佐々木喜善「聽耳草紙」 一三番 上下の河童
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本はここから。]
一三番 上下《かみしも》の河童
ある男が、夕方急いで川端の途を通ると、一人の男が雜魚(ザツコ)釣りをして居て、其の男を呼び止めて、下の方の淵のほとりにも一人の雜魚釣りが居る筈だから、此の手紙を屆けてくれと言つて、一封の手紙を男に託した。
男は何氣なしに、一曲り曲つた淵のほとりに居る雜魚つりの男に其の手紙を渡すと、默つて開いて見て居たが、一寸待つてくれ、今淵に落しものをしたからと言つて、ザンブリと淵の中へ飛び込んだ。暫くすると出て來て、俺は本當は此の淵に居る河童だが、實は今川上の河童から、此の男は紫尻でうまいアセだから捕つて食へと言つて來たけれども、お前が餘り正直だから、捕つて食ふどころか、かへつて此の寶物をやると言つて、黃金包《こがねづつみ》みをくれた。そして此の事は誰にも言つてはならぬぞと言つて、河童は再び淵の中に入つて行つた。
それから此の男は金持ち長者となつた。
(田中喜多美氏の御報告分の三。摘要。大正十五年六月、田植の時、簗場《やなば》留藏より聽いたもの。此の人、元御所《ごしよ》村の生れだと云ふ。)
[やぶちゃん注:最後の附記は全体が二字下げポイント落ち。
「紫尻」水怪は、尻に青や紫の痣のある人間が食用のお好みのようである。「一二番 兄弟淵」の「靑臀」の私の注を参照。
[やぶちゃん注:「アセ」この語源は、方言ではなく、上古よりの古語である「吾兄(あせ)」ではあるまいか。二人称代名詞で、女子が男子を親しんで呼ぶ語であり、上代の歌謡では、多く間投助詞「を」を伴って歌の囃子詞に用いられてある。
「田中喜多美」既出既注。
「大正十五年」一九一六年。
「御所村」現在の御所湖を中心とした岩手県岩手郡雫石町(しずくいしちょう)及び岩手県盛岡市繋(つなぎ:グーグル・マップ・データ)の旧村名。]
« 早川孝太郞「三州橫山話」 蛇の話 「女を追ふ蛇」・「蟻に化した蛇」・「砂を吐く蛇」・「蛇の神樣」・「兩頭蛇」・「トカゲを追ふ蛇」・「蛇の苦手」 / 蛇の話~了 | トップページ | 佐々木喜善「聽耳草紙」 一四番 淵の主と山伏 »