西播怪談實記 佐用角屋久右衞門狐の化たるに逢し事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。底本本冊標題はここ。本文はここから。]
○佐用角屋久右衞門狐の化(はけ)たるに逢し事
佐用郡佐用村に角屋久右衞門といひしもの、在《あり》。
正德年中の事成《なり》しに、近村へ、商(あきない)に行《ゆき》て、たそかれ時に歸《かへ》けるが、大坪《おほつぼ》村の前に、川除(《かは》よけ)の土手、在(あり)、則(すなはち)、雲伯(うんはく)作(さく)の驛路(えきろ)なり。
爰へ戾懸(もとり《かか》)るに、十間斗《ばかり》先にて、下《した》より、土手の上ヘ輕(かろ)輕と.飛上り、先へ行《ゆく》。
黑羽織(《くろ》はをり)を着て、大(おほき)なる男なり。
久右衞門、思ひけるは、
『さても、身輕なるもの也。追付(をつ《つ》き)見ん。』
と、足早に行《ゆけ》ば、彼《かの》男も足早に行。
又、ゆるく行《ゆけ》ば、
「ゆるゆる」
と行《ゆく》に、心付《こころづき》て、
「偖(さて)は。狐なるべし。我を、たぶらかさんためにこそ。」
と、あざ笑(わらひ)て歸《かへり》しか、山平《やまひら》といへる村の前に、大《おほき》なる水門ありしが、其際(そのきは)にて、彼男、消失(きへうせ)けると否や、
「ぞつ」
と、したり。
「されば、目に見へたる中《うち》は、『狐』と心得、何ともなかりしか、消失《きえうせ》ると、身の毛も、彌竪(よたつ)斗《ばかり》なりしは、一方《ひとかた》ならぬ畜生なり。」
と。
予か近所にて、折々、右の噺を聞ける趣を書つたふもの也。
[やぶちゃん注:「正德年中」一七一一年から一七一六年まで。
「大坪村」「Geoshapeリポジトリ」の「兵庫県佐用郡佐用町佐用大坪」で旧地域が確認出来る。佐用町中心地の南直近の地域である。
「雲伯」(うんぱく)は令制国で言う出雲国(島根県東部)と伯耆国(鳥取県西部)の併称。かなり古い時代に作られた街道(出雲街道)ということになる。
「十間」十八・一八メートル。
「山平」「ひなたGPS」のここで、大坪のすぐ北の佐用中心街に接する佐用川左岸地域であることが判る(現在の国土地理院図にも地名として残る)。]
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