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2023/03/26

早川孝太郞「三州橫山話」 蟲のこと 「クサ木の蟲」・「アセボの木とダニ」・「シラミ屋敷」 / 蟲のこと~了

 

[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。

 原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここから

 なお、これを以って「蟲のこと」は終わっている。]

 

 ○クサ木の蟲  蜂の子は美味いものだと謂つて食べましたが、クサ木《ぎ》の蟲は子供の藥になると言つて喰べました。とりわけ土用の丑の日は藥になると謂つて捕へて喰べる風習がありました。クサ木の蟲に限らず、山椒魚、ゴーナイ(寄居)、目高、アンコ(山澤に住むハヤに似た小魚)などを、燒いたり、生のまゝ呑んだりしました。

 一般にクサ木の蟲と謂ひますが、クサ木に限らず、虎杖《いたどり》、楊《やなぎ》、サルトリ茨《いばら》などの蟲を捕へて、串にさして、燒いて喰べました。この蟲をとるには、竹筒に鹽水《しほみづ》を入れて用意し、鉈と、細い竹の針を持つて行きます。

 最初に蟲の喰入《くひい》つて、糞の出てゐる所が、虎杖や楊の小枝ならば、其木を伐り取つて、蟲を捕へますが、大木《たいぼく》に喰入つて居るのは、糞を除《のぞ》いて、穴の口から、竹筒で鹽水を吹き込んでやるのです。そして穴の口に、竹針をあてて待つてゐると、蟲が鹽水の爲めに苦しがつて、穴の口へ頭を出しますから、そこを手際よく引出《ひきだ》すのです。

[やぶちゃん注:「くさ木の蟲」「臭木の蟲」。一種ではなく、カミキリムシ類(鞘翅(コウチュウ)目カブトムシ亜目ハムシ上科カミキリムシ科 Cerambycidae)や、コウモリガ(鱗翅(チョウ)目コウモリガ科Endoclita 属。タイプ種Endoclita excrescens)などの幼虫で、クサギ(シソ目シソ科キランソウ亜科クサギ属クサギ Clerodendrum trichotomum。和名は葉に独特の臭いがあることに由来する。私は「臭い」とは感じない。また、その「臭い」葉は茹でると「お浸し」にして食べられる)などの木に穴を開けて材質を摂餌する。子どもの「疳の薬」とされた。「常山虫」(じょうざんちゅう)とも呼ぶ。

「山椒魚」両生綱有尾目サンショウウオ上科 Cryptobranchoideaの多数のサンショウウオ群を指す。サンショウウオ科Hynobiidaeには四十種以上の種がおり、古来から強壮剤として、よく生食や黒焼にして食される。私も某所で黒焼を食べたが、炭のようで味は殆んどしなかった。なお、オオサンショウウオ科 Cryptobranchidaeのオオサンショウウオ属オオサンショウウオAndrias japonicus も食用になる(私の教師時代の先輩は石見出身で、幼少期にはよく茹でて食べたという話を詳しく聴いた)が、横山には棲息しないと思われるので、外す。

「ゴーナイ(寄居)」これが判らない。但し、この並んだリストから淡水産の巻貝であろうということは想像がつく。恐らくは、腹足綱吸腔目カニモリガイ上科カワニナ科カワニナ属カワニナ Semisulcospira libertina 辺りではないかと推定する(タニシならタニシと早川氏は書くはずである)。地方では古くから食用にされた。但し、肺吸虫・横川吸虫などの第一中間宿主であるから、注意が必要ではある。

「目高」条鰭綱ダツ目メダカ科メダカ亜科メダカ属 Oryzias。ニホンメダカの異名を持つ本邦のタイプ種はキタノメダカ Oryzias sakaizumii及びミナミメダカ Oryzias latipes である。民俗社会では、古くから食用とされてきた。ウィキの「メダカ」によれば、『新潟県の見附市や阿賀町などでは』、『佃煮にして冬場のタンパク質源として保存食にする習慣がある』。『新潟県中越地方では「うるめ」と呼ばれている。新潟市にある福島潟周辺でも、メダカをとって佃煮にしていた。少量しかとれず、少し季節がずれると味が苦くなるので、春の一時期だけ自家で消費した』。『新潟県長岡市付近では、味噌汁の具にも使われていた』。『近年では養殖も行われているが、これは野生のメダカではなく、養殖が容易なヒメダカ』(緋目高:メダカの突然変異型(品種)の一つで、観賞魚や肉食魚の餌として販売されている)『である』とあった。私は一度、どこか(失念)で佃煮を食べたことがあるが、普通の佃煮の味しか記憶にはない。

「アンコ(山澤に住むハヤに似た小魚)」これもなかなか微妙である。そもそも「ハヤ」という種は存在しない「大和本草卷之十三 魚之上 ※(「※」=「魚」+「夏」)(ハエ) (ハヤ)」を見られたいが、そこの私の注から転写すると、本邦で「ハヤ」と言った場合は、これは概ね、

コイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Pseudaspius hakonensis

ウグイ亜科アブラハヤ属アムールミノー亜種アブラハヤ Rhynchocypris logowskii steindachneri

アブラハヤ属チャイニーズミノー亜種タカハヤ Rhynchocypris oxycephalus jouyi

コイ科Oxygastrinae 亜科ハス属オイカワ Opsariichthys platypus

Oxygastrinae 亜科カワムツ属ヌマムツ Nipponocypris sieboldii

Oxygastrinae 亜科カワムツ属カワムツ Nipponocypris temminckii

の六種を指す総称であるから、その中の幼魚と断定してよいと私は考えている。「アンコ」ではネットに掛らない。現地の方で、種が判る方がおられれば、お教え戴けると幸いである。

「虎杖」ナデシコ目タデ科ソバカズラ属イタドリ Fallopia japonica既出既注。但し、これ以下の植物を摂餌する昆虫は、上に出た「くさ木の蟲」とは異なるものである。私は昆虫には冥いので、それらを挙げることは出来ない。これと思う種はいるが、果してその昆虫が食用になるかどうかが判らない(毒性があるかも知れない)から軽々に示せないという理由もある。

「楊」キントラノオ目ヤナギ科 Salicaceaeの本邦種は三十種を越えるが、単に「やなぎ」と呼んだ場合は、ヤナギ属シダレヤナギ Salix babylonica var. babylonica を指すことが多い。

「サルトリ茨」単子葉植物綱ユリ目サルトリイバラ科シオデ属サルトリイバラSmilax china。]

 

 ○アセボの木とダニ  ダニはアセボと云ふ樹の下で湧くなどゝ謂ひます。ヤマギシヤと言ふ種類が多くて毒があると謂ひます。

 山口豐作と云ふ男が、コンニヤクと云ふ所の山へ行つて、草の上に休んでゐると、いゝ心持《こころもち》に眠くなつて、其處へ眠つてしまつて、暫くしてから眼が覺めると、體中が搔《かゆ》くて仕方がないので、着物を脫いで調べて見ると、小さなダニが、一面に體に止まつてゐたと謂ひます。

[やぶちゃん注:「アセボ」既出既注だが、再掲しておくと、有毒植物として知られるツツジ目ツツジ科スノキ亜科ネジキ連アセビ属アセビ亜種アセビ Pieris japonica subsp. japonica の異名「馬酔木」(アシビ)の転訛。無論、特定の木の下で人に吸血するダニ(鋏角亜門クモガタ綱ダニ亜綱 Acari)が湧くはずは、まず、ない。ただ、昔、山の仲間から、とある山の草地でツェルトで仮眠していたところ、妙にムズムズするので目を覚ましたら、下半身にびっちりと大きなダニがたかっていた、という話を聴いたことがある。或いは、猪や鹿などの獣類が寝転がってダニを落とした上に彼は寝てしまったものだろうか。

「ヤマギシヤ」漢字表記は「山」以外は判らぬが、ヒト吸血性であるとなら、鋏角亜門クモ綱ダニ目マダニ亜目マダニ科 Ixodidae の種ではあろう。嘗つて長女と次女のアリス(ビーグル♀)に、時々、顔面に食いついていて、すっかり血を吸って大きくなっているのを見かけて、渾身の怒りを込めて駆除した(煙草の火を近づけて咬みついている吻部を自ずと外すのを待った。毟り取ると吻だけが残って治りが悪くなる)のを思い出す。

「コンニヤクと云ふ所の山」「早川孝太郎研究会」の早川氏の手書き地図の左上方のやや中央寄りの『御嶽祠』の下方のピーク、『金掘址』と書いたポイントの左の山に『(コンニヤク)』とあるのが判る。「ひなたGPS」の、この中央の305の附近がそれか。]

 

 ○シラミ屋敷  八名郡山吉田村の新戶《あらと》と謂ふ所の重吉と謂ふ男は久しい前にシラミに喰殺《くひころ》されて死んだと謂つて、この屋敷跡をシラミ屋敷と謂つたさうですが、其家にはシラミが澤山居て、家の人の着物は無論のこと、足袋に迄ぞろぞろと匐つてゐたさうです。其家が沒落して、殘つた家を村の者が集《あつま》つて壞した所が、床下から白い鳩の卵程のものが出て、持つて見ると柔かいものなので、何だらうと思つて破《やぶ》いて見ると、中はシラミばかりであつたと謂ひます。その屋敷跡へは誰も寄りつくものもなかつたさうですが、四十年程前から附近の家で畑にしたと謂ひました。

 この重吉と云ふ男が、或朝江戶へ立たうとして門迄出ると、何か頸筋に喰付《くひつ》いたものがあるので、捕へて見ると一疋の大きなシラミだつたさうです。何氣なく其シラミを紙に包んで柱の割れ目に入れて江戶へ出掛けたと謂ひます。一年程して歸つて來て、ふと其事を思ひ出して、柱の割れ目から紙に包んだシラミを出して見ると、未だ生きてゐたので、其を掌に載せて見てゐると、其シラミが掌へ喰いついたのが原因で、病氣になつて死んだので、それから家が沒落したと謂ふ事です。

[やぶちゃん注:二箇所の「シラミ」の太字は底本では傍点「﹅」。他の「シラミ」には打たれていない。シラミ類(咀顎目シラミ小目シラミ上科 Anoplura)の中で、ヒトに寄生する吸血性のそれは、ヒトジラミ科ヒトジラミ属 ヒトジラミ Pediculus humanusと、ケジラミ科ケジラミ属ケジラミ Pthirus pubis の二種のみであり、これらが多量に寄生したからと言って、それで死に至ることはなく、二種によって媒介される重篤な死に至る感染症は、存在しないと思う(そんな話を聴いたことがない。先に出たマダニは別)。この話全体は、どの場面も現実にはあり得ないと断じてよい。

「八名郡山吉田村の新戶」現在の愛知県新城市下吉田に南新戸・北新戸・上新戸が確認でき、中央には「中新戸集会所」が確認出来るから、この中央広域の旧地名である(グーグル・マップ・データ)。「ひなたGPS」の戦前の地図を見ると、「新戶」と別に、既に「中新戶」の地名が見えるので、そこは外していいかも知れない。

「床下から白い鳩の卵程のものが出て、持つて見ると柔かいものなので、何だらうと思つて破いて見ると、中はシラミばかりであつた」ヒトジラミの体長は成虫で二~四ミリメートルほどで、ライフ・サイクルにあっても、こんな巨大な卵塊は形成しない。思うに、これはシロアリ(網翅上目ゴキブリ目シロアリ下目 Isoptera のシロアリ類。本邦には、ミゾガシラシロアリ科ヤマトシロアリ Reticulitermes speratus と、イエシロアリ Coptotermes formosanus が普通種である)の崩壊した根太の中の巣を誤認したのだろうと推理する。イエシロアリの形状はシラミが大きくなったようにも見えるからである。

「或朝江戶へ立たうとして門迄出ると、何か頸筋に喰付《くひつ》いたものがあるので、捕へて見ると一疋の大きなシラミだつたさうです。何氣なく其シラミを紙に包んで柱の割れ目に入れて江戶へ出掛けた……」この話、実は明らかな原拠がある。吉田村の物知りがそれを転用してでっち上げた全くの作り話なのである。私の「宿直草卷三 第十四 虱の憤り、人を殺せし事」を見られたいが、その正統なルーツは、実に鎌倉中期の成立である「古今著聞集」の「卷第二十 魚蟲禽獸」に載る「或る京上りの田舍人に白蟲仇を報ずる事」にまで遡るのである。リンク先では原々拠も電子化してあるので、参照されたい。早川氏は古典籍にはあまり通じておられなかったか。民俗学的記載としては、私としては、そこまで是非とも突いて欲しかった気はする。

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