「曾呂利物語」正規表現版 八 狐人にむかつてわびごとする事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした(本篇は載らない)。本篇はここから。]
八 狐人にむかつてわびごとする事
寬永八年ひつじのとし、關東武藏國(むさしのくに)、さる御方(おんかた)さまの屋敷に、植込あるため池、あり。
そのうちに、白鴈(はくがん)を放し飼ひおかるゝ所に、狐、これを取りはべりしかば、あるじの殿(との)、腹(はら)を立て、近習の人々にまうし付けらるゝは、
「かひ鳥(どり)を、狐めが、とる事、にくき仕合(しあはせ)なり。明日は、うゑこみの中を狩り、きつね、穴にあらん程に、盡く、殺せ。」
と、云ひつくる。
人々、
「かしこまる。」
と申す。
しかれば、其の夜(よ)、宿直(とのゐ)する人の夢に、
「殿の御飼ひなされ候(さふらふ)鳥を、植込に住ひする狐がとりたるとて、御腹立遊ばし候事、御尤もに候へども、さりながら、さにはあらず、他の狐がわざなり。すなはち、成敗して差上げ候はんまゝ、明日(あす)の狐狩は、御赦し給ふやうに賴み奉る。」
由、現(うつゝ)の如く見えしかば、
『ふしぎなる夢を見申したるものかな。』
と思ひながら、かくともいはで、其の日は暮れぬ。
扠(さて)、その日は、殿に、客人(まらうど)、しげく有りしかば、狐狩も、沙汰なくて過ぎぬ。
又、其の夜(よ)の夢も、同じく見えて、
「情(なさけ)なき事よ、ゆうべの程、御詫言(おわびこと)を申すに、訴へも給はらぬことよ、御客人あればこそ、昨日の命は助かりたれ、明日は、すでに、御成敗、きはまりぬ。」
と、二夜(ふたよ)まで、有り有りと見えしかば、餘りの事の不思議さに、御前(ごぜん)に參り、此の由を、こまごまと、申し上ぐる。
殿も、
「今夜、不思議の夢を見つるなり。さらば、まづ、今日の狩をば、やめよ。」
と宣(のたま)ひける。
扠(さて)、明くるつとに、大きなる狐、五匹を殺して、緣に、もておくと、なん。
これは、昔物語のたぐひにはあらぬを、不思議なるまゝに書きつけ侍るとぞ。
[やぶちゃん注:湯浅佳子氏の論文「『曾呂里物語』の類話」(『東京学芸大学紀要』二〇〇九年一月発行第六十巻所収)によれば、これは鎌倉中期に成立した説話集「古今著聞集」の「變化」の中の一章「大納言泰通、狐狩を催さんとするに、老狐夢枕に立つ事」を先行類話として挙げておられる。古典テクスト・サイト「やたがらすナビ」のこちらで、新字であるが、電子化されたものが読める。
「寬永八年ひつじのとし」寛永には、八年辛未(一六三一年)と、二十年癸未(一六四三年)がある。
「白鴈(はくがん)」カモ目カモ科マガン属ハクガン Anser caerulescens 。カナダ北部・アラスカ州・ウランゲリ島・シベリア東部で繁殖し、冬季になると、北アメリカ大陸西部へ南下して越冬するが、日本には、越冬のため、極く稀れに冬鳥として飛来する。
「つと」「つとめて」の縮約。早朝。夜明け方。]
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