「曾呂利物語」正規表現版 第四 四 萬のもの年を經ては必ず化くる事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にし、さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今回は、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正せず(裏写りを消すと、絵が赤茶けてひどく見え難くなってしまうため)適切と思われる位置に挿入した(ここ(左丁)がそれ)。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]
四 萬(よろづ)のもの年を經ては必ず化(ば)くる事
伊豫國(いよのくに)、出石(いづし)と云ふ所に、山寺、あり。鄕里(さと[やぶちゃん注:二字へのルビ。])を、へだつる事、三里なり。
彼(か)の寺、草創のはじめ、二位(ゐ)と云ふ某(なにがし)、本願(ほんぐわん)として、年月を送りしが、いつの頃よりか、此の寺に、化物(ばけもの)ありて、住持の僧を、とりて、行方(ゆきがた)、知らず。
その後(のち)、度々、住持ありけれども、いづれも、幾程なく、とり、終りぬ。
今は、主(ぬし)なき寺になりしかば、如何(いか)にも破(やぶ)れて、霧、不斷の香(かう)をたき、扉(とぼそ)、落ちては、八月、常住のともし火を揭(かゝ)ぐるとも、いひつべし。
斯かる處に、關東より、
「足利の僧。」
とて、上(のぼ)り、二位が許(もと)に來り、かの寺の住持を、望みける。
二位が云ひけるは、
「此の寺は、しかじかの仔細有りて、中々、一時も勘忍なるまじ。寺は、さいはひ、無住の事なれば、易き程の事なれども。」
と云ふ。
「さればこそ、望みて候間、是非とも、彼の寺に行きなん。」
と云ふ。
二位、更に請けずなりければ、押して、彼の寺に行きて見れば、寔(まこと)に、年久しく人の住まざりければ、荒れ果てたる態(てい)、實(げ)にも、變化の物も住むらんと覺ゆ。
斯くて、夜(よ)に入り、暫(しば)しあれば、門より、
「物、申さん。」
と云ふ。
『さては。二位が許より、使(つかひ)、おこしけるか。』
と思ひたれば、内より、いづくとなく、
「どれ。」
と答ふ。
「圓遙坊(ゑんえうばう)は、御内(おうち)にご座候か。『こんかのこねん』、『けんやのはとう』、『そんけいが三足(さんぞく)』、『こんさんのきうぼく』にて、候。御見舞申すとて、參りたり。」
ゑんえう坊、出で逢ひ、樣々(やうやう)に、もてなして後(のち)に、
「御存知の如く、久しく、生魚(なまざかな)、絕えて無かりつるところに、不思議なるもの一人(にん)、出で來りはべる。御歡待(おんもてなし)においては、不足、あらじ。」
と云ふ。
「客人も、寔に、珍しき事、あり。參り候事、何より、もつての御もてなしにてこそ候へ。夜(よ)と共に、酒盛を致し、食(く)はん。」
と、興に入りぬ。
[やぶちゃん注:右端上のキャプションは、「いよの国いづしといふ所にての事」である。]
彼の僧は、元より、覺悟したる事ながら、
『彼等の餌食(ゑじき)にならんこと、口惜しき次第なり。さるにても、化け物の名字をたしかに聞くに、先づ、「圓遙坊」と云ふは、「丸瓢簞(まるへうたん)」なるべし。「こんかのこねん」は、「坤(ひつじ)の方(かた)の河(かは)の鯰(なまづ)」、「けんやのはとう」は、「乾(いぬゐ)の方の馬(うま)のかしら」、「そんけいの三足」とは、「巽(たつみ)の方の三つ脚(あし)の蛙(かへる)」、「こんざんのきうぼく」とは、「艮(うしとら)の方の古き朽木(くちき)の伏したる」にてぞ、あらん。彼等ごときのもの、如何に劫(こう)を經たればとて、何程の事かあるべき。常に筋金(すぢがね)を入れたるぼうを、つきて來たり。彼(か)の棒にて、何(いづ)れも、一討(ひとうち)の勝負なるべし。』
とて、大音聲をもつて、
「各々、變化(へんげ)の程を、知りたり。前々の住持、その根源を知らずして、遂(つひ)に、空しくなりぬ。我は、それには、事變るべし。手並の程を、見せん。」
とて、彼(か)の棒を、取り直し、爰(こゝ)にては、打ち倒し、彼處(かしこ)にては、追ひ詰め、丸瓢簞をはじめて、皆、一打ちづゝに、打ち割り、四つの物ども、散々に、打ち碎き、其の他(た)、眷族(けんぞく)の化物ども、或(あるひ[やぶちゃん注:ママ。])は、ふくべ、すり小鉢の割れ、缺(か)けざ鉢(ばち)、摺粉木(すりこぎ)、足駄(あしだ)、木履(ぼくり)、蓙(ござ)の切れ、味喰漉(みそこし)、いかき、竹(たけ)ずんぎり、數(す)百年を經たるものども、その形を變じて、つきまとひたる所なり。
かの棒に、一あて、あてられて、何かは、少しも、たまるべき、一つも殘らず、打ちくだきてぞ、捨てたりける。
夜明(よあ)けて、二位が許より使(つかひ)を立てて見れば、僧は、恙も、なかりけり。
さて、二位は、寺へ行きて、問ひければ、有りし事ども、委しく語る。
「眞(まこと)に、智者なり。」
とて、卽ち、彼の僧を、中興開山として、今に絕えず、古跡となり、佛法繁昌の靈地とぞ、なりにける。
[やぶちゃん注:「宿直草卷一 第一 すたれし寺を取り立てし僧の事」は本篇の転用。
「伊豫國(いよのくに)、出石(いづし)と云ふ所に、山寺、あり」現在の愛媛県大洲(おおず)市豊茂乙(とよしげおつ)にある出石山(いずしやま:標高八百十二メートル)山上に真言宗御室派別格本山金山(きんざん)出石寺(しゅっせきじ)ががあるが(グーグル・マップ・データ航空写真)、これをモデルとしたものか。但し、同寺の公式サイトや、当該ウィキの寺の歴史を見ても、本篇の内容と係わるような一致する過去は全く見られない。
「二位」岩波文庫の高田氏の注に、『伊予国の古い豪族「新居」氏のあて字』とある。平凡社「世界大百科事典」によれば(コンマを読点に代えた)、『古代から中世にかけての伊予国(愛媛県)の豪族。古代の豪族越智(おち)氏の流れをくむと伝えられる。平安時代の中期から台頭し、後期には東・中予地方に大きな勢力を有した。新居郡(新居浜市、西条市)を中心にして周敷(しゆふ//すふ)郡(東予市,周桑郡)、桑村郡(東予市)、越智郡(今治市とその周辺)、伊予郡(伊予市とその周辺)等に進出し、風早郡(北条市)からおこった河野氏と勢力を競った。平安末期には平家との関係が深くなり、その家人化していた』とある。
「本願」「本願主」(ほんがんしゅ)。自身の発願(ほつがん)によって個人的或いは自身の氏族のためにのみ建立した寺院を指す。
「とり、終りぬ」物の怪のために、完全に攻略され、掠奪されてしまった。
「足利の僧」高田氏の注に、『足利学校で学んだ』僧とある。
「如何(いか)にも破(やぶ)れて、霧、不斷の香をたき、扉(とぼそ)、落ちては、八月、常住のともし火を揭(かゝ)ぐるとも、いひつべし」ここは「平家物語」の、よく知られたコーダ「大原御幸(おはらごかう)」の冒頭部の一節を転用したもの。「八月」と珍しく仲秋の侘しい季節設定をするなど(但し、あまりに唐突で、私などはちょっとヘンに躓いた)、なかなか、作者の知的な工夫がなされている特異点ではある。「平家物語」は各種全巻を四種ほどを持つが、正字表記のものは持たないので、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本文學大系』校註第十四巻(大正一四(一九二五)年国民図書刊)の当該部を視認して示す。読点・記号と一部の読みは、適宜追加してある。なお、こちらの時制設定は文治二年の『卯月二十日餘り』で、グレゴリオ暦換算では一一八六年の五月十七日以降で初夏である。
*
西の山の麓に一宇(いちう)の御堂(みだう)あり。すなはち、寂光院(じやうかうゐん)、これなり。ふるう作りなせる泉水・木立(こだち)、よしある樣(さま)の所なり。甍(いらか)、破れては、霧、不斷の香を焚き、扉(とぼそ)、落(おち)ては、月(つき)、常住(じやうぢう)の燈(ともしび)をかゝぐとも、斯樣(かやう)の所をや、申すべき。庭の若草、茂り合ひ、靑柳(あをやぎ)、絲を亂りつゝ、池の浮草、波に漂(たゞよ)ひ、錦を曝(さら)すかとあやまたる。中島(なかじま)の松にかゝれる藤波の、裏紫(うらむらさき)に咲ける色、靑葉まじりの遲櫻、はつ花よりも珍しく、岸の山吹、咲き亂れ、八重立(やへた)つ雲の絕(た)えまより、山時鳥(やまほととぎす)の一聲(ひとこゑ)も、君の御幸(みゆき)を待ちがほなり。法皇、これを叡覽あつて、かうぞ遊ばされける。
池水にみぎはの櫻ちりしきて波の花こそさかりなりけれ
*
「勘忍なるまじ」高田氏は同前で、『たえ忍ぶことができないだろう』と訳注されておられる。この台詞は、その僧を何となく見くびっている感も感じられるのだが、これから起こる変異を、読者側に、生半可なものではないと感じさせるホラー効果としては、よく効いているともいえる。
「ゑんえう」高田氏注に、『(円揺)は瓢簞の異名(『三才図会』)』とある。挿絵の壊れた瓢箪(ひょうたん)が描かれてあり、それが正体だというのである。これは生物ではないから、「付喪神」(つくもがみ)と言えなくもないが、瓢箪自体は元植物の実であるから、彼だけをつまはじきにするのは、やめておく。或いは、枯れ果ててぶら下がっていたヒョウタンの残骸かも知れんしな。
「こんかのこねん」以下、僧の名乗りの解読部分は、高田氏の注を一部で引用する。「坤」(ひつじさる/コン」で南西を指し、寺のその方角に正体が存在することの証しであり、これは『「坤家(こんか)の小鯰(こねん)」と解せる』とある。その方角にある「家」、則ち、「棲み家」であろうところの、沼か池か小流れかに巣食う、「ちっぽけなナマズ」が正体なのである。
「けんやのはとう」は「乾」(いぬゐ/ケン)」で「戌亥(いぬゐ)」で、北西を指し、同前で、これは『「乾谷(けんや)の馬頭(ばとう)」と解せる』とある。この馬頭は「馬の頭(かしら)」で、挿絵から、その辺りに転がっている「死んだ馬の頭骸骨」が正体。
「そんけいの三足」これは『「巽溪(そんけい)」の三足(さんそく)」』で「巽」(たつみ/ソン)lは「辰巳」で南東。その辺りに潜んでいる三本脚の奇形の蛙が正体。
「こんざんのきうぼく」は『「艮山(こんざん)の朽木(きゅうぼく)」』で「うしとら」は「丑寅」=「艮(うしとら/コン)」で鬼門東北に植わっていた朽ちた木の木片・破片(挿絵参照)が正体となるのである。
「筋金を入れたる棒」高田氏の注に、『芯に鉄棒を仕込んだ錫杖』とある。
「事變るべし」「そんな過去の連中とは、訳が違うぞ!」という僧のいさおしである。
「卷族」眷属。子分ども。
「すふくべ」徳利。土製の瓶。ここから後は、概ね、加工された物品であるから、真正の劫(こう)を経た付喪神であると断じてよい。
「いかき」竹で編んだ笊(ざる)、或いは、特に「味噌漉し笊」をも指す。ここは挿絵に従うなら、前者。
「竹ずんぎり」高田氏の注では、『竹を輪切りにした食器』とある。この語は「髄(ずん)切り」の意ともされ、「寸」は当て字とも言うが、一説には「すぐきり(直切り)」の音変化ともされる。なお、挿絵では、他に寺の厨房にあった擂り粉木や、砧(きぬた)或いは搗くための短い杵(きね)のようなものも、描かれてある。壊れた草履か雪駄のようなものもある。その下にあるのは、ちょっと判らないが、私には、少し大振りだが、法具の鈴(りん)二個のようにも見えなくはない。]