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2023/03/17

大手拓次譯詩集「異國の香」 濕氣ある月(アンリ・バタイユ)

 

[やぶちゃん注:本訳詩集は、大手拓次の没後七年の昭和一六(一九三一)年三月、親友で版画家であった逸見享の編纂により龍星閣から限定版(六百冊)として刊行されたものである。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちらのものを視認して電子化する。本文は原本に忠実に起こす。例えば、本書では一行フレーズの途中に句読点が打たれた場合、その後にほぼ一字分の空けがあるが、再現した。]

 

 濕 氣 あ る 月 バタイユ

 

洗濯場の灰色の玻璃窓から、

そこに、 秋の夜の傾くのを見た。

誰かしら、 雨水の溜つた溝に沿うて步いてゆく、

旅人よ、 昔の旅人よ、

羊飼が山から降る時に

お前の行く所に急げよ。

お前の行く所に竃(かまど)火は消えてゐる。

お前がたどりつく國には門が閉ざされてゐる。

廣い路は空しく、 馬ごやしの響(ひびき)は恐ろしいやうに逡くの方から鳴つて來る、

急いで行けよ。

古びた馬車のともしびが瞬いてゐる、

これが秋だらう。

秋はしつかりとして、 ひややかに眠つてゐる、

厨房(くりや)の底の藁の椅子の上に、

秋は葡萄の蔓(つる)の枯れた中に歌つてゐる。

此時に、 見出されない屍、

靑白い溺死者は波間に漂ひながら夢見てゐる。

起り來る冷たさを先づ覺えて、

深い深い甕(かめ)のなかに隱れやうと沈んでゐる。

 

[やぶちゃん注:アンリ・バタイユ(Henry Bataille 一八七二 年~一九二二年)はフランスの詩人で劇作家。ニーム生まれ。美術学校に入り、画家を志したが、二十二歳で文学に転じた。一八九五年、詩人としての処女詩集「白い部屋」(La Chambre blanche)を出し、「美しき航海」(Le Beau Voyage一九〇四年)などを発表したが、評価されず、後に戯曲転校して成功を収め、当該ウィキによれば、『第一次世界大戦前のフランス劇壇の流行児となった』。『生前は』、『現代生活における愛や感情の危機を描いてもてはやされたが、今日では』、『彼の言う「正確なリリシズム」なるものが、不健康な主題や』、『あいまいな境遇を』、『ロマン的な虚飾で飾り立てたものに過ぎないと見なされて』おり、彼の『作品が上演されることは』、『ほとんどない』とある。原詩は発見出来なかった。

 最終行の「隱れやう」はママ。

 なお、本篇は原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年岩波文庫刊)に収録されているのであるが、明かに有意に本篇とは異なった原稿に拠ったものと思われるものであるので助詞・表記(「ゐる」の一部が複数「る」となっている)・句読点・改行違い・行空け(原氏のそれは三連構成。但し、これは原氏が原詩に基づいて行った仕儀の可能性が高いが、そのままそれを採用する)と、明確な異同が、多数、ある)、以下に、以上の本篇をベースとして、その復元(原氏のそれは新字体)を試みる。

   *

 

 濕 氣 あ る 月 アンリ・バタイユ

 

洗濯場の灰色の玻璃窓から、

そこに、 秋の夜の傾くのを見た。

誰かしら、 雨水の溜つた溝に沿うて步いて行く、

旅人よ、 昔の旅人よ、

羊飼が山から降りる時に

お前の行く所に、 急げよ。

 

お前の行く所に竃(かまど)火は消えてゐる。

お前のたどりつく國には門が閉ざされてゐる。

廣い路は空しく、 馬ごやしの響(ひびき)は恐ろしいやうに逡くの方から鳴つて來る。 急いで行けよ。

古びた馬車のともしびが瞬いてる、

これが秋だらう。

 

秋はしつかりとして、 ひややかに眠つてる、

厨房(くりや)の底の藁の椅子の上に、

秋は葡萄の蔓(つる)の枯れた中に歌つてる。

此時に見出されない屍、

靑白い溺死者は波間に漂ひながら夢見てる。

起り來る冷たさを先づ覺えて、

深い深い甕(かめ)のなかに隱れようと沈んでゐる。

 

   *]

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