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2023/03/13

――七十二年目の花幻忌に――原民喜「心願の國」(昭和二八(一九五三)年角川書店刊「原民喜作品集」第二巻による《特殊》な正規表現版)

 

[やぶちゃん注:原民喜は昭和二六(一九五一)年三月十三日午後十一時三十一分、国鉄中央線吉祥寺駅―西荻窪駅間の鉄路に身を横たえて自死した。満四十五歳であった。本「心願の國」は彼の死後、二ヶ月後の同年五月号『群像』に初出し、書籍では底本とした以下の角川書店版作品集に初めて収録された。

 国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で正字正仮名版の昭和二八(一九五三)年角川書店刊の「原民喜作品集」第二巻の画像が入手出来たので、当該作を見たところ、本書の「心願の國」はその編纂委員によって、他では見られない驚きのエンディングを示していることが判明した。まず、誰にも想像出来ないものであり、しかもそれは確信犯の仕儀である。人によっては、こうした処理やり過ぎだ、と思うかも知れない。私は、しかし、冷徹な全集・作品集の書誌学的厳格は、当の民喜自身が最も嫌ったものだったのではないかと思う。白玉楼中の人となったダダイスト民喜は、この終りを読んで、悪戯っぽい笑みを浮かべたに違いないと感ずる。されば、これは、大いにあっていいものだ、と私は思うのである。これは、是が非でも、電子化したいと感じた。

 当該部はここから。加工データとして、所持する青土社版「底本 原民喜全集Ⅱ」の「心願の国」本文(新字正仮名)他を加工データとした。

 本文終りの方にある「灝氣」は「かうき(こうき)」と読み、「広々として澄み渡った大気」の意。

 ネタバレにならぬように、ここでは、ここまでにしておく。兎も角も、お読みあれかし。――七十二年目の花幻忌の未明――【二〇二三年三月十三日 藪野直史】]

 

 

 心 願 の 國

 

 

 <一九五一年 武藏野市>

 

 夜あけ近く、僕は寢床のなかで小鳥の啼聲をきいてゐる。あれは今、この部屋の屋根の上で、僕にむかつて啼いてゐるのだ。含み聲の優しい銳い抑揚は美しい豫感にふるへてゐるのだ。小鳥たちは時間のなかでも最も微妙な時間を感じとり、それを無邪氣に合圖しあつてゐるのだらうか。僕は寢床のなかで、くすりと笑ふ。今にも僕はあの小鳥たちの言葉がわかりさうなのだ。さうだ、もう少しで、もう少しで僕にはあれがわかるかもしれない。……僕がこんど小鳥に生れかはつて、小鳥たちの國へ訪ねて行つたとしたら、僕は小鳥たちから、どんな風に迎へられるのだらうか。その時も、僕は幼稚園にはじめて連れて行かれた子供のやうに、隅つこで指を嚙んでゐるのだらうか。それとも、世に拗ねた詩人の憂鬱な眼ざしで、あたりをぢつと見まはさうとするのだらうか。だが、駄目なんだ。そんなことをしようたつて、僕はもう小鳥に生れかはつてゐる。ふと僕は湖水のほとりの森の徑で、今は小鳥になつてゐる僕の親しかつた者たちと大勢出あふ。

 「おや、あなたも……」

 「あ、君もゐたのだね」

 寢床のなかで、何かに魅せられたやうに、僕はこの世ならぬものを考へ耽けつてゐる。僕に親しかつたものは、僕から亡び去ることはあるまい。死が僕を攫つて行く瞬間まで、僕は小鳥のやうに素直に生きてゐたいのだが……。

 

 今でも、僕の存在はこなごなに粉碎され、はてしらぬところへ押流されてゐるのだらうか。僕がこの下宿へ移つてからもう一年になるのだが、人間の孤絕感も僕にとつては殆ど底をついてしまつたのではないか。僕にはもうこの世で、とりすがれる一つかみの藁屑もない。だから、僕には僕の上にさりげなく覆ひかぶさる夜空の星星や、僕とはなれて地上に立つてゐる樹木の姿が、だんだん僕の位置と接近して、やがて僕と入替つてしまひさうなのだ。どんなに僕が今、零落した男であらうと、どんなに僕の核心が冷えきつてゐようと、あの星星や樹木たちは、もつと、はてしらぬものを湛へて、毅然としてゐるではないか。……僕は自分の星を見つけてしまつた。ある夜、吉祥寺驛から下宿までの暗い路上で、ふと頭上の星空を振仰いだとたん、無數の星のなかから、たつた一つだけ僕の眼に沁み、僕にむかつて頷いてゐてくれる星があつたのだ。それはどういふ意味なのだらうか。だが、僕には意味を考へる前に大きな感動が僕の眼を熱くしてしまつたのだ。

 孤絕は空氣のなかに溶け込んでしまつてゐるやうだ。眼のなかに塵が入つて睫毛に淚がたまつてゐたお前……。指にたつた、ささくれを針のさきで、ほぐしてくれた母……。些細な、あまりにも些細な出來事が、誰もゐない時期になつて、ぽつかりと僕のなかに浮上つてくる。……僕はある朝、齒の夢をみてゐた。夢のなかで、死んだお前が現れて來た。

 「どこが痛いの」

と、お前は指さきで無造作に僕の齒をくるりと撫でた。その指の感觸で目がさめ、僕の齒の痛みはとれてゐたのだ。

 

 うとうとと睡りかかつた僕の頭が、一瞬電擊を受けてヂーンと爆發する。がくんと全身が痙攣した後、後は何ごともない靜けさなのだ。僕は眼をみひらいて自分の感覺をしらべてみる。どこにも異狀はなささうなのだ。それだのに、さつき、さきほどはどうして、僕の意志を無視して僕を爆發させたのだらうか。あれはどこから來る。あれはどこから來るのだ? だが、僕にはよくわからない。……僕のこの世でなしとげなかつた無數のものが、僕のなかに鬱積して爆發するのだらうか。それとも、あの原爆の朝の一瞬の記憶が、今になつて僕に飛びかかつてくるのだらうか。僕にはよくわからない。僕は廣島の慘劇のなかでは、精神に何の異狀もなかつたとおもふ。だが、あの時の衝擊が、僕や僕と同じ被害者たちを、いつかは發狂ささうと、つねにどこかから覘つてゐるのであらうか。

 ふと僕はねむれない寢床で、地球を想像する。夜の冷たさはぞくぞくと僕の寢床に侵入してくる。僕の身躰、僕の存在、僕の核心、どうして僕はこんなに冷えきつているのか。僕は僕を生存させてゐる地球に呼びかけてみる。すると地球の姿がぼんやりと僕のなかに浮かぶ。哀れな地球、冷えきつた大地よ。だが、それは僕のまだ知らない何億萬年後の地球らしい。僕の眼の前には再び仄暗い一塊りの別の地球が浮んでくる。その圓球の内側の中核には眞赤な火の塊りがとろとろと渦卷いてゐる。あの鎔鑛爐のなかには何が存在するのだらうか。まだ發見されない物質、まだ發想されたことのない神祕、そんなものが混つてゐるのかもしれない。そして、それらが一齊に地表に噴きだすとき、この世は一たいどうなるのだらうか。人人はみな地下の寶庫を夢みてゐるのだらう、破滅か、救濟か、何とも知れない未來にむかつて……。

 だが、人人の一人一人の心の底に靜かな泉が鳴りひびいて、人間の存在の一つ一つが何ものによつても粉碎されない時が、そんな調和がいつかは地上に訪れてくるのを、僕は隨分昔から夢みてゐたやうな氣がする。

 

 ここは僕のよく通る踏切なのだが、僕はよくここで遮斷機が下りて、しばらく待たされるのだ。電車は西荻窪の方から現れたり、吉祥寺驛の方からやつて來る。電車が近づいて來るにしたがつて、ここの軌道は上下にはつきりと搖れ動いてゐるのだ。しかし、電車はガーツと全速力でここを通り越す。僕はあの速度に何か胸のすくやうな氣持がするのだ。全速力でこの人生を橫切つてゆける人を僕は羨んでゐるのかもしれない。だが、僕の眼には、もつと悄然とこの線路に眼をとめてゐる人たちの姿が浮んでくる。人の世の生活に破れて、あがいてももがいても、もうどうにもならない場に突落されてゐる人の影が、いつもこの線路のほとりを彷徨つてゐるやうにおもへるのだ。だが、さういふことを思ひ耽けりながら、この踏切で立ちどまつてゐる僕は、……僕の影もいつとはなしにこの線路のまはりを彷徨つてゐるのではないか。

 

 僕は日沒前の街道をゆつくり步いてゐたことがある。ふと靑空がふしぎに澄み亙つて、一ところ貝殼のやうな靑い光を放つてゐる部分があつた。僕の眼がわざと、そこを撰んでつかみとつたのだらうか。しかし、僕の眼は、その靑い光がすつきりと立ならぶ落葉樹の上にふりそそいでゐるのを知つた。木木はすらりとした姿勢で、今しづかに何ごとかが行はれてゐるらしかつた。僕の眼が一本のすつきりした木の梢にとまつたとき、大きな褐色の枯葉が枝を離れた。枝を離れた朽葉は幹に添つてまつすぐ滑り墜ちて行つた。そして根元の地面の朽葉の上に重なりあつた。それは殆ど何ものにも喩へやうのない微妙な速度だつた。梢から地面までの距離のなかで、あの一枚の枯葉は恐らくこの地上のすべてを見さだめてゐたにちがひない。……いつごろから僕は、地上の眺めの見をさめを考へてゐるのだらう。ある日も僕は一年前僕が住んでゐた神田の方へ出掛けて行く。すると見憶えのある書店街の雜沓が僕の前に展がる。僕はそのなかをくぐり拔けて、何か自分の影を探してゐるのではないか。とあるコンクリートの塀に枯木と枯木の影が淡く溶けあつてゐるのが、僕の眼に映る。あんな淡い、ひつそりとした、おどろきばかりが、僕の眼をおどろかしてゐるのだらうか。

 

 部屋にじつとしてゐると凍てついてしまひさうなので、外に出かけて行つた。昨日降つた雪がまだそのまま殘つてゐて、あたりはすつかり見違へるやうなのだ。雪の上を步いてゐるうちに、僕はだんだん心に彈みがついて、身裡が溫まつてくる。冷んやりとした空氣が快く肺に沁みる。(さうだ、あの廣島の廢墟の上にはじめて雪が降つた日も、僕はこんな風な空氣を胸一杯すつて心がわくわくしてゐたものだ。)僕は雪の讚歌をまだ書いてゐないのに氣づいた。スイスの高原の雪のなかを心呆けて、どこまでもどこまでも行けたら、どんなにいいだらう。凍死の美しい幻想が僕をしめつける。僕は喫茶店に入つて、煙草を吸ひながら、ぼんやりしてゐる。バッハの音樂が隅から流れ、ガラス戸棚のなかにデコレイションケーキが瞬いてゐる。僕がこの世にゐなくなつても、僕のやうな氣質の靑年がやはり、こんな風にこんな時刻に、ぼんやりと、この世の片隅に坐つてゐることだらう。僕は喫茶店を出て、また雪の路を步いて行く。あまり人通りのない路だ。向から跛の靑年がとぼとぼと步いてくる。僕はどうして彼がわざわざこんな雪の日に出步いてゐるのか、それがぢかにわかるやうだ。(しつかりやつて下さい)すれちがひざま僕は心のなかで相手にむかつて呼びかけてゐる。

 

 我我の心を痛め、我我の咽喉を締めつける一切の悲慘を見せつけられてゐるにもかかはらず、我我は、自らを高めようとする抑壓することのできない本能を持つてゐる。(パスカル)

 まだ僕が六つばかりの子供だつた、夏の午後のことだ。家の土藏の石段のところで、僕はひとり遊んでゐた。石段の左手には、濃く繁つた櫻の樹にギラギラと陽の光がもつれてゐた。陽の光は石段のすぐ側にある山吹の葉にも洩れてゐた。が、僕の屈んでゐる石段の上には、爽やかな空氣が流れてゐるのだつた。何か僕はうつとりとした氣分で、花崗石の上の砂をいぢくつてゐた。ふと僕の掌の近くに一匹の蟻が忙しさうに這つて來た。僕は何氣なく、それを指で壓へつけた。と、蟻はもう動かなくなつてゐた。暫くすると、また一匹、蟻がやつて來た。僕はまたそれを指で捻り潰してゐた。蟻はつぎつぎに僕のところへやつて來るし、僕はつぎつぎにそれを潰した。だんだん僕の頭の芯は火照り、無我夢中の時間が過ぎて行つた。僕は自分が何をしてゐるのか、その時はまるで分らなかつた。が、日が暮れて、あたりが薄暗くなつてから、急に僕は不思議な幻覺のなかに突落されてゐた。僕は家のうちにゐた。が、僕は自分がどこにゐるのか、わからなくなつた。ぐるぐると眞赤な炎の河が流れ去つた。すると、僕のまだ見たこともない奇怪な生きものたちが、薄闇のなかで僕の方を眺め、ひそひそと靜かに怨じてゐた。(あの朧氣な地獄繪は、僕がその後、もう一度はつきりと肉眼で見せつけられた廣島の地獄の前觸れだつたのだらうか。)

 僕は一人の薄弱で敏感すぎる比類のない子供を書いてみたかつた。一ふきの風でへし折られてしまふ細い神經のなかには、かへつて、みごとな宇宙が潛んでゐさうにおもへる。

 

 心のなかで、ほんとうに微笑めることが、一つぐらゐはあるのだらうか。やはり、あの少女に對する、ささやかな抒情詩だけが僕を慰めてくれるのかもしれない。U……とはじめて知りあつた一昨年の眞夏、僕はこの世ならぬ心のわななきをおぼえたのだ。それはもう僕にとつて、地上の別離が近づいてゐること、急に晚年が頭上にすべり落ちてくる豫感だつた。いつも僕は全く淸らかな氣持で、その美しい少女を懷しむことができた。いつも僕はその少女と別れぎはに、雨の中の美しい虹を感じた。それから心のなかで指を組み、ひそかに彼女の幸福を祈つたものだ。

 

 また、暖かいものや、冷たいものの交錯がしきりに感じられて、近づいて來る「春」のきざしが僕を茫然とさせてしまふ。この彈みのある、輕い、やさしい、たくみな、天使たちの誘惑には手もなく僕は負けてしまひさうなのだ。花花が一せいに咲き、鳥が歌ひだす、眩しい祭典の豫感は、一すぢの陽の光のなかにも溢れてゐる。すると、なにかそはそはして、じつとしてゐられないものが、心のなかでゆらぎだす。滅んだふるさとの街の花祭が僕の眼に見えてくる。死んだ母や姉たちの晴着姿がふと僕のなかに浮ぶ。それが今ではまるで娘たちか何かのやうに可憐な姿におもへてくるのだ。詩や繪や音樂で讚へられてゐる「春」の姿が僕に囁きかけ、僕をくらくらさす。だが、僕はやはり冷んやりしてゐて、少し悲しいのだ。

 あの頃、お前は寢床で訪れてくる「春」の豫感にうちふるへてゐたのにちがひない。死の近づいて來たお前には、すべてが透視され、天の灝氣はすぐ身近かにあつたのではないか。あの頃、お前が病床で夢みてゐたものは何なのだらうか。

 

 僕は今しきりに夢みる、眞晝の麥畑から飛びたつて、靑く焦げる大空に舞ひのぼる雲雀の姿を……。(あれは死んだお前だらうか。それとも僕のイメージだらうか)雲雀は高く高く一直線に全速力で無限に高く高く進んでゆく。そして今はもう昇つてゆくのでも墜ちてゆくのでもない。ただ生命の燃燒がパツと光を放ち、既に生物の限界を脫して、雲雀は一つの流星となつてゐるのだ。(あれは僕ではない。だが、僕の心願の姿にちがひない。一つの生涯がみごとに燃燒し、すべての刹那が美しく充實してゐたなら……。)

 

佐々木基一への手紙   

 ながい間、いろいろ親切にして頂いたことを嬉しく思ひます。僕はいま誰とも、さりげなく別れてゆきたいのです。妻と別れてから後の僕の作品は、その殆どすべてが、それぞれ遺書だつたやうな気がします。

 岸を離れて行く船の甲板から眺めると、陸地は次第に点のやうになつて行きます。僕の文学も、僕の眼には点となり、やがて消えるでせう。

 去年、遠藤周作がフランスへ旅立つた時の情景を僕は憶ひ出します。マルセイユ號の甲板から彼はこちらを見下ろしてゐました。棧橋の方で僕と鈴木重雄と冗談を云ひながら、出帆前のざわめく甲板を見上げてゐたのです。と、僕にはどうも遠藤がこちら側にゐて、やはり僕たちと同じやうに甲板を見上げてゐるやうな氣がしたものです。

 では御元気で……。

 

U……におくる悲歌   

濠端の柳にはや綠さしぐみ

雨靄につつまれて頰笑む空の下

 

水ははつきりと たたずまひ

私のなかに悲歌をもとめる

 

すべての別離がさりげなく とりかはされ

すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ

祝福がまだ ほのぼのと向うに見えてゐるやうに

 

私は步み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ

透明のなかに 永遠のかなたに

 

 

[やぶちゃん注:言わずもがな、「心願の國」の本文は『ただ生命の燃燒がパツと光を放ち、既に生物の限界を脫して、雲雀は一つの流星となつてゐるのだ。(あれは僕ではない。だが、僕の心願の姿にちがひない。一つの生涯がみごとに燃燒し、すべての刹那が美しく充實してゐたなら……。)』で終わっている。

 ここで、その次に出る「佐々木基一への手紙」は底本全集(青土社版全集も)の編者の一人にして、友人で義弟(貞恵夫人の弟)の文芸評論家佐々木基一(大正三(一九一四)年~平成五(一九九三)年)への遺書の一部である。但し、所持する青土社版全集(新字正仮名)の「遺書」パートのそれは、以下の通りで、異なる。

   *

 

 佐々木基一宛

 

 ながい間、いろいろ親切にして頂いたことを嬉しく思ひます。僕はいま誰とも、さりげなく別れてゆきたいのです。妻と別れてから後の僕の作品は、その殆どすべてが、それぞれ遺書だつたやうな気がします。

 岸を離れて行く船の甲板から眺めると、陸地は次第に点のやうになつて行きます。僕の文学も、僕の眼には点となり、やがて消えるでせう。

 今迄発表した作品は一まとめにして折カバンの中に入れておきました。もしも万一、僕の選集でも出ることがあれば、山本健吉と二人で編纂して下さい。そして著書の印税は、原時彦に相読させて下さい。

 折カバンと黒いトランク(内味とも)をかたみに受取つて下さい。

 甥(三四郎)が中野打越一三 平田方に居ます。

 では御元気で……。

 

   *

編者の一人であるから、何とも言えないが、やはり、以下の前年の遠藤周作のフランス遊学出帆のシークエンスがあってこそ、前文の謂いが、明確に映像化されるから、確かに、遺書にはそれがあったと考えるのが、自然である。或いは、佐々木は、この角川版でやらかした驚天動地の「心願の國」との一般常識から言えば、とんでもない掟破りのカップリング底本の目次には「心願の國」としかないから、やはり確信犯の編者らの共同正犯である。因みに編纂委員は扉の裏のここにある通り、「佐藤春夫・坪田讓治・中島健藏・伊藤整・丸岡明・山本健吉・佐々木基一」である。因みに、その左ページには民喜自筆の、現在、原爆ドームの側に建つ絶唱「碑銘」(私のブログ記事で碑の写真もある。また、その初期形も「原民喜・昭和二五(一九五十)年十二月二十三日附・長光太宛書簡(含・後の「家なき子のクリスマス」及び「碑銘」の詩稿)」で電子化してある)の詩が書かれてある)というこの仕儀を後に後悔し、青土社版では遺書の全公開も、かくつまらなくカットして控えてしまったようにも感じられるのである。

 次に「U……におくる悲歌」であるが、これは、初出は昭和二六(一九五一)年七月細川書店刊の「原民喜詩集」であるが、実はこの詩は「U」こと祖田祐子さん宛遺書と、友人の詩人藤島宇内宛遺書に同封された(青土社全集Ⅲの編者注記に従った)詩篇あった。しかも、祖田祐子さんは晩年の民喜が最後に想いを寄せていた女性でもあったのである。現行、一般にこの「悲歌」と標題する詩篇は彼女に捧げられた惜別の一篇であったと考えるべきものとされている。彼女宛ての遺書本文を青土社版で示す。

   *

 祖田祐子氏宛

 

 祐子さま

 とうとう僕は雲雀になつて消えて行きます 僕は消えてしまひますが あなたはいつまでも お元気で生きて行つて下さい

 この僕の荒凉とした人生の晩年に あなたのやうな美しい優しいひとと知りあひになれたことは奇蹟のやうでした

 あなたとご一緒にすごした時間はほんとに懐しく清らかな素晴らしい時間でした

 あなたにはまだまだ娯しいことが一ぱいやつて来るでせう いつも美しく元気で立派に生きてゐて下さい

 あなたを祝福する心で一杯のまま お別れ致します

 お母さんにもよろしくお伝へ下さい

 

   *

以上の冒頭に出る「雲雀になつて」……これについては、まず、同じく遠藤周作宛て遺書を示す。

   *

 

 遠藤周作氏宛

 

 これが最後の手紙です。去年の春はたのしかつたね。では元気で。

 

   *

この「去年の春」が「雲雀」と直結するのである。遠藤の文章を引くことが出来ないのが甚だもどかしいのだが、彼女と遠藤との春の玉川でのボート遊びの民喜の思い出(『新潮』昭和三九(一九六四)年五月発行に載った遠藤周作「原民喜」に詳細が描かれる。私は盟友民喜を追懐した周作の一篇を民喜論の第一の名品と信じて止まない。教員時代、一度だけ、この全文を生徒に朗読したことがある。恐らく、こんなことをした国語教師は今も昔もそう多くはあるまい、と思う)の中の民喜の肉声『ぼくはね、ヒバリです』『ヒバリになっていつか空に行きます』という呟きに、総てが、ダイレクトに繋がるのである。「遙かな旅 原民喜 附やぶちゃん注 (正規表現版)」も参照されたい。]

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