西播怪談實記 佐用沖内夫婦雷に打れし事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。本文はここから。]
○佐用沖内(をきない)夫婦(ふうふ)雷(らい)に打(うた)れし事
佐用郡佐用邑の髮結に沖内といひしもの、在(あり)。
寶永年中[やぶちゃん注:一七〇四年から一七一一年まで。]の、比《ころ》は七月十七日、草木もゆるがぬ暑(あつさ)にて、火氣(くわき)、熖(ほのほ)をふく斗《ばかり》なる晴天に、俄(にはか)に黑雲、一むら、覆(おふい)來たり、段々と曇(くもり)ふたがりて、世界は暗闇(くらやみ)のごとくなれば、
「是、たゝ事に、あらず。」
と、家々、門戶(もんこ)を指廽(さしまは)す。
折しも、戌亥(いぬい)[やぶちゃん注:北西。]の方より、一陣の風、吹(ふき)きたりて、雷鳴、はためく事、いはん方なく、窓をもり來(く)る電(いなひかり)に、家内(かない)は、あたかも、日の淸明(せいめい)たるに、ことならず。
降來(ふりく)る雨の脚音(あしをと)は、大波の寄來《よせく》るやうにて、外面(そとも)は、車軸を流しければ、恐しといふも、中々、おろかなり。
須臾(しはらく)ありて、雷電(らいてん)、少(すこし)鎭(しつまり)、雨も小降《こぶり》に成けるに、
「沖内が宅(いへ)へ、雷(かみなり)、落(をち)たり。」
と、町内を、わめきありく。
人々、驚(おどろき)て、かけ付《つく》るに、其近所は、唯(たゝ)、熖硝(ゑんせう)の匂ひ、甚し。
沖内が相屋(あいや)に平六といふもの在しが、雷《らい》に恐《おそれ》て、閉篭居(とちこもり《をり》)ければ、聊(いさゝか)も、しらず。餘所(よそ)より寄來(よりきた)る人に驚《おどろき》て、初《はじめ》て知(しる)ほど也。是は、嚴敷(きひしき)雷に、家内、恐て、臥具(くはく)などを、かぶり居《ゐ》て、耳をも塞居(ふさき《ゐ》)ける故とぞ聞(きこへ)し。
大戶店(おほとみせ)の椽(ゑん)なども、碎(くたけ)て飛(とひ)たり。
人々、家内(かない)へ入《いり》てみるに、煙、ぬまひたり[やぶちゃん注:ママ。「近世民間異聞怪談集成」も同じで、ママ注記で『(ぬぼりカ)』とするが、「ぬぼる」と言う語も私は知らない。ともかくも「煙が充満しているという」意ではあろう。]。
沖内は、裏の戶を、二、三寸、明《あけ》て、外の氣色(けしき)を覗(のそき)ゐたる体(てい)、其儘、死(しゝ)て居《ゐ》けり。
女房は、沖内へ茶を出《いだ》しける時、打れしと見へて、打臥(うつふし)に成《なり》て死し、茶碗なども、手もとにあり。
兩人(ふたり)とも、疵は、見へず。
平生(へいせい)、猫を愛し、其時も、つなきて有けるが、何の子細もなかりければ、
「※(けたもの)は雷の難には、遭(あは)ざるものにや。」[やぶちゃん注:「※」は特異な字体で、「犭」(へん)に、(つくり)は「獸」の(へん)の崩し字で「巢」の下方を「大」にしたもの。]
と沙汰しあへりける。
沖内は夫婦斗《ばかり》の事なれば、町内の世話にて、其夕暮、二人の死骸を銘々のくわんへ入て、二ツを一所に葬(ほうふり)ければ、見る人、
「いかなる過去の業因にや。」
と、あはれみ侍ける趣を書つたふもの也。
[やぶちゃん注:二人とも雷撃を直接受けて、即死したものと思われる。実話で、何だか、あまりの悲惨にして哀れな一篇である。――猫だけが知っている一瞬の惨劇…………]