西播怪談實記 東本鄕村太郞左衞門火熖を探て手靑く成し事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。本文はここから。]
○東本鄕村太郞左衞門火熖(くわゑん)を探(さぐり)て手靑く成《なり》し事
佐用郡東本鄕村に太郞左衞門といひし古き農人(のうにん)在《あり》しが、家產、乏しからずして、奴婢(ぬひ)も數多(あまた)召《めし》つかひけり。
元錄年中[やぶちゃん注:一六八八年から一七〇四年まで。]の或九月上旬の事成しに、所用に付《つき》、近村《きんむら》へ行《ゆき》、夜更て歸《かへり》しが、折あしく、雨、そぼふりて、くらき夜なれとも、年比、通馴(かよひなれ)たる道なれば、笠をさして、そろりそろりと歸しに、とある藪陰(やふかけ)にて、火のもゆるを見て、
『是なん、聞及《ききおよび》し火熖なるべし。今夜は、慥に見屆くべし。』
と思ひ、足音もせぬやうに步行(ありき)、今、三、四間[やぶちゃん注:五・四五~七・二七メートル。]と思ふ時、
「はた」
と消て、跡形(あとかた)も見へず。
『又、燃(もえる)事もや。』
と暫(しはし)待(まち)けれども、たゝ、虫の声斗《ばかり》なれば、
「さては。待《まつ》とも、詮(せん)、有《ある》まし。寔《まこと》の火熖ならば、其所、煖(あたゝか)なるべし。若(もし)、狐狸(きつねたぬき)の業(わざ)ならば、何の子細も有まし。」
と、彼所《かしこ》にいたり、
『慥《たしか》、此あたり。』
と思ふ所を探𢌞(さくりまはせ)とも、それと思ふ斗《ばかり》の事もなけれは、我屋(わかや)へ歸(かへり)てぞ、臥(ふし)にける。
かくて、翌朝(よくてう)、起(をき)て、手水(てうず)に懸《かかり》て、見れは、左右(さう)の手の肘(ひち)より先、眞靑(まあを)に成て在《あり》。
「さては。夜部(よんべ)の火熖の所を撫(なて)たるゆへ。」
と、洗(あらへ)とも落(をち)ず。
二、三日は、其色、はげゆざりしが[やぶちゃん注:ママ。「剝げなかったが」「消えなかったが」。]、段々、薄(うすく)成て、後《のち》には、失《うせ》ける、となん。
予が緣家(ゑんか)にて、慥に聞ける趣を書傳ふ者也。
[やぶちゃん注:「佐用郡東本鄕村」今回、兵庫県立歴史博物館作成になる「ひょうご伝説紀行 妖怪・自然の世界」(PDF)を見つけた(本話が紹介されてある)。それによれば、ここは現在のの佐用町上本郷、及び、下本郷の附近とあった(グーグル・マップ・データ)。]
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