「曾呂利物語」正規表現版 第三 七 山居の事 / 第三~了
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。今回はここから。なお、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。
今回は傍点を特異的に用いた。
なお、本書の巻第三は本篇を以って終わっている。]
七 山 居 の 事
世を憂きものに思ひ澄ましたる僧、ありけり。
都、東山(ひんがしやま)鳥邊野(とりべの)に、柴の庵(いおり)を結びて、年月を送りける。
彼(か)の僧の俗たりし時の友達、訪(おとな)ひ來りけるが、年久しく隔(へだ)てしかば、いと懃(ねんごろ)に物語し侍りし程に、秋の夜(よ)、いたく更けて、色々の獸(けだもの)の、近く音するも、いと物凄(ものすご)くして、
『斯かる所に唯一人、如何(いかゞ)耐へ忍びけるぞ。』
と思ふところに、何處(いづく)とも知らず、
「今宵、そんじよう、それこそ、空(むな)しくなりぬ。日頃、契約のごとく、御出(おい)で候はば、とりおき給はり候へ。」
と云ふ。
主(あるじ)、云ふやう、
「今夜は、さり難き約束、御入(おい)り候閒(あひだ)、參るまじき。」
由、云ふ程に、彼の何某(なにがし)、
「何とて、左樣には、宣ふぞ。ことに日頃の契約の上(うへ)は、急ぎ、行き給へ。」
と云ふ。
「さらば、參り候はんずる。……如何にも怖ろしき事……有りとも……あなかしこ、音もせでゐ給へ……頓(やが)て、歸り侍らん。」
とて、出でぬ。
彼の何某は、常々にも、心に剛(がう)ある者とは云ひながら、唯一人殘りければ、凄(すさ)まじくこそ、思ひけれ。
『漸(やうや)う、寅の刻[やぶちゃん注:午前四時前後。]許りになりぬ。』
と思ふ頃、何處(いづく)ともなく、光りて、内に入りぬ。[やぶちゃん注:ママ。「光り物ありて」ぐらいでないとちょっとおかしい気がする。]
何某、刀(かたな)の柄(つか)を、
『碎けよ。』
と握りゐたるが、魂(たましひ)は何處(いづく)にか拔けつらん、夢ともなく、門(かど)を守りゐたれば、繪に書ける鬼(おに)の形したる者、一人、内へ押入(おしい)りて、主(あるじ)の閨(ねや)に行きて、少時(しばらく)、物食ふ音しけるが、稍(やや)ありて、彼(か)の者、又、光の中に、何處ともなく失せぬ。
其の時、少し、人心地、出で來て、
『さるにても、主の部屋の内、不思議。』
に思ひ、垣(かき)の隙(すき)より、覗きければ……
……人の死骸……
……山の如くに……積めり。
『……それを……食ふなるべし。』
いとゞ恐ろしくぞ、思ひける。
夜(よ)、明けて、主、歸り、
「さても。不思議の命(いのち)、助かり、斯くの如くの事に遇ひつるは、如何(いかゞ)。」
と語りければ、
「何時(いつ)も左樣の事は、有る事に候。」
と、さらぬ體(てい)にもてなし、ゐ侍る。
よく是れを案ずるに、何時(いつ)の程(ほど)にか、人を食(く)習ひ、其の罪、果して、一つの鬼となれり。
夜(よる)、來つる鬼の形なる者は、坊主なるべし。
[やぶちゃん注:所謂、「食人鬼(ぢきにんき)」譚である。言うまでもなく、この鬼は、最終行で初めて、その山居している僧自身が変じたものであることが明かされるというなかなかに構成を考え抜いた一篇ではある。但し、最後の部分、その食人鬼坊主は一向に、その究極の悪業を何ら悔いる様子もなく、それが、本篇を特異な猟奇的カニバリズム・ホラーに仕立てているところが特異と言える。但し、表現にやや問題があり、完全には上手く仕上がってはいない憾みがある。この手の話の最も完成された古文の名品は、何と言っても、上田秋成の「雨月物語」中の「靑頭巾」(⇒やぶちゃん訳⇒やぶちゃんのオリジナル授業ノート)であり、それを元にした小泉八雲のJIKININKI(英文原文)を措いて他にはない。「食人鬼」藪野直史現代語訳もある(孰れも私のサイト版。ブログ版の詳細オリジナル注附きの「小泉八雲 食人鬼(田部隆次訳)」もある)。
「そんじよう」「尊上」ならば「そんじやう」でなくてはならないから違う(仮に、歴史的仮名遣の誤りなら、「目上の者」を敬して言う語であるが、ここは、「ある家の隠居した主人」、或いは「その家の最も年老いた病んだ年上の家人」を指すとはとれる)。とすれば、これは「存(そん)じよう」で「存(ぞん)じよう」(「よう」は形式上の軽い敬意を含んだ推量・意志・勧誘の助動詞)が一般的で、「ご承知の通り(の)」意。]
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