「曾呂利物語」正規表現版 第二 七 天狗の鼻つまみの事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にし、さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今回は、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正せず(裏写りを消すと、絵の中の複数の人物の表情が、ひどくみえにくくなってしまうため)適切と思われる位置に挿入した(ここ(左丁)がそれ)。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]
七 天狗の鼻つまみの事
參河國(みかはのくに)に「だうしん」といふ坊主、萬(よろづ)に付け、恐ろしきといふこと、露ほども、なかりしこそ、不審なれ。
平岡の奧に、一つの宮、有りけるに、此所(こゝ)は、人跡絕えて、深山幽谷なれば、いつしか、宮(みや)つ子も、いづちともなく失せて、跡を、とどめず。
しか、しけるほどに、「だうしん」、社僧となりて、年月(としつき)、仕へ侍りしが、糧料(かてれう)など、乏しくて、有りけり。人家まで程遠しといへども、心ざし有る人にたよりて、齋(とき)・非時(ひじ)を乞ひ侍る。
ある時、在所に出でて、暮れ程に歸り侍りけるに、寺近き所に、死人(しにん)、有り。
道のほとりなりければ、腹、蹈(ふ)みて通るに、彼(か)の死人、坊主の裾をくはへて、引きとどむ。
立ちもどり、腹をおさへければ、放しけり。
『蹈みけるとき、口を開き、足を擧(あ)げたるに、くはへ侍る。さも、有りぬべき事。』
と思ひ、通りしが、
『何者なれば、路頭に、斯(か)く。』
と、不審におぼえ、
『まづ、夜(よ)、あけば、取り置き侍らん。』
と思ひ、寺の門前なる大木(たいぼく)に、したたかに縛(いまし)め置き、「だうしん」は、内に入りて、いね侍る。
夜更けて、
「だうしん、だうしん、」
といふもの、有り。
例の、萬に驚かぬ者なれば、ねぶさに、音(おと)もせでゐたり。
されども、彼(か)のもの、呼びやまで、
「我を、何(なに)とて、縛りけるぞ、解けや、解けや、」
といへども、猶、とりあはず。
「さらば、解かん。」
とて、繩を、
「ふつふつ」
と、切りて、寺に入り、戶、二重(ふたへ)を入(い)りける時、
「何者なれば、憎(にく)し。」
とて、太刀を拔き、はひる所を斬りけるが、右の腕を、節(ふし)の際(きは)より、
「ふつ」
と、切り落とす。
「あ。」
といふ聲より、姿も、見えずなりぬ。
程なく、五更の空も明けにけり。[やぶちゃん注:「五更」午前三時から五時までの間。ここは既に曙の頃。]
彼(か)の社(やしろ)に、朝な朝な、詣でくる老女の有りけるが、いつも、音づれ侍るが、此の度(たび)も來たりて、云ふやう、
「今夜(こよひ)、御坊(おばう)さまは、恐ろしき事に逢はせ給ふよし、聞き侍る。まことか。」
と云ふ。
「いやいや、恐ろしくはなく候ふが、過ぎし夜、しかじかの事、侍る。」
と語り、
「その手を、見せ給へ。」
と云ひけるほどに、取り出(いだ)し見せければ、
「我等が手にて、はべる。」
とて、我が手に、さし接(つ)ぎ、門外へ出でけると思へば、又、もとの暗闇(くらやみ)になりぬ。
此の時にこそ、初めて驚き、消え入るばかりに成りにけり。
次第に、夜(よ)、あけて、いつもの老女が來たつて、音づれければ、人心地、おはせざりけるほどに、在所に行つて、人、多く、呼び寄せ、養生しければ、生き出でぬ。
それより、此の坊主、世の常の臆病になりて、此所(こゝ)にもゐ侍らざりしとかや。
「常に自慢しける故、天狗の、鼻を、つまみける。」
とぞ。
何事によらず、よろづ、高慢なる者、わざはひに逢へること、これに限るべからず。
[やぶちゃん注:時制を眩惑して騙すというところが、実にワイドな幻術として読者に意外感を与える。「諸國百物語卷之一 三 河内の國闇峠道珍天狗に鼻はぢかるゝ事」と、「宿直草卷二 第六 女は天性、肝ふとき事」は本篇のインスパイア。後者は、主人公を男の元に通う女の疑似的怪異体験に変え、それを物理的現象として説明し、それを別に現実的に、本来の女性が汎用属性として持っている(と筆者の主張するところの)現実に対する先天的な〈肝の太さ〉という〈女の本性の恐ろしさ〉への指弾(というか、その「げに恐ろしきは女の本性」というホラー性という点では立派に怪談ではある)というテーマへとずらしてある。
「平岡」岩波文庫の高田氏の注に、『不詳。三河一の宮に近い平尾村(現豊川市)の誤記か』とされる。愛知県豊川市平尾町はここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。豊川の市街の北西であるが、南を除く三方は元山間である。「ひなたGPS」の戦前図を参照されたい。もしここならば、「奥」にある「宮」としては、現存するものでは、この稲束(いねづか)神社(グーグル・マップ・データ航空写真)が候補となろうか。近くに寺もある(江戸時代までは神社は別当寺を持つのが普通であり、廃れた社祠の管理を寺が請け負うのは普通であった)。但し、現社地は昭和三(一九一八)年に移されたものとあり、それ以前の元地は判らない。しかし、グーグル・マップ・データのサイド・パネルの境内地写真を見るに、それほど新しくは見えないし、山奥では全くないが、それらしい淋しい雰囲気はある。
「宮(みや)つ子」神主。
「齋(とき)・非時(ひじ)」ここは「僧侶の食事・その糧」の意。狭義のそれは以下。仏教僧は原則、食事は午前中に一度しか摂れないとされ、それを「斎時(とき)」と呼ぶ。実際には、それでは身が持たないので「非時」と称して午後も食事をした。
「節(ふし)の際(きは)」肘を指す。
「天狗の、鼻を、つまみける」同前の高田氏の注に、『天狗が来て、自慢の鼻をひしぎ折った』とある。]
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