大手拓次譯詩集「異國の香」 無題(わたしは隣りの町を忘れなかつた、……)(ボードレール)
[やぶちゃん注:本訳詩集は、大手拓次の没後七年の昭和一六(一九三一)年三月、親友で版画家であった逸見享の編纂により龍星閣から限定版(六百冊)として刊行されたものである。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちらのものを視認して電子化する。本文は原本に忠実に起こす。例えば、本書では一行フレーズの途中に句読点が打たれた場合、その後にほぼ一字分の空けがあるが、再現した。]
無 題 ボードレール
わたしは隣りの町を忘れなかつた、
われらの質素な家、 小さいけれど極く靜かな、
石膏のポモオヌと年とつたヴエナスとが
裸の四肢をかくしつつ、 小さな叢のなかに、
うらうらと流れる壯麗な太陽と夕暮よ、
それは、光りの束の碎かれたガラス板の向ふに、
物好きな空のなかに開いた大きい眼、
粗末なテーブル掛とセルの幕の上に
大蠟燭美しい反射をひろやかにとぼしながら
長いそして沈默な食事を考へさせるやうに思はれる
[やぶちゃん注:所持する堀口大學譯「惡の華 全譯」(昭和四二(一九六七)年新潮文庫刊の本篇(堀口氏の標題訳は「(僕はまだ忘れずにゐる)」である)の訳者註に、エルネスト・『ブラロンによれは一八四四年の作だといふ(作者二十四歲)』とあり、ボードレールは『父の死後』(フランス・ジョセフ・ボードレール。一八二七年二月、享年六十八。シャルルは七歳)、『母』(カロリーヌ・アルシンボール・デュフェイ。当時三十四)『が再婚するまでの短い期間を』(再婚は父の死の翌年)、『ボードレールは、彼女と一緖にヌイイ』(ヌイイ=シュル=セーヌ(Neuilly-sur-Seine)。パリ西部近郊にあるコミューン。パリ中心から西北六・八キロメートルの距離にある都市。ここ。グーグル・マップ・データ)『で暮らしたが、この詩はその當時の幼年の日の思ひ出を歌ったものだといふ』とある。以下、原詩を見られれば判る通り、「無題」という題ではなく、題がないのである。
「ポモオヌ」「Pomone」。音写は「ポォーモンヌ」が近いか。ローマ神話の果実とその栽培を司る女神ポーモーナ。「poma」は「果物」の意。
「ヴエナス」「Vénus」。言わずと知れた、ヴィーナス。フランス語では「ヴェニュゥス」が近い。ローマ神話で愛と美の女神とされるが、元来、彼女は菜園を司る女神であった。因みに、性別記号の「♀」は本来は彼女を意味するものであった。
「セル」「cierge」。フランス語は「シャルゥジュ」。阿蘭陀語の「セルジ」を「セル地」と誤解し、その「地」を略した語。梳毛(そもう)糸を、平織又は綾織や斜子(ななこ)織(経緯(たてよこ)ともに二本以上の糸を引き揃えにして織ったもので、平織を縦・横に拡大した組織りを指す)にした薄地の毛織物。綿・絹を用いた交織(こうしょく)もある。
原詩をフランス語版「Wikisource」の「Les Fleurs du mal」(各篇単独)のこちらページから引く。
*
Je n’ai pas oublié, voisine de la ville,
Notre blanche maison, petite mais tranquille,
Sa Pomone de plâtre et sa vieille Vénus
Dans un bosquet chétif cachant leurs membres nus ;
— Et le soleil, le soir, ruisselant et superbe,
Qui, derrière la vitre où se brisait sa gerbe,
Semblait, grand œil ouvert dans le ciel curieux,
Contempler nos dîners longs et silencieux,
Et versait largement ses beaux reflets de cierge
Sur la nappe frugale et les rideaux de serge.
*
幼年懐古詩篇であるため、後に曲が作られ、例えば、こちらで男性歌手のものを聴くことが出来る。]
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