「曾呂利物語」正規表現版 第四 / 三 狐再度化くる事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。今回はここから。なお、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]
三 狐再度(ふたたび)化くる事
さる何某(なにがし)、召し使ひける男、妻に離れ、幾何(いくばく)もなきに、彼(か)の妻、夜な夜な、來たり侍る。
彼の男の心、空(そら)にや有りけるやらん、化生(けしやう)の物とも知らず、いつもの如く思ひ、夜な夜な、傍(かたはら)を離れず、云ひ侍る。
傍輩ども、聞きつけて、
「斯かる不審なる事こそ、なけれ。いざ、持佛堂を見ん。」
とて、彼の者の家に行き、伺ひ見れば、人の云ふに違(たが)はず。
思ひ呆れたるところに、二人、相向かひてぞ、居たりける。
「とかく、押し入り、女も、男も、捉(とら)へ見ん。」
と、云ひ合はせて、彼(か)の家に押し込み、男女共に、抱きとりけり。
斯くする内、燈火(ともしび)、消えぬ。
「女を、とり放すな。」
と、聲々に云ひて、外に出で、松明(たいまつ)を點(とも)してあれば、彼の男の主(しう)の飼ひける、唐猫なり。
脇よりも、
「聊爾(れうじ)を、すな。殿の御祕藏の唐猫なり。」
と云ひければ、抱(いだ)きける者、少し、たゆみける内に、
「くわい、くわい、」
と云ひ、藪の中(うち)に入りぬ。
「さては。狐にてありけるものを。」
と、人々、頭を搔きける、とぞ。
[やぶちゃん注:「空(そら)にや有りけるやらん」岩波文庫の高田氏の注に、『虚脱して、正気でなくなったのか。』とある
「云ひ侍る」同前で、『夫婦のかたらいをしていた』とある。
「持佛堂」主人公は雇人であるから、やはり高田氏の注にある、『ここでは仏壇のある仏間のこと』、或いは、下人で仏間というのも何だから、位牌をおいてある奥の仕切り部屋ということであろう。
「聊爾(れうじ)」(りょうじ)は「軽率・迂闊(うかつ)」或いは「不作法・失礼なこと」で。ここは前者。
「くわい、くわい、」民俗社会での狐の鳴き声のオノマトペイア。「こんくわい」が知られ、漢字では「吼噦」、現代仮名遣「こんかい」。狐の鳴き声から転じて、「こんくわい」は「狐」を指す語ともなった。現在の「こんこん」の古形。]
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