早川孝太郞「三州橫山話」 「村に缺けていた辨天樣」・「張切りの松」・「ヒチリコウの樹(木犀)」・「楠の柱の家」
[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここから。]
○村に缺けてゐた辨天樣 字仲平にある辨天の祠《ほこら》は、矢張天明年間に建てたさうですが、最初の動機は、村に樣々な神樣の祠が一通り揃つたに拘らず、辨天樣だけが未だ缺けていたので、欲しくて堪らないで、豐川の三明寺《さんみやうじ》から迎へて來て祀つたものだと謂ひます。
[やぶちゃん注:「字仲平にある辨天の祠」「仲平」は横川仲平(グーグル・マップ・データ)。「早川孝太郎研究会」の早川氏の手書き地図の左中央に『辨天祠』とあるのが、それ。現在、「滝坂弁財尊天」として国道四二〇号脇にある(グーグル・マップ・データ航空写真)。サイド・パネルに十枚の写真があるので見られたい。『早川孝太郎「猪・鹿・狸」 狸 十二 狸か川獺か』でも言及されてある。
「天明年間」一七八一年から一七八九年まで。
「豐川の三明寺」愛知県豊川市豊川町(とよかわちょう)波通(はどおり)にある曹洞宗龍雲山妙音閣三明禅寺(グーグル・マップ・データ)。「豊川弁財天」の通称で知られる。]
○張切りの松 此辨天樣の祠の傍《そば》の路傍に、張切りの松と言ふのがあつて、此松に注連繩《しめなは》を張つて、村へ惡疫の入らぬ豫防をしたと謂ひます。此處には、馬頭觀音や、村中安全などの碑が立つてゐて、愛宕神《あたごがみ》の祠などもあつて、橫山の北の端になつてゐました。
[やぶちゃん注:「早川孝太郎研究会」の早川氏の手書き地図の左中央の「辨天祠」の道を隔てた山側に『張切の松』と『道祖神』とあって、その少し奥に『愛宕神祠』ともある。ストリートビューで国道四二〇号脇の「張切の松」のあった位置に表示版が認められ、その右手すぐ近くには、馬頭観音らしき石像を暗がりに垣間見ることも出来る。]
○ヒチリコウの樹(木犀) 字仲平にヒチリコウと云ふ大樹がありました。花の香りが、七里の遠くまで香ると謂つて、名があると謂ひました。夏菜莉花《まつりくわ》に似た黃色い花を持つて花の盛りには、風の吹き𢌞しによつて、約一里を隔てた長篠の小學校の邊りまで、其香が聞かれたと謂ひます。樹の下に立つと、眞《まこと》に咽《むせ》るやうで、無數の虻や蜂が集まつてゐて、黃《きい》ろい花のこぼれが、あたり一面に敷いたやうになつて、其上を步くのは惜しいやうだなどゝ謂ひました。明治三八九年頃、其頃盛《さかん》に流行し出した養蠶に香りが害があると謂つて伐り倒されてしまつて、あとは芽も出なくなりました。
[やぶちゃん注:「ヒチリコウの樹(木犀)」「七里香」で、ここでは双子葉植物綱シソ目モクセイ科オリーブ連モクセイ属モクセイ変種キンモクセイ Osmanthus fragrans var. aurantiacus のことと思われる。但し、単に「木犀」と言った場合は、原種であるモクセイOsmanthus fragrans を指す(孰れも中国原産)。しかし、恐らく本邦で好まれ、最も分布を広げていて、香りが強いのは、圧倒的にキンモクセイであるから、そちらに比定しておく。また、「七里香」という別名は、現行では、双子葉植物綱フトモモ目ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属ジンチョウゲ Daphne odora の異名として知られているので、注意が必要である。
「菜莉花」本邦には自生せず、インド・スリランカ・イラン・東南アジアなどに自生植生するモクセイ科 Jasmineae 連ソケイ(素馨)属 Jasminum のジャスミン類の内、概ねマツリカ(アラビアジャスミン) Jasminum sambac を指す。
「明治三八九年」一九〇五、六年。]
○楠の柱の家 この七里香の樹のあった家を仲平と呼んでゐて、隣の北平と云ふ家と共に、元祿年間に早川孫三郞と云ふ家から分れたと謂ひますが、一人は田地を所望した爲め、北平と云ふ所に、前に廣い畑を控へて屋敷を造り、一人は立派な家を望んだので、村一番の眺望のいゝ仲平に、全部楠《くすのき》の柱に樫の敷居で家を建て、分家したと謂ひますが、其建物が、十五六年前迄殘つてゐましたが、今は改築したのでありません。
[やぶちゃん注:「元祿年間」一六八八年から一七〇四年まで。]
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