「曾呂利物語」正規表現版 第四 五 常々の惡業を死して現はす事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にし、さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今回は、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正せず(裏写りを消すと、絵が赤茶けてひどく見え難くなってしまうため)適切と思われる位置に挿入した(ここ(左丁)がそれ)。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]
五 常々の惡業を死して現はす事
關東に宇都宮の何某(なにがし)とかや云ふ、ありけり。
彼(か)の北の方、幼なき時、名を、「おちやあ」と云ひける。「おかみさま」、「お上さま」など、人、云へば、
「年寄りたる心地する。」
とて、やゝ年(とし)たくるまで、幼名(をさなな)を呼ばせける。
斯かる心より、萬事、不得心にて、召し使ひける者をも、或は、打叩(うちたゝ)き、少しの事にも折檻して、慈悲の心は、夢程も、なかりけり。
さるから、身まかりけるに、臨終の有樣(ありさま)、怖ろしき事、思ひやるべし。
扠(さて)、邊(あたり)の寺へ送りけるが、未(いま)だ葬禮をば、せで、香(かう)の火を取りに行く程をぞ、待ち居たる。
死骸を棺に入れて、佛前に置き、番の者、數(す)十人、其の他、一門眷族、數多(あまた)、附近の僧など、集まり居けるに、俄(にはか)に、彼(か)の棺、震動する事、夥(おびたゞ)し。
「何事にか。」
と、皆人(みなひと)、奇異の思ひを爲しけるところに、彼の死人(しにん)、棺の内より、怪しからぬ姿にて、立ち出でぬ。
[やぶちゃん注:右上端のキャプションは、幾つかの画像を見たが、「つねづね」(どれも板木が擦れて後半が判読不能だが、恐らくは踊り字「〱」であろうと推察した)「のあくか」(が)「うに」、「しゝてあらわす事」と読める。]
白晝の事なれば、諸人、
「あれや、あれや、」
と云ふ程こそあれ、見る内に、面(おもて)、變りて、眼(まなこ)、日月(じつげつ)の如くにして、髮は、そらざまに生ひ上(のぼ)り、齒がみをして、つい立つたる[やぶちゃん注:「突き立つたる」のイ音便。「すっくと立ちはだかった、その姿は」の意。]有樣(ありさま)、眞(まこと)に面を向くるべきやうもなし。
かかるところに、長老、出で向ひ、引導して弔(とぶら)はるれば、元の如くの死骸と、なる。
惡心の怖ろしさ、佛經の尊(たふと)さ、彼(かれ)これ、もつて、疑ふべきことかは。
[やぶちゃん注:「宇都宮の何某」岩波文庫の高田氏の注に、『宇都宮の何某 中世、下国で勢威を振った豪族宇都宮氏の一族か』とされる。]
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