「曾呂利物語」正規表現版 六 人をうしなひて身に報ふ事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今までは、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正(裏映りが激しいため)した上で、適切と思われる位置に挿入してきたが(本篇には挿絵があり、ここ(左丁)がそれである)、裏映りを消すために補正すると、薄くなるか、全体が黄色くなるかで、今一つ気に入らない。そこで、状態がかなりいい、上記岩波文庫版に挿絵の載るものは、それを画像で取り込み、トリミング補正することとした(今回はそれである)。]
六 人をうしなひて身に報ふ事
津の國大坂に、「兵衞(ひやうゑ)の次郞(じらう)」とかや云ふもの、有り、いろを好む心、ふかうして、召使(めしつか)ひける女を、忍びて、褄(つま)を重ねけり。
本妻は、例(れい)より、物(もの)ねたみ、いとはしたなくて、かく、雨夜(あまよ)のものがたりに、左馬頭(さまのかみ)がゆびを食ひきりしには、猶、こえたり。
さるに、なにがし、他行(たぎやう)のひまに、かの女を、とらへ、井(ゐ)のうちへさかさまにおとし、ふしづけにこそしたりけれ。
なにがし此の事、夢にも知らず、月頃(つきごろ)すごしけるに、一人(ひとり)の寵愛の男子(だんし)有りけるが、以ての外に勞(いたは)りけるを、色々、養生・祈念・祈禱をしけれども、其のしるし、なし。[やぶちゃん注:「以ての外に勞(いたは)りけるを」尋常でない重い病気に罹ってしまったので。]
其の頃、「あまのふてらやの四郞右衞門」といふ針(はり)たて[やぶちゃん注:針医(はりい)。]、天下無雙の聞え有りけるを、招き、一日、二日のうち、養生す。
ある夜(よ)、月のあきらかなるに、四郞右衞門、緣に出(で)て有りけるが、何處(いづく)ともなく、いとあてやなる女、きたりて、四郞右衞門にうちむかひ、さめざめと泣きゐたり。
不思議なることに思ひ、
「いかなるものぞ。」
と、尋ねければ、
「恥かしながら、此の世を、去りしものなり。あるじの北の方、あまりに情(なさけ)なきことの有りしにより、うらみ申しに、來りたり。其の子は、何と針をたて給ふとも、さらに甲斐、あるまじ、いそぎ、そなたは歸りたまへ。さなくば、眼前にうきめを見せ侍らん。」
と云ふ。
四郞右衞門、肝(きも)をけし、
「さては、亡靈にて有りけるかや。たゞし、如何(いか)やうの恨みぞ。其方の跡をば、ねんごろにとぶらはせ侍らんに、恨みを、晴らし給へ。」
といふ。
「いやとよ、此の子を取り殺さでは、おくまじ。」
とて、歸らんとするを、餘りの不思議さに、袖を控へ、
「さるにても、いかなる恨みの侍るぞ。」
といへば、
「しかじかの事、さふらひし。」[やぶちゃん注:以下の頭に「と、」を入れたい。]
折檻は世の常、あまりに情なき事ども、ありのまゝにぞ語りける。
[やぶちゃん注:キャプションは以上では切れて確定的には読めないが、最も状態のよい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の当該画像(これは残念ながら許可なくして使用は出来ない)を見るに、「ひとをころし身にむくう事」と判読出来る。]
扨(さて)、女は、たけ、一丈もあるらんと思(おぼ)しくて、そらざまに生(お)ひたち、髮は白がねの針をならべたる如く、角さへおひて、朱(しゆ)まなこ、牙(きば)を嚙みたる有樣、たとへて、云はん方も、なし。[やぶちゃん注:ここで亡霊は瞬時に鬼形(きぎょう)に変じているのである。]
四郞右衞門、一目見(めみ)、あはせて、そのまま消え入り侍りしが、あるじ、來たりて、[やぶちゃん注:「一目見、あはせて」(ひとめみ)で、「一瞬、その亡霊と目を見合わせた途端」の意。]
「此は、いかに。」
と、やうやう、助けものして、事の仔細を問ひければ、
「かやうかやうの姿を、一目見しより、夢うつつともわきまへず、たえ入り候。」
といふ。
猶も、委しく尋ぬれば、はじめ、終はり、事(こと)こまかにぞ語りける。
兵衞の次郞、これを聞き、
『いかゞすべき。』
と思ひ患(わづら)ひ、又、一兩日のほど過ぎて、四郞右衞門を呼びに遣(つか)はし、
「いかゞすべき。」
と談合しけるが、又、其の夜、四郞右衞門が枕上に來り、
「如何に言ふとも、かなふまじ。日こそ隔たるとも、一門眷屬、次第々々に取りて、北の方に、思ひ知らせん。」
と、いふかと思へば、屋根より、大磐石(だいばんじやく)をおとしけるが、彼(か)の子は、微塵に碎けて、亡(う)せぬ。
母は、月花(つきはな)とも眺めしひとり子(ご)を、かく恐ろしき事にして、歎き悲しみ侍りしが、それより打續(うちつゞ)き、母の一門、盡(ことごと)く滅びて、つひには、母、重き病(やまひ)の牀(とこ)にふす。
人に憂き目を見せければ、かかりける事、有りとは、昔物語にこそ聞きしが、今も有ることにこそ。
[やぶちゃん注:本篇は「諸國百物語卷之五 十一 芝田主馬が女ばう嫉妬の事」で、コンセプトを転用しつつ、よりリアルに換骨奪胎している。
「雨夜(あまよ)のものがたりに、左馬頭(さまのかみ)がゆびを食ひきりし」非常に知られた「源氏物語」の「帚木」(ははきぎ)の帖の、光源氏(数え十七歳)が色好みに覚醒する、所謂、「雨夜の品定め」の中の、左馬頭の経験談を指す。サイト「源氏物語の世界 再編集版」のこちらの冒頭がそれ(原文・二種の現代語訳附き)。私の教師時代のシノプシスのダイジェスト・プリントから引く。
*
◇左馬頭の経験談――「指喰(ゆびく)いの女」(嫉妬深い女)――若い頃に付き合った女がいたが、これが、あまりに嫉妬深く、わざと薄情な素振りを見せたところが、「女も、えさめぬ筋(すぢ)にて、指(および)ひとつ、引き寄せて、喰ひはべりし」。その後、ちょっと意地を張って会わぬうちに、亡くなってしまった。気の毒をした。
*
「ふしづけ」「柴漬け」と書く。体を簀巻きなどにして、水に投げ入れること。元は拷問や刑罰・私刑としてあった。
「あまのふてらやの四郞右衞門」岩波文庫版の高田氏の注に、『不詳。地名であろう。尼野江寺か』とある。但し、そちらの本文は『あまのふてら四郎右衛門』である。
「いやとよ」「否とよ」で感動詞。元は感動詞「いや(否)」+連語「とよ」。「いや! そうではない!」「いや! 違う!」と言った感じで、相手の発言を強く否定する際に発する語。
「助けものして」岩波文庫版の高田氏の注に、『正気づかせて』とある。「ものす」で他動詞(サ変)で「(ある動作を)する」の意の代動詞。]
« 佐々木喜善「聽耳草紙」 七番 炭燒長者 | トップページ | 「曾呂利物語」正規表現版 七 罪ふかきもの今生より業をさらす事 »