「曾呂利物語」正規表現版 第四 / 巻第四目録・一 聲よき者をば龍宮より欲しがる事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。今回の本文は、ここから。なお、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今回は、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正せず(裏写りを消すと、絵の中の複数の人物の表情が、ひどく見え難くなってしまうため)適切と思われる位置に挿入した(ここ(左丁)がそれ)。 にあるものが、比較的、状態がよいのでそれをトリミング補正した。]
曾呂利物語卷第四目錄
一 聲よき者をば龍宮より欲しがる事
二 御池町(おいけちやう)の化物(ばけもの)の事
三 狐二たび化(ば)くる事
四 萬(よろづ)の物年(とし)を經ては必ず化くる事
五 常々の惡業(あくごふ)を死して現はす事
六 惡緣(あくえん)に逢ふも善心のすゝめとなる事
七 女の妄念怖(おそろ)しき事
八 座頭あたまかり合ふ事
九 耳きれうん市が事
十 怖ろしくあいなき事
曾 呂 利 物 語 卷第四
一 聲よき者をば龍宮より欲しがる事
尾張國(をはりのくに)、熱田の宮(みや)に、常に謠(うたひ)を好きて、夜畫ともなく、唄ふ者、ありけり。
少し、海上に地を築き出(いだ)し、爰(こゝ)に一つの亭(ちん)を造り、彼(か)の一曲、なほ、怠らず。
ある夜更(よふけ)過ぐるまで、唄ひ侍りけるが、海上一丁[やぶちゃん注:百九メートル。]程(ほど)沖より、大音聲(だいおんじやう)を出(いだ)し、
「いや、いや。」
と、褒めたりけり。
此の聲、彼(か)の者の耳に留(とま)り、いと堪へ難かりけるが、其の儘、勞(いたは)りつきぬ。
[やぶちゃん注:右上のキャプションは「聲よき者はりうぐうゟほしかつてだき取」(とら)「むの所」か。但し、この挿絵のように、主人と異人が見えるシークエンス自体は、本文にはない。]
程經て、心、亂れ、既に末期(まつご)に及ばんとす。
時に、一門眷族、集まり、歎き悲しむ。
斯かりけるところに、沖の彼方より、俄(にはか)に震動して、身の毛、よ立ちけるが、丈(たけ)一丈もあるらんと覺しき男の、眼(まなこ)は日月の如く光り輝き、面(おもて)の色、朱をさしたるが如く、左右(さう)の眉は、漆を塗りたるが如くして、眞(まこと)に面(おもて)を向ふるに、魂(やましひ)を失ふ程なるが、彼(か)の座敷に、
「むず」
と居直(ゐなほ)り、
「何(なに)と養生するとも、明日(あす)の暮程に、必ず、迎ひに來(きた)るべし。」
と云ひて、消すが如くに失せにけり。
とかう、云ふべき方(かた)もなく、
「さあらば、明日は、番を置け。」
とて、弓・胡籙(やなぐひ)を持つて、各(おのおの)、宿直(とのゐ)して、待ちかけたり。
又、明くる子(ね)の刻と覺しき頃、海上、鳴動して、光、滿ちて、件(くだん)の者、來れり。
前(まへ)かどは、
「討ちも、とゞめ、射(い)も殺さん。」
と、犇(ひしめ)きしものども、滿ちて、心、茫然として、足も、なえて、俄に、かの氣色(けしき)にて、さまよふ内に、其の儘、彼の病人を抱(いだ)きて、海中に入りぬ。
此の上は、力、及ばぬ事なれば、亡き跡(あと)、弔(とぶら)ひ歎き居たる座敷へ、又、明くる戌(いぬ)の時[やぶちゃん注:午後八時前後。]ばかりに、彼の男を、寸々(すんずん)に、引き裂きて、
「欲しくば、返さん。」
とて、屋敷へ投げ出(いだ)す。
如何なる事とも、わきまへかねて。
[やぶちゃん注:ちょっと奇妙な末尾だが、謡の文句のように洒落たものであろうか。湯浅佳子氏の論文「『曾呂里物語』の類話」(『東京学芸大学紀要』二〇〇九年一月発行第六十巻所収。ネットでPDFで入手可能)では、本話の原拠らしいものとして、「今昔物語集」巻第二十七「近衞舍人於常陸國山中詠歌死語第四十五」(近衞舍人(こんゑのとねり)、常陸國(ひたちのくに)の山中(やまなか)にして、歌を詠(うた)ひて死ぬる語(こと)第四十五(しじふご))を掲げてある。所持する小学館『日本古典文学全集』の「今昔物語集」の第四巻を参考に、カタカナをひらがに直し、漢字を概ね正字にして、以下に示す。□は欠字。読み易くするため、私が送りがなに読みの一部を出してある。
*
今は昔、□□の比、□□の□□と云ふ近衞舍人、有りけり。神樂舍人(かぐらとねり)などにて有るにや、歌をぞ、微妙(めでた)く詠(うた)ひける。
其れが、相撲(すまひ)の使ひにて、東國に下だりけるに、陸奧國より常陸の國へ超ゆる山をば、「燒山(やけやま)の關(せき)」とて、極(いみ)じく深き山を通る也。
其の山を、彼の□□、通りけるに、馬眠(むまねぶり)をして、徒然(つれづれしかりけるに、打ち驚くまゝに、
『此れは。常陸の國ぞかし。遙かにも、來りける者かな。』
と思ひけるに、心細くて、泥障(あふり)を拍子に打ちて、「常陸歌(ひたちうた)」と云ふ歌を詠ひて、二、三返許(ばか)り、押し返して詠ひける時に、極じく深き山の奧に、恐ろし氣なる音(こゑ)を以つて、
「穴(あな)、※(おもしろ)。」[やぶちゃん注:「※」=「言」+「慈」。]
と云ひて、手を、
「はた」
と打ちければ、□□、馬を引き留めて、
「此れは。誰(た)が、云ひつるぞ。」
と、從者共(じうしやども)に尋ねけれども、
「誰が云つるぞとも、聞かず。」
と云ひければ、頭の毛、太りて、
『恐ろし。』と思々(おもふおも)ふ、其(そこ)を過ぎにけり。
然(さ)て、□□、其の後(のち)、心地惡(あ)しくて、病ひ付きたる樣に思えければ、從者共など、怪しび思ひけるに、其の夜(よ)の宿にして、寢死(ねじに)に死にけり。
然(しか)れば、然樣(さやう)ならむ歌などをば、深き山中(やまなか)などにては、詠ふべからず。
「山の神」の、此れを聞きて、目出(めづ)る程に、留(とど)むる也。
此れを思ふに、其の「常陸歌」は其の國の歌にて有りけるを、其の國の神の、聞き目出(めで)て、取りてけるなめり、とぞ、思(おぼ)ゆる。
然(しか)れば、此れも、「山の神」などの感じて、留めてけるにこそは。
由無き事也。
從者共、奇異(あさま)しく思ひ、歎きけれども、相ひ構へて、京に上(のぼ)りて、語りけるを、聞き繼(つ)ぎて、此(か)く語り傳へたるとや。
*]
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