佐々木喜善「聽耳草紙」 三番 田螺長者
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本はここから。]
三番 田螺長者
昔、或る所に大層な長者どんがあつた。田地、田畠、山林、原野もあり餘るほどあつて、村の人達からは彼所《あそこ》の長者どんでは何も不自由だと謂ふことを知らないこツたと云はれてゐた。
所がその長者どんの田を作つて居る名子(ナゴ)の中に、其の日の煙《けぶ》りも立てゝ行けぬほどの貧乏な夫婦があつた。夫婦ははア四十も越して居たが、子供と云ふものがない。夜などは嘆いて、ナゾにかして子供を一人欲しいもんだ。吾が子と名の付いたもんだら、ビツキ(蛙)でもいゝ、ツブ(田螺)でもいゝ。さう言つて御水神樣へ詣つて願掛けをした。御水神樣は水の神樣であるから百姓には此れ位ありがたい神樣はないのであつた。[やぶちゃん注:「名子」中世以降、荘園領主や有力名主に隷属した下層零細農民。農繁期には領主・名主の農地耕作などを手伝い、農閑期には山林労働に従事したりして生活を支えた。「脇名百姓」(わきみょうびゃくしょう)「小百姓」(こびやくしょう)などと、荘園によって呼び名が色々あった。なお、地方によっては、近世に至っても、本百姓に隷属している者もあった(主文は小学館「日本国語大辞典」に拠った)。]
或日のこと、女房は田の草取りに行つてゐて、いつものやうに日なが時なが、御水神樣もうし、其所《そこ》ら邊りにゐる田螺のやうな子供でもよいから、どうぞ俺ラに子供を一人授けて賜(タ)もれや、あゝ尊度(トウタ)い々々々と思つたり言つたりしてゐると、急に腹が痛くなつて、なやなやめいて來た。忍耐(ガマン)すればする程痛みが增して來るので、遂々《たうとう》耐(タマ)りかねて家ヘ屈(コヾ)み々々歸ると、夫は心配して、いろいろと介抱をしたが、どうしても直らなかつた。お醫者樣を賴みたいにも金はなし、はてナゾにしたらよからうと思つた。近所に幸ひコナサセ產婆(婆樣)があつたから、少し筋道は違ふと思つたけれども、賴んで來て診て貰ふと、婆樣はこれは普通(タヾ)の腹痛ではない。女房(ガカ)が身持ちになつて、兒どもが生れるところだと言つた。それを聞いて夫婦は喜んで、にわかに神棚にお燈明を上げたりなどして、一心に安產させて下さいと願ふと、やや一時(ヒトトキ)あつて、一匹の小さな田螺(ツブ)が生れた。[やぶちゃん注:「コナサセ產婆」岩手の方言で「ナサ」は同氏「なす」で「産む」の意であり、その使役形で「子を産まさせる者」。「產婆」の畳語である。]
×
生れた田螺の子には皆驚いたが、これは何でも御水神樣の申し子だからと云ふので、お椀に水を入れて、其の中へ入れ、神棚に上げて、大事にして育てゝ居たが、不思議なことに、其の田螺の子は生れてから二十年にもなるが、少しも大きくならなかつた。それでも御飯などは普通に食べるが物は一聲《ひとこゑ》も言へなかつた。
或る日のこと、齡取つた親父は、大家(オホヤ)の長者どんに納める年貢米を馬につけながら、さてさて切角《せつかく》御水神樣から申し子を授かつて、やれ嬉しやと思ふと、あらう事かそれが田螺の息子である。田螺の息子であつて見れば何の役にも立たない。俺は斯うして一生働いて妻子を養はなければなるまいと歎くと、それでは父親(トヽ)々々、今日は俺がその米を持つて行く…と云ふ聲が何所《どこ》かでした。父親は驚いて四邊をきよろきよろ見廻したけれども誰も居らぬ。不思議に思つて、そんな事を言ふのは誰だと云ふと、俺だ々々、田螺の息子だ。今迄長い間えらい御恩を受けたが、もうそろそろ俺も世の中に出る時が來たから、今日は俺が父親(トヽ)の代りになつて、檀那樣の所へ、年貢米を持つて行くと言つた。どうして馬を曳いて行けヤと訊くと、俺は田螺だから馬を曳いて行くことは叶はぬが、米荷の間に乘せてくれさへすれば、何の苦もなく馬を自由に曳いて行けると言ふ。父親は今まで物も云はなかつた田螺が物を云ひ出したばかりか、自分の代りに年貢米を納めに行くと謂ふのであるから大變驚いた。然しこれも御水神樣の申し子の言ふことだ。背いたなら又どんな罰《ばち》が當るかも知れないと思つて、馬三匹に米俵をつけて、言はれる通りに、神棚のお椀の中に居る田螺をつまんで來て、其の荷の間に乘せて遣ると、田螺は普通の人間のやうな聲で、それでは父親(トト)も母親(ガカ)も行つて來る。ハイどう、どう、しツしツと上手に馬どもを馭《ぎよ》して家のジヨノクチを出て行つた。
父親は出しには出して遣つたが、息子のことが心配でならぬので、その後を見えがくれについて往くと、丁度人間がやるやうに水溜りや橋のやうな所をば、はアい、はアいと聲がけして、シヤン、シヤンと進んで行く。そればかりか美しい聲を張り上げて、ほのほのと馬方節《うまかたぶし》などを歌つて行くが、馬もその聲に足並を合はせて、首の鈴をジャンガ、ゴンガと振り鳴らし勇みに勇んで行く。往來や田圃に居る人達はこの有樣を見て驚いて、聲はすれども姿は見えぬとは此の事だ。あの馬は慥かにあの貧乏百姓の瘦馬に相違ないが、一體あの聲は何所で誰が歌つて居ることだと、不思議がつて眺めて居た。
それを見た父親は大變に思つて、直ぐに家へ引返して、神棚の前に行つて、もしもし御水神樣、今迄は何にも知らなかつたものだから、田螺をあゝして置きましたが、大變ありがたい子供をお授け下されんした。それにつけても無事息災に向ふへ行き屆くやうに、あの子や馬の上を、どうぞお護り有(ヤ)つてクナさいと、夫婦で一心萬望《いつしんまんばう》神樣を拜んで居つた。
×
田螺はそんな事には頓着なく、どんどん馬を馭して、長者どんのもとへ行つた。下男どもが、それ年貢米が來たと言つて出て見ると、馬ばかりで誰も人間がついて居ない。どうして斯う馬ばかり寄こしたベツて話して居ると、米を持つて來たから、どうか下(オロ)してケデがいと云ふ聲が馬の中荷の所でした。何だ誰がそんな所に居《ゐ》れヤ。誰もいないぢやないかと云つて、中荷の脇を覗いて見ると、小さな田螺が一ツ乘つて居た。田螺は俺はこんな體で馬から荷物を下すことが出來ないから、申譯ないが下してケデがい。俺の體も潰さないやうに、椽側《えんがは》の端の上にでもそつと置いてケテガムと言つた。下男どもは驚いて、檀那樣シ檀那樣シ田螺が米を持つて來《き》んしたと聞かせると、檀那樣も驚いていそいそ出て來て見れば、如何にも下男の云ふ通りであつた。そのうちに家の人達もぞろぞろと出て來て見る。そして皆々不思議なことだと話し合つた。
其の中に田螺の指示で米俵も馬から下して倉に積み、馬には飼葉を遣り、田螺をば内に入れて御馳走を出した。お膳の緣《ふち》にタカつて居る田螺は、他人の目には見えぬが、お椀の御飯がまづ無くなり、其の次には汁物が、魚がと云ふ風に無くなつて、仕舞ひにはもう充分頂きんした、どうぞお湯をなどと云ふのであつた。檀那樣は、かねて御水神樣の申し子が田螺の息子だと云ふことは聞いて居たが、こんなに不思議な物とは思つて居なかつた。恰度人間のやうに物を言つたり働いたりするべとは居なかを思はなかつたので[やぶちゃん注:「居なかを」はママ。現行の衍文か、誤植であろう。]、これを自分の家の寶物にしたいと思つた。そして、田螺殿々々々お前の家と俺の家とはお互に祖父樣達《じいさまたち》の代から代々出入りの間柄の仲だ。俺の所に娘が二人居るが、其の中の一人をお前のお嫁に遣つてもよいと云つた。こんな寶物をたゞで家のものに、することは出來まいと思つたからであつた。
田螺はそれを聽いて大層喜んで、それは眞實《まこと》かと念を押した、檀那樣は、本當だとも、二人の娘のうち一人を上げやうと堅い約束をして、其の日は田螺に色々な御馳走をして還した。
×
父親母親は、田螺のこと、なんたら歸りが遲かベヤ、何か途中で間違ひでもなければよいがと案じて居るところに、田螺は三匹の馬を連れてえらい元氣で歸つて來た。そして夕飯時に、俺は今日長者どんの娘さんをお嫁に貰つて來たと云つた。父母はそんな事が有る筈がないと目を睜《みは》つたけれども、何云ふも御水神樣の中子の云ふことだから、一應長者どんに人を遣つて訊いて見べえと思つて、伯母を賴んで聞きに遣ると、田螺の云ふのは眞實のことであつた。
そこで檀那樣は二人の娘を呼んで、お前達のうち誰か田螺の所にお嫁に行つてケろと言うと、姉娘は誰が蟲螻(ムシケラ)のところなんかさ嫁《い》く者があんべや、 [やぶちゃん注:字空けはママ。]俺厭《や》んだと云つてドタバタと荒い足音を立てゝ座を蹴立てゝ行つてしまつた。それでも優しい妹娘の方は、父樣(トヽ)が切角あゝ云ふて約束された事なんだから、田螺の所には私が嫁くから心配してがんすなと云つて慰めた。伯母はさう謂ふ長者どんからの返辭を持つて歸つて來て知らせた。
×
長者どんの乙娘《おとむすめ》[やぶちゃん注:「下の娘」の意。]の嫁入り道具は、七疋の馬にも荷物がつけきれないほどで簞笥長持が七棹づつ、其の外の手荷物は有り餘るほどで、貧乏家にはそれが入れ切れないから、長者どんでは別に倉を建てゝくれた。聟の家には何にもない。親類も無いから、父母と伯母と近所の婆樣とを呼んで來て目出度い婚禮をした。
花コよりも美しい嫁子を貰つて、父母の喜びは物の例へにも並べられない。それにまた娘が實の父母よりも親切に仕へる。野良へも出て働いてくれるので、前よりはずつと生活(クラシ)向きも樂になつた。これも皆神樣のお影だと云つて、父母は一生懸命に御水神樣を拜んで居た。
其の中に月日が經《た》つ…お里歸りを何日にしやうと相談すると、やつぱり四月八日の村の鎭守の藥師樣の祭禮が濟んでからと謂ふことにした。さうして居る中に春になつた。花コも咲けば鳥コらも飛んで來て鳴くやうになつた。いよいよ四月八日のお藥師樣の御祭日になつた。
娘は祭禮を見に行くとて、美しく化粧して、長持の中から綺麗な着物を出して着た。見れば見るほど天人とも例(タト)へられない。花コだとも例へられないほど美しい。仕度が出來上つてから、田螺の夫に向つて、お前も一緖にお祭を見に參りませうと言ふと、さうかそれでは俺も連れて行つてケ申せ。今日は幸ひお天氣もいゝから久しぶりで外の景色でも眺めて來るべなどと云ふ。そこで娘は自分の帶の結び目に夫の田螺を入れて、お祭禮場さして出かけて行つた。
その途中も二人は睦ましく四方山《よもやま》の話をしながら行く。道往く人や行摺《ゆきず》りの人達は、あれあんなに美しい娘子が、獨りで笑つたり語つたりして行く。可愛想に氣でも違つたものだべなアと言つて眺めて行く。そんな風で二人は遂々《たうとう》お藥師樣の一の鳥居の前まで來た。すると田螺は、これこれ俺は譯あつて、これから先きへは入《はひ》れぬから、どうか道傍(ミチバタ)の田の畔の上に置いてケろ。そしてお前が一人で御堂に行つて拜んで來てケろ。そのうち俺は此所で待つて居るからと云つた。それでは氣をつけて烏などに見付けられないやうにして待つて居てクナさい。私は一寸行つて拜んで來るからと言つて、娘は御坂を登つて行つた。そして御堂に參詣して歸つて來て見ると、大事な良人の田螺が居なかつた。
娘は驚いて、此所彼所《ここかしこ》と探して見たがどうしても見付からない。鳥が啄んで飛んで行つたのか、それとも田の中に落ちてしまつたかと思つて、田の中に入つて探したが、四月にもなつたから田の中には澤山の田螺がゐる…それを一つ一つ拾ひ上げて見るけれども、どれもこれも自分の夫の田螺には似もつかぬものばかり…
田螺(ツブ)や田螺(ツブ)や
わが夫(ツマ)や
今年の春になつたれば
烏(カラス)といふ馬鹿鳥に
ちツくらもツくら
剌されたか…
と歌つて、田から田に入つてこぎ探して居るうちに、顏には泥がかゝり、美しい衣物《きもの》は汚れてしまひ、そのうちに日暮時ともなつて、祭禮の人達はぞろぞろと皆家路に還る。そして嫁子の態《さま》を見て、あれあれあんな綺麗な娘子が氣でも違つたか、可愛想な…と口々に云つて眺めて通つた。
娘はいくら探しても夫の田螺が見つからぬから、これは一層《いつそ》のこと田の中の谷地眼(ヤチマナコ)の深泥(ヒドロ)の中さ入つて死んだ方がいゝと思つて、谷地マナコに飛び込もうとして居ると、後《うしろ》から、これこれ娘何をすると聲かけられる。振り向いて見ると、水の垂れるやうな美男が、深編笠をかぶつて腰には一本の尺八笛をさして立つてゐる。娘は今迄の事を話して、私は死んでしまうからと言ふと、其の美男はそれならば何も心配することはない。其許(ソナタ)の尋ねる田螺はこの私であると言ふ。娘はさうではないと言ふと、若者は其の疑ひは尤もだが、俺は御水神樣の申し子で今迄は田螺の姿で居たが、それが今日、お前が藥師樣に參詣してくれたために、斯のやうに人間の姿となつた。俺は御水神樣にお禮參りをして此所へ還つて來ると、お前が居ないので、今迄方々尋ねて居たのだと言つた。そこで二人は喜んで一緖に家へ歸つた。
×
娘を美しいと思つたが、田螺の息子がまたそれにも增さるほどの美しい若者で、似合ひの若夫婦が揃つて家へ還つた。父親母親の驚きと喜びやうツたら話にも昔にもないほどである。直ぐに長者どんの方へも知らせると、檀那樣も奧樣(カヽサマ)も一緖に田螺の家へ來て見て、大喜びで、こんなに光るやうな息子を聟殿を、こんなむさい家には置かれないと言つて、町の一番よい場所どころに立派な家を建てゝ、其所で此の若夫婦に商業(アキナヒ)をさせることにした。ところが田螺の息子と云ふことが世間に評判になつて、うんと繁昌して忽ちのうちに町一番の物持ちとなつた。そして老いた父親母親も樂隱居をし、一人の伯母子も良い所ヘ嫁に行き、田螺の長者どんと呼ばれて、親族緣者みな喜び繁昌した。
(同前の二。)
[やぶちゃん注:所謂、異類婚姻・貴種流離譚の大団円型一つで、姉妹で運命が異なる「猿の婿入り」型のモチーフも含まれていると言えよう。「田螺長者」譚の最も典型的な記載例である。小学館「日本大百科全書」によれば、『小さな動物の姿で生まれた人の冒険を主題にする異常誕生譚』『の一つ。子供のいない夫婦が神に子授けを願い、タニシを授かる。タニシは一人前の年齢になると、馬を引いて働く。長者と親しくなり、長者の娘を見そめる。米を袋に入れて持ち、長者の家に行き泊まる。米の袋をたいせつなものであるといって、長者に預ける。長者は、預かった米をなくしたら、なんでも好きなものをやると約束する。夜中に、タニシはその袋から米を出し、娘の口の周りに生米をかんだものをつけておく。翌朝タニシは、米の袋がなくなっていると騒ぐ。娘の口に米がついているので、約束どおり、長者はタニシに娘をやる。娘がタニシといっしょに祭りに行くとき、タニシがカラスにつつかれて田の中に落ちる。娘が泣いていると、タニシはりっぱな男の姿になって現れる。婚礼をやり直し、タニシの若者は栄え、長者になる。主人公をカエルにした類話も多い』。『小さなものが突然にりっぱな若者に変身し、幸福な結婚をするところに特色があるが、そうした物語形式は昔話や御伽草子』『の「一寸法師」と共通している。「田螺長者」には、打ち出の小槌』『で打つと一人前の若者になったという例もあり、「田螺長者」と「一寸法師」とは、ただの混交とは思えない全体的な交錯がある。朝鮮、中国、ビルマ(ミャンマー)など東アジアにも、主人公が他の巻き貝類やカエルやヘビになった類話がある。動物の殻や皮を脱ぎ捨てて人間になるという変身の趣向が語られているのが普通である。巻き貝が殻をもち、カエルやヘビが変態・脱皮をすることが、これらの動物がこの昔話の主人公になっている理由であろう。日本ではタニシを水神の使者とする信仰があり、この昔話は、そうした宗教的観念を背景にして成り立っていたらしい』とある。当該ウィキも三諸されたいが、そこには、『田螺の方から呼びかける例、子になるべき田螺を野外で偶然発見する例など』や、『田螺でなくカタツムリ(新潟・群馬)カエル(九州)サザエ(鳥取・岡山)ナメクジ(島根)などの例が存在する。また』、『人間への変化も殻の破壊、湯または水による変化、参詣による変化などがある』とある。
なお、タニシ(腹足綱新生腹足上目原始紐舌目タニシ科Viviparidae に属する巻貝の総称。本邦にはアフリカヒメタニシ亜科 Bellamyinae(特異性が強く、アフリカヒメタニシ科 Bellamyidae として扱う説もある)の四種が棲息する)の博物誌は、私の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 田螺」や、「本朝食鑑 鱗介部之三 田螺」、及び、サイト版の寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「たにし たつび 田螺」の項を参照されたい。
「同前」前回の「二番 觀音の申子」を指す。]
« 佐々木喜善「聽耳草紙」 二番 觀音の申子 | トップページ | 早川孝太郞「三州橫山話」 山の獸 「獵師に追はれた鹿」・「鹿の鳴音」・「鹿笛」・「タラの芽と鹿の角」・「鹿の玉」 »