つて、積んである下から少し宛拔いて來るのださうです。四十年ばかり前鳳來寺山にあるのを發見した者があつたさうですが、遠くからは羽の積んであるのが見えてゐても、險しい場所で近づく事が出來なかつたさうです。
[やぶちゃん注:聞いたことがないし、ネット検索でも掛かってこない。そのような習性はタカ類にはないであろう。]
○クラマの鷹 明治二十年頃のこと、北設樂《きたしたら》郡名倉村の鎭守の森へ、鳥とも獸ともつかぬ、奇怪なものが來て、樹の枝に留まつた盡《まま》[やぶちゃん注:漢字はママ。]、昵《じつ》としてゐて、幾日經つても動かないので、村のものが怪しんで鐵砲で擊殺《うちころ》して見ると、それは大變年を老《と》つた鷹で、羽に鞍馬と云ふ文字が現れていたと云ひました。
[やぶちゃん注:「明治二十年」一八八七年。
「北設樂郡名倉村」横山の真北の十四キロほど先の、現在の愛知県北設楽郡設楽町(「ひなたGPS」の戦前の地図で「名倉村」を確認出来るが、現在は地名として残っていない)。「Geoshapeリポジトリ」の「愛知県北設楽郡名倉村」の旧村域を見るに、完全に現在の設楽町と一致することが判る。設楽町役場はこの中央(グーグル・マップ・データ航空写真)。かなりの山間地である。
「羽に鞍馬と云ふ文字が現れていた」白羽の中の黒羽の交りが「鞍馬」の崩し字に見えたと感じたのであろうことは、想像に難くない。「鞍馬」は天狗の本拠地であり、一般には鳶が眷属だが、鷹もそこに連なっていると考えたとしても、意外ではない。]
○鷄を襲ふ鷹 鷄が鷹に襲はれた時は、必ず雄が殺されて、雌は助かると謂ひますが、それは雄が雌を庇護《かば》つて、鷹と鬪ふからだと謂ひます。山口文吉と云ふ人が、鷹と鬪鷄と盛《さかん》に格鬪してゐるのを實見した時は、三十分も爭つてゐる中《うち》、鬪鷄の勢《いきおひ》が猛烈なため、鷹も諦めて逃げて行つたさうです。最も其は小さなマグソ鷹だつたと謂ひます。
私が子供の頃、家の鷄の雄が鷹に襲はれた事がありまして、家のものが發見した時は、もう背中を喰破《きふやぶ》つて、其處から腸を引出して持つてゆきましたが、鷄は昵《じつ》と地に坐つた儘、未だ生きてゐました。
[やぶちゃん注:「鬪鷄」ニワトリ(鳥綱キジ目キジ科キジ亜科ヤケイ属セキショクヤケイ亜種ニワトリGallus gallus domesticusの♂を使用するが、特に一品種である軍鶏(シャモ)が闘鶏用として知られた(もとは江戸期にタイから輸入された種であるとされる)。
「マグソ鷹」「馬糞鷹」でハヤブサ目ハヤブサ科ハヤブサ属チョウゲンボウ Falco tinnunculusの差別異名である。当該ウィキによれば、和名の『語源は不明だが、吉田金彦は、蜻蛉(トンボ)の方言の一つである「ゲンザンボー」が由来ではないかと提唱している』。『チョウゲンボウが滑空している姿は、下から見ると』、『トンボが飛んでいる姿を』髣髴『とさせることがあると言われ』、『それゆえ、「鳥ゲンザンボー」と呼ばれるようになり、いつしかそれが「チョウゲンボウ」という呼称になったと考えられている』とあり、また、『学名の「Falco tinnunculus」はラテン語でFalcoが「鎌」に由来し、tinnunculusが「チンチンと鳴く」を意味する』とあった。『全長は』♂が約三十三センチメートル、♀が約三十九センチメートルで、『翼を広げると』六十五~八十センチメートル になる。体重は♂で百五十グラム、♀で百九十グラム程度あり、性的二型である。『羽毛は赤褐色で黒斑があ』り、♂の『頭と尾は青灰色』であるのに対し、♀は『褐色で翼の先が尖っている。ハヤブサ科の中では最も尾が長い』とある。]
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