大手拓次譯詩集「異國の香」 病める詩神(ボードレール)
[やぶちゃん注:本訳詩集は、大手拓次の没後七年の昭和一六(一九三一)年三月、親友で版画家であった逸見享の編纂により龍星閣から限定版(六百冊)として刊行されたものである。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちらのものを視認して電子化する。本文は原本に忠実に起こす。例えば、本書では一行フレーズの途中に句読点が打たれた場合、その後にほぼ一字分の空けがあるが、再現した。]
病 め る 詩 神 ボードレール
噫 あはれな詩神よ!
今朝(けさ)お前はどうしたのか?
お前の深いまなこに幻の夜の歌が群れ、
そして私は、 かはるがはりお前の顏に顯れる
冷やかなは沈默の、 惑亂と恐懼とを見る。
綠の惡魔とばらいろの妖鬼、
彼等は自分の甕(かめ)の恐怖と愛戀とをお前に注いだ、
夢魔は、 暴虐と執拗の拳をもつて
奇しきマンテユールスの底にお前を沈めた。
私は健康の匂を放ちながら
强い思索のお前の胸と常に往(ゆ)き交(か)うて
キリスト敎のお前の血潮を
調べよき彼に流せよ
古い調べの豊かな響きのやうに、
歌の父フヱービユスの收穫の大神パンとが
かはるがはるしろしめしたまふのだ。
[やぶちゃん注:まず、原詩をフランス語サイトのこちらから引いて示す。
*
La muse malade Charles Baudelaire
Ma pauvre muse, hélas ! qu'as-tu donc ce matin ?
Tes yeux creux sont peuplés de visions nocturnes,
Et je vois tour à tour réfléchis sur ton teint
La folie et l'horreur, froides et taciturnes.
Le succube verdâtre et le rose lutin
T'ont-ils versé la peur et l'amour de leurs urnes ?
Le cauchemar, d'un poing despotique et mutin,
T'a-t-il noyée au fond d'un fabuleux Minturnes ?
Je voudrais qu'exhalant l'odeur de la santé
Ton sein de pensers forts fût toujours fréquenté,
Et que ton sang chrétien coulât à flots rythmiques,
Comme les sons nombreux des syllabes antiques,
Où règnent tour à tour le père des chansons,
Phoebus, et le grand Pan, le seigneur des moissons.
*
壺齋散人引地博信氏のサイト「フランス文学と詩の世界」の本詩篇のページ「病気のミューズ(ボードレール:悪の華)」によれば、壺齋散人氏の訳の後に、
《引用開始》
「病気のミューズ」は特定の女性をイメージして書いたのではなく、時代精神の堕落と、その開放への願いを歌ったものである。「悪の華」の初版のためにかいたものと思われる。
Le succube は、女の形をとって男たちを誘惑する悪魔の手先。また、Minturnes は、ローマ時代の都市の名で、周囲を沼地に囲まれていた。そこにマリウスが逃げ込んで、ローマの迫害を逃れたとされる。ボードレールはこれらのイメージを借りて、現代社会が悪意によって蝕まれているさまを匂わせている。
最後の6節は、現代社会の解放を願った部分だ。ボードレールはその解放の導き手として、歌の神フェビュスと収穫の神パーンを上げている。調和と豊穣の神々である。
《引用終了》
「succube」は音写「シュキュベ」で、所謂、「スクブス」「サッキュバス」(英語:Succubus)とで、壺齋散人氏の言われる通り、女性の姿をとって人を惑わす夢魔を指す。対語である男性の姿のそれは、「incube」(音写「オンキュベ」)で「インキュバス」(Incubus)である(総てラテン語由来)。
「Minturnes」の音写は「ミントゥルナエ」。
「マリウス」は共和政ローマ末期の軍人・政治家ガイウス・マリウス(ラテン語: Gaius Marius 紀元前一五七年~紀元前八六年)のこと。彼については、当該日本語のウィキを参照されたいが、この事件については、フランス語ウィキの「Marius prisonnier à Minturnes」(「ミントゥルナエの囚人マリウス」の歴史画)を見られたい。
「Phoebus」の音写は「フェビュス」。ギリシアの光の男神で、予言・詩歌・音楽及び治癒を司る神。 ゼウスとレートーの息子。
「Pan」「パーン」。言わずと知れたギリシア神話の牧羊神パーン。造形とキリスト教の認識から先に示した「インキュバス」と通性が強い。]
« 早川孝太郞「三州橫山話」 「片目の生砂神」 | トップページ | 大手拓次譯詩集「異國の香」 高翔(ボードレール) »