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2023/03/15

大手拓次譯詩集「異國の香」 古い眞鍮の壺(ヒルダ・コンクリング)

 

[やぶちゃん注:本訳詩集は、大手拓次の没後七年の昭和一六(一九三一)年三月、親友で版画家であった逸見享の編纂により龍星閣から限定版(六百冊)として刊行されたものである。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちらのものを視認して電子化する。本文は原本に忠実に起こす。例えば、本書では一行フレーズの途中に句読点が打たれた場合、その後にほぼ一字分の空けがあるが、再現した。]

 

  古い眞鍮の壺 コンクリング

 

ふるい眞鍮の壺が隅のはうにゐてちかちかひかり、

臺所の鍋(パン)にむかつてしかめつつらをしてゐる。

強情な王樣のやうに

ぢつとすわりこんで不氣嫌な顏をして……

私が見えなくなると

ほかの者を追ひつかふ。

あの壺は女神(めがみ)からもらつた賜なのだ。

私はどうしたらいいだらう?

 

私がほしいといへば、

壺はお米を煮てくれる。

お汁(つゆ)がほしいといへば、

それもこしらへてくれる。

あいつは魔怯だ、

けれど始終ぶつぷつつぶやいてゐる。

あいつさへゐなければ、

私の小屋(こや)もほんとに樂しく愉快なのだけれど、

窓のそとにはウイスタリアの花がひろびろと咲いてゐて……

私はどうしたらいいだらう?

 

壺はフライパンに

鈎(かぎ)の上にとまれといひつけた……

それからきぴしいこゑで

ほかの鍋(パン)にもいひつけた……

みんな私のこぢんまりした臺所で

幸福にくらせるのに!

敎へてください――きつと貴方はそつと敎へてくれるにちがひない――

私はどうしたらいいだらう?

 

[やぶちゃん注:詩人ヒルダ・コンクリング(Hilda Conkling 一九一〇年~一九八六年)については、本書巻末の目次の名の後に、『(十三歲の少年詩人)』とある(編者の逸見享氏による書き入れか)。私は知らなかったし、日本語で検索をかけても、誰も書いていない。名前の英文綴りを適当に調べて検索したところ、英文ウィキのこちらで、発見した。而して、この詩人は「少年」ではなく、「少女」である。大手拓次は昭和九(一九三四)年四月十八日に亡くなっているが、その時点でも彼女は二十四歳である。そのウィキによれば、彼女の父はマサチューセッツ州ノーサンプトンにあるスミス大学の英語の助教授で、ヒルダはニューヨーク州生まれ。父親は彼女が四歳の時に亡くなっている。未だ幼い四歳から十四歳にかけて、その詩の殆んどを作り、彼女自身は、それらを自分では書き留めていなかった。しかし、彼女の母親が会話の中に出てくるそれらの詩篇をその場で、或いは後で記憶をもとに書き留めておいた、とある。ヒルダが大きくなるにつれ、母は詩を記録することをやめ、また、ヒルダ自身、成人になってからは、自ら詩を書いたことも知られていない、とある。ヒルダの詩の殆どは自然に関わるもので、時には単に説明的なものもあれば、ファンタジーの要素が混じったものもある。他の多くのテーマは、母親への愛、物語や空想、彼女を喜ばせた写真や本を対象としているが、これらのテーマの多くは独立してあるのではなく、絡み合っていている、とある。彼女は、植物や動物の描写にしばしば比喩を利用している、ともあった。ヒルダの詩が収められた三冊の詩集は、彼女の生前に出版されており、「幼い少女の詩」(Poems by a Little Girl :一九二〇 年刊。アメリカの古典復興への回帰を主唱したイマジスト派の女流詩人エイミー・ローレンス・ローウェル(Amy Lawrence Lowell 一八七四 年 ~一九二五 年)の序文附き)・「風の靴」(Shoes of the Wind:一九二二 年刊)、「銀の角」(Silverhorn:一九二四年) がそれである。彼女の詩は、二種の詩のアンソロジーにも採られてあり、彼女については、詩を含め、その最初の詩集以前に、多くの雑誌に掲載された、ともある。第一詩集に載る彼女ポートレートはこれである。しかし、「Internet archive」の彼女のページを見るに、他にも著作があることが判る。

 さて、そこで調べてみたところ、本篇は、詩集「Shoes of the wind」の「The old brass potであることが判った。原著の当該部を参考にして原詩を引く。

   *

 

   THE OLD BRASS POT

 

The old brass pot in the comer

Shines and scowls at the kitchen pans;

Like a stubborn king

He sits and frowns . . .

Orders them about

When I’m not looking.

He was a gift from the fairy queen . .

What can I do ?

 

He boils rice when I want it,

Makes broth when it is needed.

He is magic

But he growls all day.

Without him it would be pleasant and comfortable

In my little cottage

With wistaria growing over the open windows . . .

What can I do ?

 

He tells the frying pan

To stay on its hook . . .

He shouts at the other pans

In a gruff voice . . .

They all might be so happy

In my cozy kitchen !

Tell me . . . but you must whisper . . .

what can I do ?

 

   *

「ウイスタリア」(wistaria)は「wisteria」と同じで、「藤」、マメ目マメ科マメ亜科フジ連フジ属 Wisteria のフジ類を指す。本邦で愛されるフジ(ノダフジ) Wisteria floribundaとヤマフジ Wisteria brachybotrys は日本固有種であるが、アメリカにはアメリカ固有種のアメリカフジ Wisteria frutescens が植生するから、それである。]

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