「曾呂利物語」正規表現版 第三 六 をんじやくの事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。今回はここから。なお、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今回は、同書にあるものが、比較的、状態がよいのでそれをトリミング補正した。]
六 をんじやくの事
信濃國(しなののくに)末木(すゑき)の觀音とて、山の峯に立ちたまふありけり。
此處(こゝ)に、若き者、寄り合ひ、
「さるにても、誰(たれ)れかある。今夜、觀音堂へ行き、明日まで、居(ゐ)侍らん。」
と云ひければ、言葉の下(もと)に、をこの者、一人、
「それこそ易(やす)き事なれ。さらば、我、行きて見ん。」
と、云ひも敢へず、出でぬ。
彼(か)の堂は、人家より、二十四町[やぶちゃん注:二キロ六百十八メートル。]行きて、深山(しんざん)なれば、晝だにも、往來(ゆきき)稀なる所にて、狐狼野干(こらうやかん)の聲ならでは、音する物も、無かりけり。
彼の者、堂の中に入りて、夜(よ)の明くるをぞ、侍ち居たり。
夜半(やはん)過ぐる程になりて、朧月(おぼろづき)に見れば、座頭一人、琵琶箱を負ひて、杖をつき、堂の内に、入り來たる。
不思議に思ひ、
『いかさま、唯者(たゞもの)にては、あらじ。』
と、先づ、
「何者なれば、此處(こゝ)に來れるぞ。」
と云ひければ、
「さては。人の坐(おは)しけるか。其方(そなた)は何人(なにびと)ぞ、我は、此の山に居(ゐ)侍る座頭にて、何時(いつ)も、此の觀音に步みを運び、夜(よる)は聲を使ひ候はん爲(ため)、詣で侍る。常に參り通ひ候へども、人の有りける事は、なし。いと、不審にこそ候へ。」
と、咎めければ、
「云々(しかじか)の仔細有りて、來たりたり。扠(さて)は、よき連れにて侍るものかな。向後(きやうこう)は、我等が方(かた)へも來たり候へ。そんぢやうそこ程(ほど)に、居(ゐ)侍る。」
など語り、「平家」を一句所望しければ、
「易きことなり。」とて、琵琶を調ベて、一句、語りければ、
「世の常、『平家』を聞き侍れども、斯やうの面白き事は、なし。節より始め、音聲(おんじやう)、息つき、中々、目を覺ましたる事どもなり。今、一句。」
と、所望すれば、また、語る。
愈[やぶちゃん注:「いよいよ」。]、感に堪ヘにけり。
「平家」過ぎて後、轉手(てんじゆ)、きしみければ、「をんじやく」を取り出だし、絲(いと)に塗りけるを、
「それは、何と云ふ物ぞ。」
と問ふ。
「これは、『をんじやく』と云ふ物なり。」
「ちと見せ給へ。」
と云ふて、手に取りけるが、左右(さいう)の手に、取り付き、何とすれども、離れず。
手は、板敷きに著(つ)きて、働かざる時(とき)、彼(か)の座頭、長(たけ)一丈もあるらんと覺しく、頭(かしら)は焰立(ほのほだ)ち、夥(おびたゞ)しき口、大きに裂け、角、生(お)ひて、怖ろしとも云はん方なし。
「汝は、何とて、此處に、來たれるぞ。」
とて、首(かうべ)を、顏を、撫(な)で、色々に、なぶり威(おど)して後(のち)、何處(いづく)ともなく、失せぬ。
男は、漸(やうや)う、「をんじやく」を、離しけるが、無念、比(たぐひ)もなくてゐたる處に、松明(たいまつ)の、數(かず)數多(あまた)見えて、人、來たれり。
見れば、宵の座敷に有りつる友達なり。
「やうやう、夜(よ)も明方(あけがた)になれば、迎ひに來たり候。扠(さて)、何事も珍らしき事は、無かりつるか。」
と云へば、
「その事にて候。」
とて、始めよりの事ども、細々(こまごま)と語りければ、皆人(みなひと)、手を打ちて、
「どつ」
と笑ふを見れば、又、件(くだん)の化け物の形なり。
[やぶちゃん注:右上端のキャプションは「しなのゝ国すゑきくわんおんの所」と読める。]
其の時にこそ、消え入りにけり[やぶちゃん注:失神・気絶してしまった。]。
夜明(よあ)けて、人、來たり、漸(やうや)う、氣を付けけれども、見る人每(ごと)に、
「化け物の、來たりて、吾を、誑(たぶらか)す。」
と、のみ、人に云ひて、少時(しばらく)、人の心地も、なかりしが、遂(つひ)には、本性になりて、斯く、語り侍る。
[やぶちゃん注:「諸國百物語卷之三 一 伊賀の國にて天狗座頭にばけたる事」は、コンセプトをほぼ完全転用している。また、「諸國百物語卷之五 四 播州姫路の城ばけ物の事」シチュエーションの一部が類似する。『東京学芸大学紀要』湯浅佳子氏の論文「『曾呂里物語』の類話」(ネットでPDFでダウン・ロード可能)では、他に、「宿直草卷一 第三 武州淺草にばけ物ある事」と、「宿直草卷二 第二 蜘蛛、人をとる事」を類話として挙げておられ、類似度は後者の方が高いとされる。個人的には挿絵の影響からか、前者を、まず、想起はした。
「をんじやく」「溫石」。体を暖める用具。蛇紋石(じゃもんせき)等を温(あたた)め、布や綿に包み、懐(ふところ)に入れるものが普通。軽石や滑石などを火で焼いたり、蒟蒻(こんにゃく)を煮て、代用品にしたりもした。「薬用に用いる、ある種の青い滑らかな小石」(「日葡辞書」)、「夏の温石と傾城の心とは冷たい」(「譬喩尽(ひゆづくし)」三)等と言われた。「塩(しお)温石」「焼石(やきいし・やけいし)」等とともに俳諧の冬の季語でもある。なお、転じて、ぼろ裂(ぎれ)に包むところから、「粗末な服装」を嘲る言葉ともなっている(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。
「末木の觀音」岩波の高田氏の注に、『現長野県北佐久郡の釈尊寺か』とある。釈尊寺は長野県小諸市にある天台宗布引山(ぬのびきさん)釈尊寺(グーグル・マップ・データ)。「布引観音」とも呼ばれ、「牛に引かれて善光寺参り」伝説発祥の地とされる。本尊は聖観世音菩薩。「小諸市」公式サイト内の同寺の紹介が、写真もあり、よい。観音堂は布引山の断崖絶壁に建つなかなか凄絶なものであるが、冒頭の「山の峯に立ちたまふありけり」は、それらしい表現ではある。
「をこの者」「癡(痴)・烏滸・尾籠」などと書き、「愚かなこと・馬鹿げたこと・思慮の足りないことを行なうこと」、又は、「不届きなこと・不敵なこと」及びそうしたさまや人をも指す。参照した小学館「日本国語大辞典」によれば、「うこ」の母音交替形で、奈良時代から盛んに用いられ、漢字を当て、漢文脈の文書中にも多く使われた。多くの漢字表記が残っているが、時代で、使う漢字が定まっていたらしい。平安時代の漢字資料では「𢞬𢠇」「溩滸」など、「烏許」を基本に、これに色々な(へん)を付した漢字を用い、院政期には「嗚呼」が優勢となり、鎌倉時代には「尾籠」が現われ、これを音読した和製漢語「びろう(尾籠)」も生まれた、とあった。高田氏の注では、『ここでは無鉄砲なことを好む、馬鹿な奴、の意』とされる。
「そんぢやうそこ程」同じく高田氏の注に、『どこどこの辺に』とある。具体に言った場所を筆者が伏字にしたもの。
「轉手」原題仮名遣「てんじゅ」で「「点手・伝手」とも書く。「デジタル大辞泉」によれば、『琵琶・三味線などで、棹(さお)の頭部に横から差し込んである、弦を巻きつける棒。これを手で回して』、『弦の張りを調節する』。他に「糸巻き」「天柱(てんじ)」「転軫(てんじん)」とも言う。リンク先に琵琶の各部の名称を記したカラー絵図有り。]
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