「曾呂利物語」正規表現版 卷二 四 足高蜘の變化の事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。本篇の挿絵は、その岩波文庫版からトリミング補正したものである。]
足高蜘(あしたかぐも)の變化(へんげ)の事
[やぶちゃん注:上では、右上端にあるキャプションが完全に切れて映っていないが、早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらで見ると、「ある山里にて大也」(なる)「くもばける所」と読める。]
ある山里に住みける者、いと靜かなる夕月夜に、慰みに出でたるに、大きなる栗の木の叉(また)に、六十許りになる女(をんな)、鐵漿(かね)をつけ、髮のかすかに見えたるを、四方に亂し、彼(か)の男を見て、けしからず、笑ふ。
男、肝(きも)を消し、家に歸りて後(のち)、少しまどろみけるに、さきに見えける女、現(うつゝ)のやうに遮(さへぎ)りける故、心凄くて、起きもせず、寢もせで、ゐたる所に、月影に、うつろふ者、あり。
晝、見つる女の姿、髮の亂れたる體(てい)、少しも變はらず、恐ろしさ、比(たぐひ)なくて、刀(かたな)を拔きかけて、
『いかさま、内(うち)に入りなば、斬らんずるものを。』
と、思ひ設(まう)けてゐたる所に、明障子(あかりしやうじ)をあけて、内に入りぬ。
男、刀を拔き、胴中(どうなか)を、かけて切つて落としたり。
化け物、斬られて弱るかと見えしが、男も、一刀(かたな)切つて、心を取り失ひける時、
「や。」
といふ聲に驚き、各(おのおの)、出であひ見るに、男、死に入りてぞ、ゐたりける。[やぶちゃん注:気絶・失神したのである。]
やうやう、氣をつけられ、舊(もと)の如くになりにけり。
化け物と覺しき物は無かりしが、大(だい)なる蜘蛛の足ぞ、切り散らしてぞ、侍る。
かかる物も、星霜(せいさう)經(ふ)れば、化け侍るものとぞ。
[やぶちゃん注:「足高蜘」挿絵の右上には巣の網が描かれてあり、変化の原様態の形状を描いたそれを見るに、私は節足動物門鋏角亜門蛛形(クモ)綱クモ綱クモ目クモ亜目クモ下目コガネグモ上科ジョロウグモ科ジョロウグモ属ジョロウグモ Trichonephila clavata をモデルとするものであろうと推理する。なお、現在の本邦には、クモ目アシダカグモ科アシダカグモ属アシダカグモHeteropoda venatoria がおり、現在の本邦に棲息する徘徊性のクモとしては最大種で、人家に棲息する最大級のクモとしてもよく知られるそれがいる。我が家では昔からの馴染みで、若い頃、深夜、寝ていたところ、顔に掌大の彼が登り、その八つの脚のクッと構えた感じが顔面全体で、ありありと感じられて、眼を覚まし、大乱闘の末、外に逃がしたこともあった。しかし、本篇の蜘蛛は、このアシダカグモでは、ないのである。何故なら、江戸時代にはアシダカグモは本邦いなかったからである。当該ウィキによれば、『原産地はインドと考えられるが、全世界の熱帯・亜熱帯・温帯に広く分布している』。『アシダカグモは外来種で、元来は日本には生息していなかったが』、明治一一(一八七八)年に『長崎県で初めて報告された』。『移入した原因としては、輸入品に紛れ込んでいた可能性が考えられる』とあるのである。]
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