早川孝太郞「三州橫山話」 山の獸 「獵師に追はれた鹿」・「鹿の鳴音」・「鹿笛」・「タラの芽と鹿の角」・「鹿の玉」
[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここから。]
○獵師に追はれた鹿 鹿が獵犬に追はれて、頭の角をベツタリ背に寢せて、ヒーヒー鳴きながら、逃げ場を失つて、人家の軒などを通つて遁げて行くのを、昔はよく見かけたと云ひますが、子供の頃、長畑と云ふ所の畑の道を、大きな鹿が驅けてゆくのを實見した事がありましたが、畑を隔てた路をば、獵師が筒口を鹿に向けて、走つてゐました。
又ある時、字神田と云ふ所の街道で、子供が道の傍《かたはら》に積んである材木の上に乘つて遊んでゐると、鹿が獵師に追はれて、其道を走つて來て、子供連《れん》の傍を通り拔けて、川の中へ飛込んだと云ひました。すると其處に、川狩の人夫が材木を流してゐて、鳶口で其鹿を打ち殺したなどゝ云ひました。
[やぶちゃん注:「長畑」ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。
「神田」ここ(同前)。]
○鹿の鳴音 猪に比べて、鹿の方は、非常に數も少なく、現今では、最早や鹿の鳴聲も聞かれないさうです。
鹿はカンヨーと鳴くと云つて、鹿の事を別に、カンヨーとも呼んでゐました。子供の頃丘の上に登つて、カンヨー來い、々々と續けて呼んでは、そら鹿が來たなどゝ言つて吾先きに丘の下に逃げ込むやうな遊びをしたものでした。橫山の字追分と云ふ所の向ひの山で日の暮方よく鳴くと云ひますが、キヨーと闇を透して物凄く響くと云ひます。或人の說ではキヨーと鳴く聲が、雄の聲と、雌の聲と一緖になつて、初めてカンヨーと聞えるのだとも云ひました。
[やぶちゃん注:ワンダーフォーゲル部の顧問をしていた頃、丹沢での夜営のテント内でよく聴いた。
「追分」ここ(同前)。]
○鹿笛 獵師が持つ鹿笛を造るについて、こんな話があります。それは蟇《ひきがへる》の皮が最もいゝと云つて、先づ最初に成るべく大きな蟇を見つけて、其皮を剝いで逃がしてやると云ひます。そして一年經つてから、又同じ蟇を見出して二度目の皮を剝ぐと云ひます。かくして皮を剝ぎ剝ぎ、同じ事を六年繰返して、七年目に出來た薄い皮を剝いで、其皮で造つた鹿笛を吹けば、如何に狡猾な鹿でも、其音に誘はれて來ると謂ひます。皮を剝がれる蟇の方でも心得たもので、皮を剝がれ出して、三年目頃からは、皮を剝がれるべく、剝がれた場所へ、自分から出掛けて待つてゐるなどと謂ひます。
[やぶちゃん注:「蟇《ひきがへる》」の読みは、『日本民俗誌大系]版のルビを参考にした。本邦では、両生綱無尾目アマガエル上科ヒキガエル科ヒキガエル属ニホンヒキガエル亜種ニホンヒキガエル Bufo japonicus japonicusと亜種アズマヒキガエル Bufo japonicus ormosus が棲息するが、横山の位置では後者の分布域である。詳しくは、私の「大和本草卷十四 陸蟲 蟾蜍(ひきがへる) (ヒキガエル)」を参照されたい。]
○タラの芽と鹿の角 春、若芽のふく時に、鹿が山にあるタラの芽を喰べると、角が落ちると謂ひます。山などで、時折拾うことのあるのは、さうした時落ちたのだと謂ひます(タラの芽は春、蕨と同じ頃出るもので、一面トゲのある棒のやうな莖から房々とした芽が出て、食用にします)。タラの芽と鹿についてはこんな話もありました。
鹿が親に別れるとき、親鹿に、自分の角が大切と思つたなら、どんなに美味《うま》さうに見えても、タラの芽ばかりは喰べるなと、吳々《くれぐれ》も戒められたのを、春芽のふく頃、タラの芽を見ると、如何にも美味さうなので、恐々《こはごは》一口食べて見ると、其味のよさが忘れかねて、次から次と喰べて、あの見事な角がポツクリと落ちたのに、初めて、親の戒めを破つた事を後悔して、非常に悲しんで、其時は聲をあげて鳴くと云ひます。
[やぶちゃん注:セリ目ウコギ科タラノキ属タラノキAralia elata の若芽。私の大好物で、嘗つてやはり丹沢の本棚・下棚の谷の入り口で採取して湯がいて味噌あえにして食った時の味が忘れられない。なお、ここに言うような鹿の角を落とす作用は、無論、ない。本邦産のシカの内、ここは哺乳綱鯨偶蹄目反芻亜目シカ科シカ属ニホンジカ Cervus nippon。亜種分類ではホンシュウジカ Cervus nippon aplodontus )となるが、角は♂特有のもので、毎年三月頃になると、自然に根元部分から脱落して新しく生え替わるものである。]
○鹿の玉 鹿の玉と云ふものがあつて、大變年を老《と》つた鹿の胎内にあるもので、この玉を中にして鹿の同類が澤山集まつて遊ぶのだと謂《いひ》ますが、人間の家に此玉を持つて居れば、金銀が自然と集まつて來ると謂ひます。又金銀がすつかり集つてしまふと、其玉が、中から段々崩れて來るとも謂ふさうです。八名郡舟著《ふなつけ》村[やぶちゃん注:「著」はママ。]字乘本の、金原某と云ふ家にあるのを實見したことがありましたが、鷄の卵の大きさで、極めて輕いものでした。淡紅色をしてゐて、草などの纖維を永い間搗き固めたとでも言つたもので、表面がつるつると滑かなものでした。獵師から買ひ取つたと聞きましたが、二個あつて、一個は、未だ完全に玉になり了《おほ》せないやうに、半ば崩れたやうでした。
[やぶちゃん注:「鹿の玉」「鮓荅」(さとう)或いは「へいさらばさら」「へいたらばさる」と呼ぶ、広く各種の獣類の胎内に生じた結石、或いは、悪性・良性の腫瘍や、免疫システムが形成した異物等を称するものである。詳しくは、私の「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 鮓荅(へいさらばさら・へいたらばさら) (獣類の体内の結石)」を参照されたい。
「八名郡舟著村字乘本」新城市乗本(グーグル・マップ・データ航空写真)。前にも示したが、繰り返すと、「ひなたGPS」の戦前の地図で見ると、村の名の由来となった山の表記は「舩着山」で村名は「船着村」、本書で先行する箇所でも「船着村」とするので、誤字か誤植の可能性が疑われる。
なお、鹿については、後発の『早川孝太郞「猪・鹿・狸」 鹿』(全十九章)がより詳しい(こちらからどうぞ)。]
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