「曾呂利物語」正規表現版 十 狐を威してやがて仇をなす事 / 卷一~了
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]
十 狐(きつね)を威(おど)してやがて仇(あた)をなす事
ある山伏、「大(おほ)みね」より、かけ出で、ある野を通りけるに、こゝに、狐、晝寢してゐたりけるを、立ちより、耳の元にて、ほらの貝を、したゝかに吹きければ、狐、肝(きも)を潰し、行き方(がた)知らず、逃げにけり。
其の後(のち)、山伏は、猶、ゆきけるが、
『いまだ未(ひつじ)の刻ばかりにや。』[やぶちゃん注:午後二時前後。]
と思ふ頃、空、かき曇り、日、暮れぬ。
不思議に思ひ、道を急ぎけれども、野、遠くして、とまるべき宿も、なし。
ある三昧(さんまい)に行きて、火屋(ひや)の天井に上がりて、臥しにけり。[やぶちゃん注:「三昧」火葬場。「火屋」同じく火葬場の意であるが、ここは敷設するお堂か、遺体を一時置いておく控えの小屋(霊安室)であろう。]
かかりける所に、何處(いづこ)ともなく、幽(かすか)に、光り、あまた見えけるが、次第に近づくまゝに、よく見れば、其の三昧へ、葬禮するなり。
凡そ、二、三百人もあらんとおぼしくて、その、てい、美々しく、引導など、過ぎて、やがて、死骸に、火をかけ、各(おのおの)、かへりぬ。
山伏は、
『折りしもあれ、かかる所に來たりぬる事。』
と思ふに、やうやう、燒けぬべき所、死人(しにん)、火の中より、身ぶるひして、飛びいで、あたりを、
「きつ」
と見まはしけるが、山伏を見つけて、
「何者なれば、そこにおはしますぞ。知らぬ道を、ひとり行くは、おぼつかなきに、我と共に、いざ、給へ。」
と、山伏に飛びかゝりければ、そのまゝ山伏は、消え入りぬ[やぶちゃん注:気絶した。]。
やゝしばらく有りて、やうやう、氣をとり直し見れば、いまだ晝の七ツ時分[やぶちゃん注:定時法で午後四時前後。]にて、しかも三昧にても、なかりけり。
さてこそ、貝に驚きし狐の意趣とは、知られけり。
[やぶちゃん注:湯浅佳子氏の論文「『曾呂里物語』の類話」(『東京学芸大学紀要』二〇〇九年一月発行第六十巻所収。ネットでPDFで入手可能)によれば、「今昔物語集」の巻第二十七の「於播磨國印南野殺野猪語第三十六」(播磨國(はりまのくに)印南野(いんなみの)にして野猪(やちよ)を殺したる語(こと)第三十六)を先行する原話として挙げておられる。主人公は飛脚であり、最終的に真相は猪が彼を化かしたという点では異なるが、中間部の展開のコンセプトは明らかに酷似しており(「今昔」のそれはもっとシークエンスが細かく長い)、本篇の原拠の一つであることは疑いようがない(但し、本篇の山伏の法螺貝の悪戯と、それへの狐の仕返しという部分は、私は非常に面白い構成と感じている)。「やたがらすナビ」のこちらで、新字であるが、電子化されたものが読める。また、「諸國百物語卷之一 六 狐山伏にあだをなす事」は本篇の完全な転用である。
「大みね」大峰山(おおみねさん)。奈良県南部にある山脈で、狭義には山上ヶ岳(さんじょうがたけ:グーグル・マップ・データ)を指し、そこは修験道の聖地として知られる。]
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