西播怪談實記(ここ以下は恣意的正字化版に変更) 河虎骨繼の妙藥を傳へし事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。しかし、前回の最後の注で述べた通り、これまで底本としてきた「国文学研究資料館」のこちらの写本は実は不全写本で、以下の巻三の七話と卷四総て(全十二話)が載っていない。私自身が完本写本と思い込んで始め、最近になって不完全写本であることに気づいたていたらくであった。しかし、ここで尻切れ蜻蛉で終わらせる気は、毛頭、ない。その昔は原本を見ることが出來ない時、歴史的仮名遣は温存している敗戦直後まで近現代小説でよくやったのだが、以降は、所持する二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」北城信子氏校訂の本文を恣意的に概ね正字化(今までの私の本電子化での漢字表記も参考にした)して続行することとする。凡例は以前と同じで、ルビのあるものについては、読みが振れる、或いは、難読と判断したものに限って附す。逆に読みがないもので同様のものは、私が推定で《 》で歴史的仮名遣で添えた、但し、「巻四」の目録の読みについては、これまでと同様に総て採用することとする。歴史的仮名遣の誤りは同底本の底本である国立国会図書館本原本の誤りである。【 】は二行割注。挿絵は新底本のものをトリミングして適切と思われる箇所に挿入した(底本の挿絵については国立国会図書館本の落書が激しいため、東洋大学附属図書館本が使用されている)。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。
今回は「……」を使用した。]
○河虎(かはとら)骨繼(ほねつぎ)の妙藥を傳へし事
佐用郡、さる御家中より「骨繼の妙藥」を出《いだ》さる。其功、甚(はなはだ)多し。尤《もつとも》、世に、
「河虎の傳(でん)。」
とて、信仰せり。
其所謂(いわれ)を聞(きく)に、寶永の比《ころ》とかや、七月下旬の事成《なり》しに、殘暑、强(つよく)して、駒も廏(うまや)に、けだへければ、野飼(のがい)のため、河邊へ出《いだ》し、木陰の小き柳に繫置(つなぎをき)たり。[やぶちゃん注:「けだへ」は見かけない語である。「けだちければ」なら、「蹴立ちければ」で暑さに上気した馬が、「後ろ足で蹴って起き上がって」「荒々しく立ち上がって」の意でとれるのだが。「氣絕(けだ)へ」なら、「暑さにやられて、ぐったりしてしまう」の意ともとれようか。]
然(しかる)に、駒(こま)、何かはしらず、引《ひき》ずり歸(かへり)て、廠ヘ、一さんに走入(はしりいる)。
仲間、
「何事やらむ。」
と、行《ゆき》てみれば、片隅に、猿のやうなるもの、手綱を身にまといて、かゞみ居《ゐ》る。
駒は、向(むかい)の方にて、息を繼(つぎ)ゐたるを、柱に繫置、彼(かの)ものを、引出《ひきいだ》し、庭の柹(かき)の木に結付(ゆいつけ)て、能々(よく《よく》)みれば……
容(かたち)……猿に似て……猿にあらず……
頭上(づぜう)に……少(ちと)……窪みあり……
髮は……赤松葉のごとくにして……
……大《おほい》サ猿程なり……
「是、聞《きき》及ぶ河虎(かはとら)なるべし。」
と、寄々(より《より》)、評判の最中に、檀那、歸(かへり)て、件(くだん)の子細を聞《きき》、
「己(をのれ)、憎奴(にくきやつ)なり。此川筋(このかはすじ)にて、折々、人も失(うせ)るは、己(をのれ)が仕業(しわざ)なるべし。なぶり殺にしてくれん。」
と大(だい)の眼(め)をいからし、脇差を拔(ぬき)て、右の手を打落(うちをと)せば、河虎、
「しほしほ」
として、淚をながしていふやう、
「我、今日《けふ》、馬を淵へ曳入(ひきいれ)むとして、誤(あやまつ)て引(ひき)ずられきたりて、うきめにあふ。命(いのち)を助(たすけ)給へ。今より、御一門はいふに及(をよば)ず、當村(とうむら)の衆(しう)へ、少(すこし)も手を出《だ》すべからず。」
といへば、旦那、
「其方を殺したりとて、躬(み)が手柄にもならねば、品(しな)により免(ゆる)しても、とらすべし。『誤證文(あやまりしやうもん)』を書(かく)べし。」[やぶちゃん注:「誤證文」「謝り證文」。所謂、「詫び証文」である。]
といふ。
河虎、荅(こたへ)て、
「元來、物書事(ものかくこと)は、ならず。其上、手も、なし。免し給ひ、御慈悲に、先刻、切(きり)給ふ手も、御返し下され。」
といふ。
旦那、
「切たる手をかへしたりとて、繼(つぐ)事も成(なる)まじ。此方(このかた)に置(をき)て己(をのれ)とらヘし印(しるし)とせん。」
といへば、一向(ひたすら)頭(づ)を下(さげ)て、
「是非とも、御かへし下さるべし。罷歸《まかりかへり》候へば、今宵の中(うち)に元の如く繼(つぎ)申す。」
といふ。
旦那、
「其藥(そのくすり)は己(をのれ)が調合するか。」
といへば、
「なるほど、拵(こしらへ)申す。」
といふ。
「しからば、手を戾すべし。其藥方(やくほう)を、我につたへよ。」
といひければ、
「命の代(かはり)なれば、安き事なり。」
とて、人をはらひ、密(ひそか)に祕藥(ひやく)を傳(つたふ)れば、念比(ねんごろ)に認(したゝめ)とりて、彼(かの)手を返し、河虎は川へ送(をくら)せけるが、其後(そのゝち)、其所(そのところ)にては、人も、失(うせ)ず。
「殊更、藥方、奇(き)にして、子孫に傳はりしは、此いはれ。」
と、聞《きき》ふれし趣《おもむき》を書《かき》つたふもの也。
[やぶちゃん注:「河虎」は「河童」類の中国由来(但し、本邦の河童とはヒト型形状の異種幻獣である。ウィキの「水虎」(すいこ)を参照されたい)の別名。「かはこ」とも読む。典型的な河童駒引譚である。私の「柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「河童駒引」(11) 「河童ノ詫證文」(2)」にも引用されてある。柳田國男のその「河童駒引」パートは、私のブログ・カテゴリ「柳田國男」で、ここを初回として全四十一分割で、電子化注してあるので、参照されたい。
「寶永」一七〇四年から一七一一年まで。徳川綱吉・家宣の治世。]
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