西播怪談實記 新宮村農夫天狗に抓れし事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。本文はここから。]
○新宮村農夫天狗に抓(つかま)れし事
揖東郡(いつとう《のこほり》)新宮《しんぐう》村に、七兵衞といひし土民ありしが、正德年中の事なりしに、山へ薪(たきゝ)を樵(こり)に行《ゆき》て、終(つい)に歸らざれば、親兄弟、歎き悲み、二(ふた)と勢(せ)[やぶちゃん注:「二年(ふたとせ)」に同じ。]をふりしに、或夜(あるよ)、同村の後(うしろ)の山へ來たりて、
「七兵衞が戾(もどり)たるぞ、戾たるぞ、」
と、大聲にて、よばふ。
親兄弟、元來《もとより》、きゝ知《しつ》たる聲なれば、よろこびて、山へ走行《はしりゆけ》ば、近所よりも聞付《ききつけ》、走(はしり)、麓へゆくまでは、蜂に、聲、しけるが、尋上(《たづね》のぼ)りて見れば、居《をら》ず。
「慥に、此あたりなる。」
と、追々、行集(《ゆき》あつま)る人、其近辺を、殘るくまなく尋求(《たづね》もとむ)れども、終(つい)に見へざれば、爲方(せんかた)なく、皆々、歸(かへり)て、
「偖《さて》は。天狗に抓(つかま)れ、奴《やつこ》と成《なり》たるならん。」
と沙汰しあへりけり。
其後《そののち》、同村のもの、久しく東武に在《あり》て歸國せし折から、沖津(をき《つ》)の宿《しゆく》にて出會(てあい)、物いひかはしたるよしなれば、
「東國を、徘徊して居《を》るにや。」
と、あづまへ下る人には、必《かならず》、たのみけれども、逢(あい)たるものもなく、風の音信(をとつれ)さへ、絕果(たけはて)し、とかや。
右、一度、山へ歸《かへり》し比《ころ》、共々に尋行《たづねゆき》し人の、年へて後《のち》、物語の趣を書つたふもの也。
[やぶちゃん注:本篇は、先般、ブログで電子化注した『柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 山男の家庭』にも引かれてあるので、参照されたい。
「播州揖東郡新宮村」現在の兵庫県たつの市新宮町新宮附近(グーグル・マップ・データ)。
「興津」静岡県静岡市清水区興津地区(グーグル・マップ・データ)。]
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