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2023/03/07

柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 妖怪名彙(その8) / ヒトリマ・ヒヲカセ・ミノムシ・キツネタイマツ・テンピ・トビモノ・ワタリビシヤク・トウジ・ゴツタイビ・イゲボ・ケチビ・ヰネンビ・タクラウビ・ジヤンジヤンビ・バウズビ・アブラバウ・ゴンゴロウビ・ヲサビ・カネノカミノヒ

 

[やぶちゃん注:永く柳田國男のもので、正規表現で電子化注をしたかった一つであった「妖怪談義」(「妖怪談義」正篇を含め、その後に「かはたれ時」から、この最後の「妖怪名彙」まで全三十篇の妖怪関連論考が続く)を、初出原本(昭和三一(一九五六)年十二月修道社刊)ではないが、「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で「定本 柳田國男集 第四卷」(昭和三八(一九六三)筑摩書房刊)によって、正字正仮名を視認出来ることが判ったので、これで電子化注を開始する。本篇の分割パートはここから。但し、加工データとして「私設万葉文庫」にある「定本柳田國男集 第四卷」の新装版(筑摩書房一九六八年九月発行・一九七〇年一月発行の四刷)で電子化されているものを使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問な箇所は所持する「ちくま文庫版」の「柳田國男全集6」所収のものを参考にする。

 注はオリジナルを心得、最低限、必要と思われるものをストイックに附す。底本はルビが非常に少ないが、若い読者を想定して、底本のルビは( )で、私が読みが特異或いは難読と判断した箇所には歴史的仮名遣で推定で《 》で挿入することとする。踊り字「〱」「〲」は生理的に嫌いなので、正字化した。太字は底本通り

 なお、本篇は底本巻末の「内容細目」によれば、昭和一三(一九三八)年六月から十月までと、翌十四年三月発行の『民間伝承』初出である。

 以上の十九条は総てが、怪火の怪であるから、長いが、ソリッドに纏めた。

 

ヒトリマ 火取魔といふ名はたゞ一つ、加賀山中溫泉の例が本誌に報告せられたのみであるが(民間傳承三卷九號)、路傍に惡い狐が居て蠟燭の火を取るといふ類の話は諸處にある。果してこの獸が蠟燭などを食ふものかどうか。或は怪物の力で提燈の火が一時細くなるといふ石川縣のやうないひ傳へが、他にもあるのでないかどうか。確めて見たい。

[やぶちゃん注:「火取り魔」当該ウィキを参照。

「果してこの獸が蠟燭などを食ふものかどうか」人間も食用に出来る蜜蝋なら食わぬでもなかろうが、通常の蝋燭を雑食性のホンドギツネか食うとは私にはちょっと思われない。

「怪物の力で提燈の火が一時細くなる」当該ウィキにある、加賀山中温泉の『こおろぎ橋』(ここ)『の近くに姥の懐』(うばのふところ)『と呼ばれる場所があり、夜にここを人が提灯を灯して通ると、提灯の火がまるで吸い取られるように細くなり、そこを通り過ぎるとまた元通り明るくなるという』。『土地の住民からは、この現象は火取り魔という妖怪の仕業と呼ばれており』、当『温泉ではキツネが悪さをしているともいう』。『河童が正体ともいわれる』とあるのを指す。「姥の懐」であるが、choraku氏のブログ「山中温泉のてんこもり」の「姥のふところってどこよの巻」で古地図も示されて推理されておられるので、見られたい。]

ヒヲカセ 火を貸せといふ路の怪が出る場處が、三河の北設樂《きたしたら》郡にはある。昔鬼久左《おにきうざ》といふ大力の男が夜路を行くと、さきへ行くおかつぱの女の童がふりかへつて火を貸せといつた。煙管を揮つて打据ゑようとして却つて自分が氣絕してしまつた。淵の神の子であつたらうといふ(愛知縣傳說集)。或はこれとは反對に、夜分人が通ると提燈のやうな火が出て送つて來るといふやうな所もあつた。或村の古榎の木の下まで來ると消える。それでその古木を伐つてしまつたら出なくなつたといふ(同上)。

[やぶちゃん注:「北設樂郡」愛知県の北東部の郡名。旧域は当該ウィキ地図を見られたい。

「愛知縣傳說集」国立国会図書館デジタルコレクションの愛知県教育会編で郷土研究社昭和一二(一九三七)年刊の原本のここの「59 龜淵の河小僧(北設樂郡)」で視認出来る。但し、主人公の「鬼久左」はそちらでは、『鬼久左右衞門』であり、前の「58 山犬(北設樂郡)」にも登場しており、本名は『小石久右衞門、俗に鬼久右衞門と言ふ名の三人力又五人力といはれる力持』ちであったとある。

「夜分人が通ると提燈のやうな火が出て送つて來るといふやうな所もあつた。或村の古榎……」同原本のここの「65 おくり火(寶飯郡)」である。]

ミノムシ 越後では評判の路の怪で或は鼬のしわざともいふ。小雨の降る晚などに火が現れて蓑の端にくつゝき、拂へば拂ふほど全身を包む。但し熱くはないといふ(西頸城郡鄕土史稿二)。信濃川の流域にはこの話が多く、或はミノボシともいふ。多人數であるいて居ても一人だけにこの事があり、他の者の眼には見えない(井上氏妖怪學四七九頁)。[やぶちゃん注:底本に句点はないが、おかしいので、「ちくま文庫」版で補った。]雨の滴が火の子のやうに見えるのだともいふ(三條南鄕談)。越前坂井郡でも雨の晚に野路を行くとき、笠の雫の大きいのが正面に垂れ下り、手で拂はうとすると脇へのき、やがて又大きい水玉が下り、次第に數を增して眼をくらます。狸のしわざといひ、大工と石屋とにはつかぬといふのが珍しい(南越民俗二)。秋田縣の仙北地方で蓑蟲といふのは、寒い晴れた日の早天に、蓑や被り物の端についてきらきら光るもので幾ら拂つても盡きないといふから、これは火では無い(旅と傳說七卷五號)。利根川圖誌に印旛沼のカハボタルといつて居るのは、これは夜中に出るので火に見えた。これも越後のミノムシと同じものだらうといつて居る。

[やぶちゃん注:ウィキの怪火(擬似も含む)「蓑火」(みのび)を参照されたいが、そこでは冒頭に『近江国(現・滋賀県)彦根に伝わる怪火』とするが、ここの「越後」は、「概要」部に、『同種の怪火は各地に伝承があり、秋田県仙北郡、新潟県中蒲原郡、新潟市、三条市、福井県坂井郡(現・坂井市)などでは蓑虫(みのむし)、蓑虫の火(みのむしのひ)、蓑虫火(みのむしび)、ミノボシ、ミーボシ、ミームシなどという。信濃川流域に多いもので、主に雨の日の夜道や船上で蓑、傘、衣服に蛍状の火がまとわりつくもので、慌てて払うと』、『火は勢いを増して体中を包み込むという。大勢でいるときでも一人にしか見えず、同行者には見えないことがあり、この状態は「蓑虫に憑かれた」と呼ばれる。逆に居合わせた人々全員に憑くこともあり、マッチなどで火を灯すか、しばらく待てば』、『消え去るという。中蒲原郡大秋村では、秋に最も多く出るという』とあることで、問題ない。

「井上氏妖怪學四七九頁」国立国会図書館デジタルコレクションのここ(479ページ)の同原本の左ページ五行目から視認出来る。かなり長く、485ページ末まで続く。所持する一九九九年柏書房刊の「井上円了・妖怪学全集」では第一巻の「妖怪学講義」の「第二 理学部門」の五三三ページ以降に載っている。電子化してもいいが、長過ぎるこれは、科学的に妖怪殲滅を標榜する円了が大嫌いな柳田國男には不愉快だろうから、敢えてやめておく。是非と懇望されれば、当該部を別記事で電子化するので、ご連絡戴きたい。

「三條南鄕談」『日本民俗誌大系』第七巻(北陸)に載る外山暦郎著「越後三条南郷談」である。国立国会図書館デジタルコレクションの同書の「怪火」の章の「蓑虫」の項である。

「寒い晴れた日の早天に、蓑や被り物の端についてきらきら光るもので幾ら拂つても盡きない」これは所謂、「ダイヤモンド・ダスト」のことであろう。

「利根川圖誌に印旛沼のカハボタルといつて居るのは、これは夜中に出るので火に見えた。これも越後のミノムシと同じものだらうといつて居る」「埼玉県立図書館」デジタルライブラリーのビューア版の第四巻11コマ目から「利根川圖志」(医師赤松宗旦が著した利根川中・下流域の地誌。安政五(一八五八)年刊)原版本の当該部が読める。非常に読み易いが、本書は私の愛読書でもあるので、電子化しておく。私は使い勝手のいいPDF一括版を用いた。「﹆」があるが、句読点・記号を私の判断で変更・追加した。読みは一部に留めた。下線は原本では二重右傍線。臨場感がある文章なので、読み易さも考え、段落を成形した。【 】は二行割注。

   *

カハボタル 俚言にカハボタルといふものあり。亡者の陰火なる由。

 形ち、丸くして、大さ、蹴鞠の如く、光りは螢(ほたる)火の色に似たり。夏秋の夜、あらはるゝ。雨の夜は、至つて、多し。水上、一、二尺離れて、いくつも出(いで)て、遊行するが如し。或は聚り、或は散じ、又は髙く、また、低く、はしる時は、矢のごとし。久雨(きうう)の節(せつ)は、夜な夜な、多く、是を見る。また、花嶋山[やぶちゃん注:「はなしまやま」。この条の後に出る通り、印旛沼の中にあった島の旧名。そこで既に『今は田畑となれり。島の廽(めぐ)り一里といへり。此絶頂にむかし寺あり大日本寺といふ。今は不動堂と篭り堂のみ殘れり』とある。「今昔マップ」を調べたが、旧地は見当たらなかったが、「利根川図志」の前の方に出る(一括版7コマ目)の絵図の「筑波山」と「吉高」の配置から推定すると、この中央附近にあったのではないかと踏んだ。]へ龍燈(りやうとう)の上ることあり。[やぶちゃん注:「龍燈」は南方熊楠の「龍燈に就て」(私の注附き一括PDF縦書版)を参照されたいが、「今昔マップ」の旧印旛沼の全体の形はまさに龍に相応しく、実際に龍伝承が印旛沼にはある。ウィキの「印旛沼の竜伝承」を読まれたい。

 さて、陰火・龍燈のたぐひ、種々(くさぐさ)の書に多く見ゆれど、詳かなるは、春暉[やぶちゃん注:医師で旅行家として多くの機構を残した橘南谿の本名宮川春暉(はるあきら)の名。但し、礼儀上、宗旦は音読みして「しゆんき」と読んでいるはずである。]が見たるとて、「西遊記」にしるしたる『筑紫(つくし)のしらぬ火』、また、越後國新道村(しんだうむら)飯塚氏の咄しを、牧之(ぼくし)老人雪譜[やぶちゃん注:これまた私の偏愛する「北越雪譜」。]に出したる、『頸城郡(くびきごほり)米山(よねやま)[やぶちゃん注:ここ。]の竜燈』なり。

 こゝに又、一竒說を擧ぐ。

 義知[やぶちゃん注:宗旦の本名。]壯年の頃、印旛江の邊(ほと)り、吉髙(よしたか)【「和名抄」に云『印旛郡吉髙』。】にありしとき、頃は五月の末なりしが、朋友(ともだち)來りて云ひけるやう、

「今宵は、そらもはれて、いと靜かなれば、慰みに釣に行べし。」

と、いひけるゆゑ、予も、

『幸(さいはひ)の事なり。』

と思ひ、早速、仕度とゝのへ、二人、連立ち、河岸(かし)に行き、手に手に、小舟に、うち乘り、江の半に至り、朋友(ともだち)の舟と、十間[やぶちゃん注:約十八メートル。]ばかり隔(へだて)て、棹、つき立て、舟を繫ぎ、釣をたれて居(ゐ)たりけるに、最早、子刻(よなか)ともおぼしき頃、俄(にはか)に、空、かき曇り、朦𪱨(もうろう)として、物さびしく、程なく、大風、吹起り、雨、降りいだし、誠に、しんの闇となり、十間計りはなれ居たる朋友の舟も、見えずなりぬ。

『こは、いぶかし。』

と思ふ内、幽(かすか)に、遠き水中より、一つの靑き火、

「閃々(ひらひら)」

と燃(もえ)あがりぬ。

『是なん、かの亡者のカハボタルならん。』

と見居たるに、だんだんと、わが方に近付き來りぬ。

『逃げかへらん。』

と思へども、風、つよければ、舟を動かす事もならず、衣服はぬれて、戰慄(ぞつと)するに、心をしづめ、

『朋友を、呼ばん。』

とすれど、更に声も出(いで)ず。

『如何がはせん。』

と、ためらふ内、カハボタルは、わがふねの舳(へ)さきに乘(のり)たり。

『こは、かなはじ。』

と思へども、すべきやうなく、たゞ、目をとぢて、一心に念佛するのみなり。

 暫(しばらく)して、雨、やみ、風も、ちと靜まりぬれば、こはごはと、目を開き見るに、はや、カハボタルは何𠙚(いづこ)へか消(きえ)うせ、空も、少し晴れて、朋友(ともだち)の舟、もとの𠙚に居たり。

 このとき、はじめて、こゑをいだし、

「今の、カハボタルを、見しや。」

と問へば、

「我も見たれ共、おそろしさに、物も云はず。」

と荅(こた)ふ。

 やうやう、人心地(こゝち)付て、早々、我家にかへり來りぬ。

 翌朝、漁師ども、大勢居たる所にて、右の咄しを、くはしく物語せしに、猟師ども、云けるは、

「其くらゐの事は、度々のことなり。我らは、一昨夜、漁に出しに、彼(かの)カハボタル、我か舟に乘(のり)たり。其時は、大勢ゆゑ、おそろしとも思はず、舟棹(ふなざを)を以て、力に任せ、打たゝきし所、碎(くだ)け散(ちつ)て、舟一面に火となり、塗(ぬり)付けたる如く、その腥(なまぐさ)き叓[やぶちゃん注:「事」の異体字。]、譬(たと)ふべき物なし[やぶちゃん注:「譬」は底本では、「壁」の左上部分を「石」にした字体。表示出来ないので以上に代えた。]。其質(しつ)、油の如く、阿膠(にかは)の如く、ぬるぬる、ひかひかとして、落ず[やぶちゃん注:「おちず」。]。みなみな、打寄り、やうやうと、洗ひ落しぬ。」

と、大勢の物語なり。

 又、其内一人の云ひけるは、

「四、五年以前の叓なるが、われ、或夜、投網(とあみ)うちの艫漕(ともこぎ)に出でし所、彼(かの)カハボタル、いくつともなく出來り、舟近く、ふはふはと、飛(とび)めぐる。網とりは剛氣(かうき)の男ゆゑ、此時、小声にて、我に、さとしければ、我も、うなづきながら、舟を廽(めぐ)らし、かのカハボタルを、追ひかけまはす。網とりは、あみを小脇に引かまへ、舟の舳(へ)さきに突立(つゝたち)あがり、手頃(てごろ)を見さだめ、『こゝぞ。』と網を投(うち)ければ、按(あん)にたがはず、カハボタル一ツを、打かぶせぬ。其時も、腥きこと、いはん方なく、網の中は、一面に、青き火となり、ぬるぬるして、落(おち)ず。いかんともすべきやうなく、手にて、もみ洗ひければ、其手、二、三日も腥かりし故、一昨夜も、大勢にて、舟を洗ひしが、我は以前にこりて居(おり)しゆゑ、それと云はず、手を付けざりし。」

と、いひて、大に笑ひぬ。

 かのカハボタルといふものを生捕りて、その形質をあらはししは、印旛江の猟師なるべし。

   *

個人的には、潰すと腥く、臭いが残るというのは、ホタル類の属性と一致するし、淡水の水辺で多量に発生し、夜間に発光し、しかも飛翔するのは、それ以外には考えられない。]

キツネタイマツ 狐火と同じものらしいが、羽後の梨木羽場といふ村では、何か村内に好い事のある際には、その前兆として數多く現れたといつて居る(雪の出羽路、平鹿《ひらか》郡十一)。どうして狐だといふことが判つたかゞ、寧ろより大きな不思議である。中央部では普通に狐の嫁入といふが、これは行列の火が嫁入と似て居て、どこにも嫁取が無いからさう想像したのであらうが、それから更に進んで、狐が嫁入の人々を化かし、又は化けて來たといふ話も多く出來て居る。

[やぶちゃん注:「羽後の梨木羽場」秋田県横手市十文字町梨木羽場下(なしのきはばした)附近。

「雪の出羽路、平鹿郡十一」国立国会図書館デジタルコレクションの『秋田叢書』第七巻のこちらにやっと見つけた(「○梨木羽奈場村(一)」の「○古名字地」の末尾)。左ページ一行目半ばから。『きつね松明(たいえまつ)』とあり、『村に幸なる事あれば、數もしらず千々の狐火を燭(とも)す』とあって、これは半端ない凄い数だ。因みに、私の父は敗戦直後、考古学調査に行った鬼石(おにし:群馬県藤岡市鬼石)で実際の山を登ってゆく狐火の列を目撃している。泊った村の人がそう教えて呉れたそうである。]

テンピ 天火。これは殆と主の知れない怪火《くわいくわ》で、大きさは提燈ほどで人玉のやうに尾を曳かない。それが屋の上に落ちて來ると火事を起すと肥後の玉名郡ではいひ(南關方言集)、肥前東松浦の山村では、家に入ると病人が出來るといつて、鉦を叩いて追出した。或はただ單に天氣がよくなるともいつたさうである。

[やぶちゃん注:当該ウィキを参照されたい。

「肥後の玉名郡」旧郡域は当該ウィキの地図を見られたい。

「南關方言集」不詳。この「南關」というのは。熊本県玉名郡南関町のことであろう。当該書籍は確認出来なかった。

「肥前東松浦」郡域は当該ウィキの地図を見られたいが、「山村」とあるから、これは現在の唐津市の南東部の、この中央附近と考えるのが妥当であろう(グーグル・マップ・データ航空写真)。]

トビモノ 光り物といふ言葉は中世には色々の怪火を呼んで居る。この中には流星もあり、又もつと近い處を飛ぶ火もあつた。茨城縣北部では現在も飛び物といつて居る。蒟蒻玉が飛びものになつて光を放つて飛ぶことがあるといふ。山鳥が夜飛ぶと光つて飛びものとまちがへることがあるともいふ。京都でも古椿の根が光つて飛んだといふ話などが元はあつた。

[やぶちゃん注:所持する柴田宵曲編「奇談異聞辞典」(二〇〇八年「ちくま学芸文庫」刊)に二箇所の記載がある(柴田はパブリック・ドメイン。私は既にブログ・カテゴリ「柴田宵曲」で彼の「妖異博物館」の正・続の総ての電子化注を終わっている)。

   *

 飛物(とびもの) 〔反古のうらがき巻一〕四ツ谷裏町〈東京都新宿区内〉の与力某打寄りて、棊(ご)を打ちけるが、夜深けて各〻(おのおの)家に帰るとて立出しに、一声がんといひて光り物飛び出で、連立ちし某がながしもとあたりと思ふ所へ落ちたり。直に打連れて其所に至り、挑燈(ちょうちん)振りてらして尋ねけるに、何もなし。明(あく)る朝主人立出て見るに、流し元のうごもてる土の内に、ひもの付きたる真鍮の大鈴一ツ打込みてあり。神前などにかけたる物と覚えて、ふるびも付きたり。かゝる物の此所に打捨て有るべき道理もなければ、定めて夜前の光り物はこれなるべしと云へり。この大鈴何故光りを放して飛び来けるや、その訳解しがたし。天保初年の事なり。この二十年ばかり前、十月の頃八ツ時(午後二時)頃なるに、晴天に少し薄雲ありて、〈鈴本桃野〉が家より少々西によりて、南より北に向ひて、遠雷の声鳴渡りけり。時ならぬこととばかり思ひて止みぬ。一二日ありて聞くに、早稲田と榎町〈共に新宿区内〉との間、とゞめきといふ所に町医師ありて、その玄関前に二尺に一尺ばかりの玄蕃石(げんばいし)[やぶちゃん注:長方形の板石。敷石又は蓋石に用いる。]の如き切り石落ちて二つに割れたり。焼石と見えて余程あたゝかなり。其所にては響も厲(はげ)しかりしよし。浅尾大嶽その頃そのわたりに住居して、親しく見たりとて余に語る。これも何の故といふことをしる者なかりし。後に考ふるに、南の遠国にて山焼ありて吹上げたる者なるべし。切石といふも方直に切りたる石にてはなく、へげたる物なるべし。

   *

 白昼の飛び物(はくちゅうのとびもの) 〔梅翁随筆巻八〕己未の十月十四日、天気快晴にて風もなく、霞めるごとくにて、さながら二三月頃にことならず。この日大坂にて、淀川の方より天王寺の方へ、蜘蛛の巣のごときもの、先は丸くかたまりたる物、いくらといふ事なく引つゞき飛行、落ちんとしてまた上りて行く多し。その中に一ツ二ツ地に落ちたるを取て見るに、全く蜘蛛の囲[やぶちゃん注:「ゐ」。]のごとくにて、その糸よほど太し。掌に入れてもめば、皆消え行きて跡にものなし。この日昼頃より飛びはじめて、昼過ぐる頃ことに多く飛びて、八ツ時半(午後二時)頃にいたりてやみぬ。何ゆゑといふ事を知らず。翌日も天気昨日のごとく快晴なり。風は少々あり。きのふみぬ人も多ければ、朝とくより暮れがたまで心がけ居たれども、いさゝかの飛ものもなし。これらの事は、いかなるゆゑならんといぶかし。

   *

UFO研究家の私としては、後者はまさに「エンジェル・ヘア」である。御存じない方は、「カラパイア」の「UFOの目撃情報と関連して報告されるエンジェルヘア現象とは?」を見られたい。UFO絡みでは、一九五二年のフランスのオロロンで発生した事件が最も知られる。「exciteニュース」の『UFO出現で降り注ぐ粘着物質「エンジェルヘア」とは? 1500年間で225例、科学者も熱視線』を読まれたい。]

ワタリビシヤク 丹波の知井の山村などでは光り物が三種あるといふ。その一はテンビ、二は人ダマ、三はこのワタリビシャクで蒼白い杓子形のものでふわふわと飛ぶといふ。名の起りはほゞ明らかだが、何がこれになるのかは知られて居ない。

[やぶちゃん注:「丹波の知井」現在の京都府美山町地区。]

トウジ 暴風雨中に起る怪光をトウジといふ(土佐方言の硏究)。不明。

[やぶちゃん注:「土佐方言の硏究」高知県女子師範学校郷土室編・昭一一(一九三六)念高知県女子師範学校刊。国立国会図書館デジタルコレクションの原本のこちらの方言リストの中に「トージ」として出る。]

ゴツタイビ 鬼火のことゝいふ(阿山《あやま》郡方言集)。

[やぶちゃん注:「阿山郡方言集」阿山は三重県にあった旧郡。旧郡域は当該ウィキを見られたい。三重県西北部端である。本書は正しくは明治三七(一九〇四)年阿山郡教育会編刊の「阿山郡方言訛語集」である(日文研「怪異・妖怪伝承データベース」の「ゴッタイビ」で確認)。]

イゲボ 伊勢度會《わたらひ》郡で鬼火をイゲボといふ。他ではまだ耳にせぬので、名の由來を想像し難い。

[やぶちゃん注:「伊勢度會郡」旧郡域は当該ウィキを見られたい。]

キカ 薩摩の下甑島《しもこしきじま》で火の玉のことだといふ。大きな火の玉の細かく分れるものといふ。鬼火の漢語がいつの間にか、こんな處に來て土着してゐるのである。

[やぶちゃん注:「下甑島」鹿児島県薩摩川内(さつませんだい)市下甑島。]

ケチビ 土佐には殊にこの話が多い。大抵は人の怨靈の化するものと解せられて居る(土佐風俗と傳說)。竹の皮草履を三つ叩いて喚べば近よるといひ(鄕土硏究一卷八號)、又は草履の裏に唾を吐きかけて招けば來るといふのは(民俗學三卷五號)、もとは人の無禮を宥《ゆる》さぬといふ意味であつたらしい。佐渡の外海府にも人魂をケチといふ語がある。

[やぶちゃん注:「土佐風俗と傳說」寺石正路編。国立国会図書館デジタルコレクションで『爐邊叢書』二十七のここから読める。柳田の記載は短いが、原本では「其七 怪火火玉」で膨大な「怪火(けちび)」の記載が読める。

「佐渡の外海府」大佐渡の大陸側の約五十キロメートルの長大な海岸線を指す。]

ヰネンビ 沖繩では亡靈を遺念と呼び從つて遺念火の話が多い(山原《やんばる》の土俗)。二つの注意すべき點は、大抵は定まつた土地と結び付き、さう自由に遠くへは飛んで行かぬことゝ、次には男女二つの靈の火が、往々つれ立つて出ることである。これは他府縣でもよく聽く話で古い形であらうと思ふ。但し亡靈火と現在よばれて居るのは、專ら海上の怪火《くわいくわ》のことで、これは群を爲し又よく移動する。

[やぶちゃん注:「ヰネンビ」とあるが、沖縄方言では「いにんびー」である。日文研「怪異・妖怪伝承データベース」の「イニンビー」で確認した。そこには百『年くらい前に美しい娘がいて、若者と恋に落ちた。それを島の若者たちに囃したてられた娘は、恥ずかしさと驚きから、崖から落ちて自殺した。それをみた恋人の若者も後を追って自殺した。浮かばれない二人の怨霊が遺念火の由来である』という悲恋譚がちゃんと記されてある。同様に「亡靈火」という語も出典を明らかにして欲しかった。甚だ不満である。]

タクラウビ 備後御調《みつぎ》郡の海上に現れるといふ怪火で、火の數は二つといふから起りは「比べ火」であらう。藝藩通志卷九九に見えて居るがこの頃はもういはぬやうである。藝備の境の航路には又京女郞筑紫女郞といふ二つの婦人の形をした岩の話などもあつて、もとは通行の船の信仰から起つたことを想像せしめる。

[やぶちゃん注:「備後御調郡」「ひなたGPS」で旧「御調郡」を中央にポイントした。この海岸部である。

「藝藩通志卷九九」国立国会図書館デジタルコレクションの活字本のここで視認出来る。下段の「多久良火」であるが、柳田の紹介は杜撰。かなりちゃんと書かれている。読まれたい。]

ジャンジャンビ 奈良縣中部にはこの名をもつて呼ばれる火の怪の話が多い。飛ぶときにジャンジャンといふ音がするからともいふ。火は二つで、二つはいつ迄も逢ふことが出來ぬといひ、これに伴なふ乙女夫川《めをとがは》・打合ひ橋などの傳說が處々にあつた(旅と傳說八卷五號)。柳本《やなぎもと》の十市城主の怨靈の火と傳ふるものは、又一にホイホイ火ともいふ。人が城址の山に向つてホイホイと二度三度喚ぶと、必ずジャンジャンと飛んで來る。これを見た者は病むといふから(大和の傳說)、さう度々は試みなかつたらうが今でも至つて有名である。

[やぶちゃん注:私の好きな怪火。ウィキの「じゃんじゃん火」を見られたい。

「柳本の十市城」十市城跡は奈良県橿原市十市町のここ。現在の柳本地区(奈良県天理市柳本町(やなぎもとちょう))はその北東に当たる。次注参照。

「大和の傳說」国立国会図書館デジタルコレクションの大和史蹟研究会刊高田十郎ら編の同書の増補版(昭和三四(一九五九)年版)のこちら(「一八九、ホイホイ火 天理市柳本町 (旧磯城郡[やぶちゃん注:「しきぐん」。]柳本町柳本)」)を参照。]

バウズビ 加賀の鳥越村では坊主火といふ火の玉が、飛びあるくことが有名である。昔油を賣る男が惡巧みをして鬢附けを桝の隅に塗つて桝目を盜んだ。その罰で死んでからこの火になつたといつて居る(能美郡誌)。しかし油商人なら坊主といふのは少しをかしい。

[やぶちゃん注:日文研「怪異・妖怪伝承データベース」の「ボウズビ」に、同じ典拠で、『油を売る男が悪巧みをして鬢付け油を桝の隅に塗って桝目を盗んだ。その罰で、男は死んでからこの坊主火になったといわれている。まずは数百の火光列を作ってあちこちにいって、やがて一直線状、そして一個となってから上空に消えたという。しばしば見られるという』とある。国立国会図書館デジタルコレクションの「石川縣能美郡誌」(大正一二(一九二三)年刊)のここで視認出来る。

「油商人なら坊主といふのは少しをかしい」火の玉の形状を坊主頭のミミクリーとするなら、おかしくはあるまい。]

アブラバウ 近江野洲《やす》郡の欲賀(ほしか)といふ村では、春の末から夏にかけて夜分に出現する怪火《くわいくわ》を油坊といふ。その火の焰の中には多くの僧形を認めるといつてこの名がある。昔比叡山の僧侶で燈油料を盜んだ者の亡靈がこの火になつたと傳へられる(鄕土硏究五卷五號)。河内枚岡《ひらをか》の御社に近い姥《うば》が火を始めとしてこの怪し火には油を盜んだ話がよく附いて居る。或は民間の松の火が、燈油の火に進化した時代に、盛んにこの空想が燃え立つた名殘かも知れぬ。越後南蒲原の或舊家に昔アブラナセといふ妖怪が居て家の者が油を粗末に使ふとすぐに出て來てアブラナセ、卽ち油を返濟せよといつたといふ話がある(三條南鄕談)。鬼火では無いがこれと關係があるらしい。以前は菜種は無く皆《みな》胡麻油であつた。つまり今日よりも遙かに貴重だつたのである。

[やぶちゃん注:「近江野洲郡の欲賀」滋賀県の旧郡。郡域は当該ウィキの地図を見られたい。「欲賀」は現在の滋賀県守山市欲賀町(ほしかちょう)。

「三條南鄕談」既出既注の『日本民俗誌大系』第七巻(北陸)に載る外山暦郎著「越後三条南郷談」。国立国会図書館デジタルコレクションの同書の「怪火」の章の「油なせ」の項である。]

ゴンゴロウビ 越後本成寺《ほんじやうじ》村には、五十野《ごじゆうな》の權五郞といふ博徒が、殺された遺念といつてこの名の火の燃える場處がある。今では附近の農家ではこれを雨の兆《きざし》とし、この火を見ると急いで稻架《はさ》を取込むといふ(三條南鄕談)。

[やぶちゃん注:前注のリンク先と同じ個所に所載する。読みはそこに拠った。

「越後本成寺村」現在の新潟県三条市西本成寺。]

ヲサビ 日向の延岡附近の三角池といふ池では、雨の降る晚には筬火(をさび)といふのが二つ出る。明治のなかば迄は折々これを見た人があつた。昔二人の女が筬を返せ返したで爭ひをして池に落ちて死んだ。それで今なほ二つの火が現れて喧嘩をするのだと傳へて居る(延岡雜記)。二つの火が一しよに出るといふ話は、名古屋附近にもあつた。これは勘太郞火と稱してその婆と二人づれであつた。

[やぶちゃん注:「三角池」不詳。一部のネットで心霊スポットとされる金堂(こんどう)ヶ池が候補となるか。

「勘太郞火」ryhrt氏(東洋大学非常勤講師廣田龍平氏)のブログ「妖怪と、人類学的な雑記」の「勘太郎火と勘五郎火」が不審を明らかにして(「その婆と二人づれ」とは勘太郎とその母の霊である)詳細に解説して呉れている。必見!]

カネノカミノヒ 伊豫の怒和(ぬわ)島では大晦日の夜更に、氏神樣の後《うしろ》に提燈のやうな火が下り、わめくやうな聲を聽く者がある。老人はこれを歲德神《としとくじん》が來られるのだといふさうである。肥後の天草島では大晦日の眞夜中に、金《カネ》ン主《ヌシ》といふ怪物が出る。これと力くらべをして勝てば大金持になるといひ、武士の姿をして現れるともいつた(民俗誌)。多くの土地ではこれは一つの昔話だつたやうである。夜半に松明をともして澤山の荷馬が通る。その先頭の馬を斫《き》れば黃金だつたのに、氣おくれがして漸く三番目の馬を斫つたら、荷物は全部銅錢であつて、それでも結構長者になつたなどといつて居る(吾妻昔物語)。

[やぶちゃん注:「伊豫の怒和(ぬわ)島」愛媛県松山市に属する島。ここ

「民俗誌」「天草民俗誌」。浜田隆一著。国立国会図書館デジタルコレクションの『諸國叢書』第一編(昭和七(一九三三)年郷土研究社刊)のここ「(八)金(カネ)ン主(ヌシ)」が視認出来る。

「吾妻昔物語」これは「吾妻むかし物語」か。国立国会図書館デジタルコレクションの『南部叢書』第九冊の同書を見たが、下巻の「第四 瀨川淸助俄に有德に成し事」が、かなり酷似した話柄であるが、柳田國男の梗概とは一致を見ない。或いは、別伝本があるか。]

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