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2023/03/31

ブログ1,940,000アクセス突破記念 梅崎春生 文芸時評 昭和二十九年四月

 

 [やぶちゃん注:本評論は底本(後述)の解題によれば、『共同通信』三月二十日発行に掲載されたとある。

 私は梅崎春生と同時代のここに挙げられる作家の作品はあまり読んだことがない。私は近現代の作家については、死んでいない人物に対しては冷淡で、共時的に読むことはなかった(現在でも特定の作家を除き、概ね同じである。梅崎春生が亡くなったのは小学校三年生で梅崎春生は知らなかった。但し、私は三~六歳の時期、大泉学園に住んでおり、梅崎春生の家はかなり近くにあったことを後年知った。梅崎との最初の出会いは一九七一年八月七日のNHKドラマ「幻化」で、中学三年の時であった)、従って、注は語句や、特に私がよく知らない作家については、高校の「現代文」(ちょっと以前は「現代国語」と称した)の私の嫌悪する注のような、生年月日の毛の生えた程度の注をするしかないからやりたくないし、私の知っている作家の場合は、没年を示す必要があると考えた場合等を除いて、原則、注しない。悪しからず。

 底本は昭和六〇(一九八五)年四月発行の沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、昨日の深夜、1,940,000アクセスを突破した記念として公開する。【二〇二三年三月三十一日 藪野直史】]

 

   昭和二十九年四月

 

 先月にくらべて今月は短編が多く、連載をのぞけば長いものは丹羽文雄の「柔媚の人」(新潮)、「女は恐い」(文芸春秋)、火野葦平「続戦争犯罪人」(文芸)、真船豊「赤いランプ」(群像)ぐらいなものである。「柔媚の人」は養子にやられたある少年の心理や生態をとりあつかったもので、題名通り柔媚な性格の少年であるが、その柔媚感がそくそくと読者の身に追ってくるというまでには達していない。やはり頭の中で構築された題材のせいなのであろう。まだしも「女は恐い」中の女の執念の方がはるかに生き生きとしている。その代りこちらの方はモデルに寄りかかりすぎていて、小説性はうすい。「女は恐い」という題名は編集部でつけたものだろうと推察されるが、その女のおそるべき偏執、それを恐がっている作者のかたちが、相当の現実感をもって描き出されている。

[やぶちゃん注:「柔媚」(じゅうび)は「嫋(たお)やかなこと・もの柔らかで艶(なま)めいたさま」、また、「媚(こ)び諂(へつら)うさま」をも言う。]

 短編の中では安岡章太郎「吟遊詩人」(文学界)が面白かった。いつもの手慣れた手法で安岡的世界を描き出しているのだが、それなりに安心して読めるし、また面白い。どんな現実をとり扱っても彼一流の世界となるあたり、ちょっと井伏鱒二に似ている。何を書いても自分流になるのは、この両者とも現実に対して強烈な支配力を持っているのではなくて、むしろ内攻型の性格がそうさせるのだろう。現実を一度自分の内側に引きずりこみ、もぐもぐと嚙みしめ、そして第二の世界として造形する。こういう型の作家は、読者から信用されることなしには成立しない。

 安部公房「変形の記録」(群像)、福永武彦「冥府」(群像)はともに死後の世界をとりあつかっている。安部のは長いものの一部らしいが、なかなかの才筆で、生前と死後との食い違いの感じがうまくとり入れられている。しかしこれだけではその寓意は不明である。

 福永のはその点はっきりしているが、筆致にうるおいがなく真面目すぎるので、かえって現実感をそがれた。こういう題材に対しては、正攻法よりむしろ逆手を使うべきではないのか。なおこの作品はジャン・コクトオあたりがつくった死後の世界を描いた映画の影響のようなものが、いくらか感じられた。

[やぶちゃん注:「ジャン・コクトオあたりがつくった死後の世界を描いた映画」言い方が微妙で、よく判らないが、ジャン・コクトー (Jean Cocteau 一八八九年~一九六三年) の最初期の映画で監督・脚本を手掛けた「詩人の血」( Le Sang d'un poète :一九三二年)『あたり』を指すものか。]

 同じく「群像」の室生犀星「黄と灰色の問答」。これは死後ではなく生きている世界だが、しかしもうこれは死に近づいた世界である。胃潰瘍にかかった入院記だが、この作品には人間の業(ごう)のようなものも感じられ、その人間臭はやはり読者の心をうつ力を持っている。私はこの作家にいつも「悪戦苦闘」といった感じを抱くのであるが、その対象が空疎な場合には作品も空転するようであるけれども、対象があきらかな場合にはその作品も成功するようだ。この作品もそれであろう。

[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の新潮社版室生犀星全集第九巻(一九六七年刊)のこちらから読める。]

 井伏鱒二「石州わかめ」(改造)は、女子でありながら男性的骨格をもった女の悲劇で、もちろんこの作者のことだからこれを真正面からとりあつかわず、側面からエピソード風に描いている。この女も最後に絶望して、食事を拒否し衰弱死をくわだてようとする。しかしこれは小説の形式の関係から重大な悲劇としては出ず、一抹の哀感として読者の胸を通りぬけるだけである。それでいいともいえるだろうが、同時にこれがこの作者の限界(厭な言葉だが)だともいえよう。

 西野辰吉「烙印」(改造)は、戦争や占領がもたらす非人間的なものへの抗議。西野の小説はいつも怒号的でなく、つぶやきに似ていて、それも非常に効果的なつぶやきであるのも、この作家の性格によるものだろうし、またそこが手腕だということだろう。彼は庶民の代表として書くというよりは、庶民の一人として書いている。それが西野辰吉の作品を強く特微づけていると思う。この作品もその点において成功している。

[やぶちゃん注:「西野辰吉」(大正五(一九一六)年~平成一一(一九九九)年)は作家。当該ウィキによれば、『北海道生まれ。足尾銅山変電所の雑役夫、魚河岸の人夫など職を転々とする』。昭和二二(一九四七)年、『日本共産党に入り、同年』、「廃帝トキヒト記」で『作家デビュー』、昭和二五(一九五二)年、「米系日人」を『発表』、昭和三十一年には、『『新日本文学』に連載した』「秩父困民党」『(単行本は講談社から)で毎日出版文化賞受賞した。このころ、霜多正次』(梅崎春生の友人)、『窪田精、金達寿たちとリアリズム研究会を発足させ、全国的な組織へと発展させた』。昭和三九(一九六四)年、新日本文学会から除籍され、翌『年の日本民主主義文学同盟の創立に参加し、その後『民主文学』の編集長もつとめた』。昭和四四(一九六九)『年、文学同盟を退会した』後、『共産党を離党し、その後は』、公的な『文学運動とは無縁のままに創作活動を』続けた、とある。]

 「文芸」では、全国学生コンクール入選作一編と佳作が四編載っていて、それぞれ面白かった。それぞれ題材にも変化があったが、冒険的な試みはなかったとしても、技法的にそれぞれかなり確実なものを持っている。「文芸」のこういう試みは有益なことだから、止めないで続けてもらいたいと思う。

 

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