佐々木喜善「聽耳草紙」 六番 一目千兩
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本はここから。]
六番 一目千兩
昔、奧州に一人のヤモメ男があつた。何とかして金儲けをしたいと思つて居た。そのうちに盆が來たので、蓮の葉を江戶へ持つて行つて、一儲けしやうと考へた。田舍で蓮の葉を買い集めると恰度《ちやうど》船で三艘あつた。それを江戶のお盆に間に合ふやうにと急いだが、江戶に着いてみると、昨日で盆が過ぎたと云ふところだつたので落膽した。
男は甚だ困つたが、思ひきつて殿樣に謁見に及んで、私は今度奧州から美事な蓮の葉を運んで來ましたが、昨日でお盆が濟んで不用なものになりました。何卒もう一度御盆のやり直しを、殿樣から御布令《おふれ》して頂きたうございますと願ひ出た。すると殿樣は御聽き上げになつて、家來を集めて、今度奧州から珍しい蓮の葉が屆いたから、改めて又盆をしろと布令出させた。三艘の船の蓮の葉が、一艘一千兩づつに賣れて忽ちのうちに男は三千兩の大金を儲けた。
その頃、日本中で一番美しいと云はれる女が江戶に居たが、なかなか人に顏を見せなかつた。一目見ると千兩と云ふ莫大な金が入るから、誰も三度見たことが無かつた。ただ女の居間の障子がスウと開いてすぐパタンと閉めたきりで千兩と云ふのだから、皆呆れて歸つて行くのであつた。
奧州の男も、國の土產(ミヤゲ)に一度見て歸りたいと思い、その女の所へ出かけて行つた。まづ千兩出して賴むと障子が兩方ヘスウと開いて、忽ちバタンと閉まつた。成程女の顏は花のやうに美しかつたが、どうも夢のやうではつきり見えなかつたので、もう千兩出して賴むと、また先刻の通りであつた。それでも猶諦めかねて、三度目にまた千兩出して賴むと、またスウト障子が開いたが、今度は女が笑つて居た。けれども男は持つてゐた三千兩の金をば皆無くしてしまつたので、これからどうして國へ歸つたらよかろうかと思案して居ると、女が出て來て、お前さんはどうしてそんなに思案顏して居るかと言つた。男は俺はもう一文も無いので奧州へ歸る工夫をして居ると言ふと、女は今迄二度までは見てくれても、三度まで妾《わらは》を見てくれた者がないのにお前さんは持ち金全部を出して見てくれた、それで私はお前さんの氣象に惚れた、どうか私を女房にして奧州へ連れて行つて下さいと言つた。そして女の持ち金全部を持つて、共に奧州に歸つて長者となつた。
(岩手郡雫石《しづくいし》村、田中喜多美氏の御報告の一《いち》、摘要。)
[やぶちゃん注:「岩手郡雫石村」岩手県岩手郡雫石町(しずくいしちょう:グーグル・マップ・データ)。
「田中喜多美」(明治三三(一九〇〇)年〜平成二(一九九〇)年:佐々木より四つ年下)は岩手県雫石町出身の民俗学者・郷土史家。尋常高等小学校を卒業後、高等科に進学するものの、家庭の事情により退学、農業に従事しながら、全くの独学で勉学読書に励んだ。後に岩手県教育会・岩手県庁に勤務し、岩手県の歴史と文化についての研究・振興に多大な功績をあげた(サイト「神奈川大学 国際常民文化研究機構」のこちらに拠った)。]
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