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2023/03/14

早川孝太郞「三州橫山話」 種々な人の話 「五十里を一日に步いた男」・「無い物無しの店」・「日本三家」・「俵に入れたヒヨーソク(秉燭)」

 

[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。

 原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここから。]

 

 ○五十里を一日に步いた男  長篠村字内金《うちがね》の久保屋と云ふ家は今もありますが、此家の先代の主人は、體格も特に勝れてゐたさうで、道を步くのが殊に早く、商用で、長篠から名古屋へ二十五里の道を、一日に往復したと云ひます。その當時を記憶してゐる者の話に、三度笠を胸にあて、其笠が下に落ちない位の早さに步いたと云ひます。此人には種々變つた話があつて、次のやうな事も此人の代の事ださうです。

[やぶちゃん注:「早川孝太郎研究会」の本篇(PDF)には、この久保屋(望月家)についての詳しい注が載り、関連写真が四葉載るので、是非、見られたい。その説明の『現在は JR 飯田線と国道 151 号線が久保屋の敷地を貫通して』(☜)おり、『右は旧国道、その先が施所橋・左手は飯田線がある』。『現在残っている土地だけでもかなり広い。往時はこの付近一帯は全て久保屋の土地だったとのこと』とあることと、そこに載る写真から、この元の「久保屋」望月氏の敷地は、現在の愛知県新城市長篠施所橋(ながしのせしょばし)と新城市長篠段子(ながしのだんこ)を含むこの中央附近であったと推定される(グーグル・マップ・データ航空写真。以下同じ)。

「内金」「ひなたGPS」の戦前の地図を見ると、ここは以前は内金(村)の内にあったらしいことが推定出来る。現在の新城市長篠内金は、まさに上記二地区の間の東北に貫入する形であるのである。

「二十五里の道を、一日に往復した」五十里は百九十六・三六三キロメートルで、単純計算(二十四で割る)だと実に時速八・一八キロメートルとなる。]

 

 ○無い物無しの店  この家は萬《よろづ》雜貨商で、主としては米の賣買をやつてゐたさうですが何《いかなる》品に依らず、お客から尋ねられて、無いと云ふ事が嫌い[やぶちゃん注:ママ。]だとあつて、如何なる品でも無いのものはなかつたと云ひます。

 それについての話ですが、或時近くの作手《つくで》村で、太神樂《だいかぐら》の獅子の面や其他の付屬品が入用とあつて、村の總代の者が、遙々名古屋から大阪まで尋ね𢌞つた所が、そんな物の出來合は無いと斷はられて、歸途再び名古屋の商人の許に立寄ると、もしや長篠の久保屋と云ふ家には持合せがあるかも知れないが、若《もし》一[やぶちゃん注:ママ。「し」の誤植かと思ったが、後の『日本民俗誌大系』版では、「万一」となっている。]其處に無ければ、例へ江戶迄尋ねてもないと敎ゑられ[やぶちゃん注:ママ。]、半信半疑で歸つて來て、久保屋を尋ねると、幾組御入用かと訊かれて、面喰つたと云ふ事です。事實此家には三組迄揃つてあつたと云ひます。[やぶちゃん注:この話は「江戶」と出るから、江戸後末期のことらしい。]

  村の者などが買物に行つても、品物は一ツ宛藏から出して來て見せ、これでは少し小さいなどゝ云はうものなら、度外れた大きな物を出して來て困らせたさうです。ある時、夕立に遇つた男が、傘を買ひに飛込んで行つて、出して來た傘を見て、今少し大きい奴が欲しいと云つたため、直徑が二間[やぶちゃん注:三・六四メートル。]もある大傘を出して來たので、困つてしまつて、これはまた少し過ぎると云ふと、そんな勝手を言ふ人には賣りませんと云はれて閉口したと云ふ話があります。傘に限らず、何でも度外れた大きな物から豆のやうに小さい物迄悉く用意してあつて、奉公人が又此主人の變つた氣象をよく受けてゐたさうです。

[やぶちゃん注:「作手村」旧村域は、このポイント部を大きく含む「作手~」と地名がつく広域。]

 

 ○日本三家  この家が又圖拔けて大きな建物で、矢張其當時の主人が建てたものださうですが、村の者が、日本に三つの大きな家があると謂つて、日本三家の一ツだなどと云つてゐました。屋根の鬼瓦の高さが九尺あつて、これを屋根へ載せた時は、二尺角の欅《けやき》の柱が曲がつたなどと云ひました。此鬼瓦が、川を隔て、八名郡の小川村の、菅沼と云ふ家の鬼瓦と瞰合《みあ》つてゐて、菅沼家の鬼瓦が負けて其家は絕えず病人が出來て、遂に沒落したなどゝ云ふ話もありました。

 この人は長篠から、北設樂郡の川合へ通ずる四里の道路を、獨力で開拓したと云ふ事です。

[やぶちゃん注:「早川孝太郎研究会」の本篇(PDF)には、この豪壮な家について、『久保屋は屋号で苗字は望月と言います。長篠望月の本家は望月清重さん宅で、久保屋は九代(約 270 年)』(元文(一七三六年~一七四一年前後。徳川吉宗の治世)年間頃)『ほど前に分家したとのことです。こんな田舎に何故そんな大きな家があったのかと不思議に思って尋ねたところ、この辺りは明治の中ごろまで、豊川を舟で運ばれてきた物資がここで陸揚げされ、伊那街道を通り飯田へと向かう物流の拠点であったそうです。久保屋は言わばミニ廻船問屋だったのです』とあり、ここで語られてある望月家(久保屋)の「一の蔵の鬼瓦」の現存品の写真もある。]

 

 ○俵に入れたヒヨーソク(秉燭)  先代の沒後、現今の主人が家政を整理した時、藏に幾十年となく納めてあった品を殆ど賣拂つたと云ひますが、今日は瀨戶物、明日は傘の日と云ふ具合に、一つの品物を朝から晚まで賣つたと云ひます。酒樽などは、同じやうな樽を、三日も續けてつ糶たと云ふことでした。[やぶちゃん注:「つ糶た」はママ。これは誤植で「糶つた」で「糶」(音「チョウ」)は「競売・せり」の意であるから、「うつた」「せりうつた」であろうと思ったが、後の『日本民俗誌大系』版では、「糶(せ)った」となっていた。]

 數年前私が此家を訪ねた時、店に(現今の店は、昔の物置と云ふ事です)昔女が髮油の容器に用いた陶製の油壺が、ずつと五十程も埃に埋れて並んでゐるのを見て、珍らしいと言ふと未だ藏にもありますと言つて、見せて吳れましたが、俵に入れて昔のまゝになつてゐて、傍《かたはら》に、燈明に使う秉燭が、これも俵に入れて三俵程ありました。

 六七年前現在の主人が縣會議員の候補に立つた時の話に、投票の前日運動員に出した提灯が、何百張となく全部同じ形で、それが又同じ時代に張替へたらしい古さであつたと謂ひました。此提灯が、相手方を壓迫して勝利を獲たなどと云ひました。

[やぶちゃん注:「ヒヨーソク(秉燭)」「秉燭」(歴史的仮名遣は「ひやうそく」。「ひやう(ひょう)」も「そく」もともに呉音。現代仮名遣「ひょうそく」)は「秉燭」(へいしよく(へいしょく))とも呼ぶ(但し、「へいしょく」の場合は、「火の灯し頃」で、「夕方」の時刻を意味する場合もある)。灯火器具の一つ。油皿の中央に臍(ほぞ)のようなものがあるものや、皿の一部を片口にするものなど、様々なものがあるが、それに灯心を立てて点火する多様なものを広く指す。単独で使う場合もあるが、行灯のように内部に油皿を置き、これに菜種油などの植物性油を溜め、灯心を入れて点火する。この灯心を皿の中央に立てるように工夫したものも、「秉燭」(ひょうそく)と呼ぶ。これは、普通の油皿よりも火持ちがよく、しかも、油が皿裏に廻ることもないので、多くは掛行灯などに使用された。「タンコロ」とも呼んだ(HIMOROGI文化財Wiki」の当該項に拠った。写真が三葉ある。「秉燭」のグーグル画像検索もリンクさせておく)。「早川孝太郎研究会」の本篇(PDF)にも写真と丁寧な解説があるので、見られたい。]

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