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2023/03/28

早川孝太郞「三州橫山話」 草に絡んだこと 「ジネン殼(自然殼)」・「ツンバラ(茅花)」・「二股のオンバコ(車前草)」・「蕨の綿で織つた着物」 / 草に絡んだこと~了

 

[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げるが、何故か、以下の四条は同ページには存在しない

 なお、これを以って「草に絡んだこと」は終わっている。]

 

 ○ジネン殼(自然殼) 笹の實を自然殼《じねんから》と謂つてこれがなると、飢饉の前兆であると謂ひます。凡そ五十年程前、これが到る處の根笹は勿論、どんな竹にもなつた事があつたさうですが、貧困者などは每日山へ行つて、此實を採つたといひます。よく臼で搗いて精製すれぱ、麥《むぎ》より味がいゝとも謂ひます。

[やぶちゃん注:「ジネン殼(自然殼)」以下に記されている通り、所謂、「竹の実」「笹の実」である。サイト「笹JAPON」の「竹の実と笹の実・竹の花と笹の花」に詳しいので見られたいが、そこには、『タケ類の開花は珍しく、俗説では』六十『年に一度と言われています』。『そのため、開花は不吉の前兆と考えられることもあります』が、『あくまで俗説であって科学的根拠はありません』とあり、「日本気象協会」のこちらでは、『笹ではおよそ』五十『年』、『マダケの開花は』百二十年とある。私は、小学校を卒業した昭和四五(一九六八)年の三月、今いる鎌倉から富山へ引っ越す直前、家の近くの崖に笹の実が成っているのを見た。母が「不吉だわ。」と言ったのを覚えている。実見はその一度きりで、五十年周期が納得された。

「笹」単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科 Bambusoideaeのうち、その茎にあたる稈(かん)を包んでいる葉鞘が枯れる時まで残るものだけを総称して「笹」と呼んで区別している。但し、ウィキの「ササ」によれば、『タケとササの分類は必ずしも標準和名と一致しない。分類上、ヤダケ』(矢竹:タケ亜科ヤダケ属ヤダケ Pseudosasa japonica)『は稈に皮がついたままなのでササ、オカメザサ』(阿亀笹:タケ亜科オカメザサ属オカメザサ Shibataea kumasaca 。本種の自然個体は稀少)『は皮が脱落するのでタケに分類される』とある。則ち、『植物学上』で『はイネ科タケ亜科のうち、タケ』(竹)『は稈が成長するとともに』、『それを包む葉鞘が早く脱落してしまうものを』指すということである。]

 

 ○ツンバラ(茅花)  子供の頃は茅花《ちばな》を喜んで喰べたものでした。茅花の未だ穗に出ない前、葉に包まれてゐる時、引拔いて喰べるのでした。ツンバラ餅はうまいな、などとは拍子をとつて、澤山掌に丸めて、片々《かたがた》の肘《ひぢ》で搗いて喰べたものでした。茅萱《ちがや》の根は、甘い味がして、虎杖《いたどり》や、スイ葉(酸模)の出來ない前、春先きよく喰べたものでした。

[やぶちゃん注:「茅花」三重県四日市市羽津(グーグル・マップ・データ)地区の「羽津地区公式WEBページ」の『羽津の昔「子どもの遊び」』にある「シバの根」の項に、『「つばな」の出る茅』(ちがや:単子葉植物綱イネ目イネ科チガヤ属チガヤ Imperata cylindrica )『のことを「チワラ」といい、これの根を「シバの根」とか「甘根」とか称して、噛むと甘い味がした。土の中から、白く細い根を掘りだすと、洗いもせず』、『手で土をしごき落としたままで、口に入れて噛み』、『残りの繊維は吐き出した』とあり、ウィキの「チガヤ」にも、『この植物は分類学的にサトウキビ』(イネ科サトウキビ属サトウキビ Saccharum officinarum )『とも近縁で、根茎や茎などの植物体に糖分を蓄える性質がある』。『外に顔を出す前の若い穂はツバナといって』、『噛むとかすかな甘みがあって、昔は野で遊ぶ子供たちがおやつ代わりに噛んでいた』。『地下茎の新芽も食用となったことがある。万葉集にも穂を噛む記述がある』。『晩秋』の十一月から十二月頃に『地上部が枯れてから、細根と節についていた鱗片葉を除いた根茎を掘り起こして、日干しまたは陰干したものは』「茅根(ぼうこん)」『と呼ばれる生薬で、利尿、消炎、浄血、止血に効用がある薬草として使われる』とあった。

「虎杖」ナデシコ目タデ科ソバカズラ属イタドリ Fallopia japonica既出既注

「スイ葉(酸模)」これは前記のイタドリの別名としても用いられるが、標準和名では、ナデシコ目タデ科スイバ属スイバ Rumex acetosa を指す。実は、私は昔から「すっかんぽ」と呼び、畦道で見つけては、好んでしゃぶったのは、イタドリであるよりも、このスイバであった。スイバという標準和名でも呼んだ。もう、四十年以上、噛んでいないな。]

 

 ○二股のオンバコ(車前草) 二股になつて咲いたオンバコ草の油を採つて、其れで火を點《とも》して肺病忠者の枕邊へ行くと、同じ人が二人、枕を並べて寢て居るのが、見えると謂ひます。其内の一人は病氣の精だから、其を刺し殺せぱ、必す病鼠が治るなどゝ謂ひます。

[やぶちゃん注:「オンバコ草」「車前草」(しやぜんさう(しゃぜんそう):漢名)はお馴染みの「大葉子相撲」でよく知られる、スモトリグサ(相撲取り草)、シソ目オオバコ科オオバコ属オオバコ Plantago asiatica である。しかし、ここで早川氏の記された呪的用法は初めて聞いた。]

 

 ○蕨の綿で織つた着物  蕨の綿で織つた着物や羽織があつたと謂ひます。これを着てゐれば、雨の中を步いても、雫が下へ通らぬと謂ひます。

[やぶちゃん注:「蕨」既出既注。これ、なんとなく納得してしまうから不思議。]

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