佐々木喜善「聽耳草紙」 二二番 黃金の壺
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
二二番 黃金の壺
ある頃、小友《おとも》村の或所に一人の爺樣があつた。橫田(ヨコタ)(今の遠野)の町さ出て來る度每に、缺けた摺鉢を買つて、頭にかぶつて歸るのが常であつた。人が爺樣はそれを何にしますと訊くと、あゝこれでがんすか、これは湯殿の屋根を葺くべと思つてと言つた。
斯《か》うした爺樣は或夜、天から雨のやうに黃金(カネ)が降つて來る夢を見た。其翌日坪木《つぼき》を植えべと庭を掘つたら一つの壺を掘《ほり》當てた。何だべと思つて、葢《ふた》を取つて見ると、中には大判小判が一杯入つて光り輝いてゐた。けれども爺樣は、俺は昨夜天から降る寶の夢は見たが、これは土(ツチ)の中にある寶だ。さうすると俺に授かつたものではないのだと言つて、また元のやうに壺に葢をして土中に埋めて置いた。
これを見ていた隣の父(トト)は、彼《か》の爺樣が獨言《ひとりごと》を語りながら何を掘つて居ると思つて、爺樣が立ち去つた後で、窃(ソツ)と垣根をくぐつて行つて、新しく土を返した所を掘つて見た。すると一個の壺に掘當てた。これだ彼の爺樣はこんな壺を匿して居ると思つて、葢を取つて見ると、中には見るも毒々しい靑大將がウニヨウニヨと入つて居た。隣の父は彼の爺々(ジンゴ)キレアとヨマ言(コト)をして、その壺を持つて、爺樣の家の屋根の上に登つた。そして屋根を破つて、其穴から壺の蛇を、それやツこれ見ろと言つて投げ下してやつた。
爺樣が何氣なく夕飯を食べて居ると、天窓からピカピカ光り輝く大判小判がばらばらと降つて來た。爺樣は箸を置いて、あゝこれだこれだ。これこそ昨夜見た夢の通りだ。これは天から、降つて來た寶だから、俺に授かつたものだと言つて喜んだ。そして長者になつた。
(大正十年頃、遠野町佐々木緣子氏より御報告の五。)
(然《しか》し此話と同樣なものは、同郡栗橋村にも、其れが某家の先祖の爺樣の行なつた事だと言ひ傳へて居ると、同村の馬喰《ばくらう》某の話であつた。)
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「﹅」。最後の二つの附記は底本では全体が二字下げポイント落ち。
「小友村」現在の遠野市街外の南西の山間部、岩手県遠野市小友町(おともちょう:グーグル・マップ・データ航空写真)。
「橫田(ヨコタ)(今の遠野)の町」明治二二(一八八九)年四月一日に町村制の施行に伴い、「横田村」が単独で町制施行して西閉伊郡遠野町が発足、明治三十(一八九七)年四月一日、 郡制施行により、西閉伊郡と南閉伊郡の区域を以って、上閉伊郡が発足。上閉伊郡遠野町となっている。本書は昭和六(一九三一)年二月の発行である。なお、青笹村・綾織村・小友村・上郷村・附馬牛村・土淵村・松崎村と合併して遠野市が発足したのは、戦後の昭和二九(一九五四)年十二月一日のことである。
「坪木」自宅の「坪」庭に植える「木」のことであろう。
「彼の爺々(ジンゴ)キレアとヨマ言(コト)をして」この部分が、隣りの男の心内語と思われるが、「キレアと」が判らない(「嫌(きれ)いや!」で「嫌いじゃ!」か?)。「ヨマ言をして」は「よまいごとをしよって!」sで「わけの判らねえこと、しやがってからに!」であろう。前者について、識者の御教授を乞う。
「大正十年」一九二一年。
「同郡栗橋村」岩手県上閉伊郡にあった村。現在の釜石市栗林町・橋野町(南東に接して栗林町がある)に相当する(グーグル・マップ・データ航空写真)。旧村域の大部分は山間部である。
「馬喰」「博勞」に同じ。]
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