西播怪談實記 下德久村法覺寺本堂の下にて死し狐の事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。底本本冊標題はここ。本文はここから。]
○下德久《しもとくさ》村法覚寺《ほふかくじ》本堂の下にて死(しせ)し狐の事
佐用郡下德久村に法覚寺といへる眞宗の道場、在《あり》。
正德年中の六月の事なりしに、住持、暑(あつき)に堪兼(たへかね)て、本堂に續《つづき》たる客殿(きやくでん)、凉しかりければ、書院の際(きわ)に、枕を取《とり》て休(やすみ)けるに、何所《いづこ》ともわかず、寄合(より《あひ》)、鳴(なく)聲の、かすかに、聞へけり。
暫(しはし)ありて、餅をつく音も聞へけれは、
「さては。花足(けそく)をするならむ。村の中《うち》に、大病人も聞《きか》ざりしが、頓死など、しけるにや。」
と、世の無常も思ひ出られ、哀(あはれ)を催しながら、庫裡(くり)へ出て、
「誰(た)そ、村の中《うち》に、死けるや。」
と問(とふ)に、
「何の噂もなく、殊更、村の中に病人有《あり》とも、きかず。定(さため)て、晝寢の中《うち》に、夢を見給ふにや。」
と、口々に荅(こたへ)て、笑ければ、又、以前の書院へ立歸《たちかへり》て聞《きく》に、何の音もせざれば、
「堵は。我、少《すこし》の内にまどろみ、夢を見たるにや。」
と、其後は噂もせすして居《をり》けるに、翌、朝陰(あさかけ)に、前栽(せんさい)へ、供養の花を切《きり》に出《いで》けるに、本堂の北の側《がは》に、狐、壱ツ、死《しし》てゐければ、
「偖は。きのふの音は、是ならん。」
と、寺内(しない)のものを呼《よび》て見せ、後(うしろ)の山に埋(うつ)み、寺僧ども、「阿弥陀經」を讀誦(とくしゆ)して遣はしけるよし。
予が檀那寺なれば、直噺(ちきはなし)をきゝける趣を書つたふもの也。
[やぶちゃん注:「法覚寺」兵庫県佐用郡佐用町下徳久に現存する(グーグル・マップ・データ)。
「正德年中」一七一一年から一七一六年まで。
「華足」「花足」とも書く。ここでは「仏に供える餅」を指す。元々は、机や台などの脚の先端を、外側に巻き返して蕨手(わらびて)とした脚の附いた供え物を盛る器のことを指したものが、転訛したもの。
「朝陰」「朝影」。原義は「朝日の光り」で、朝日が射しかかってくる頃。]
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