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2023/03/11

早川孝太郞「三州橫山話」 「お年取り」・「クチアケ」・「ニユウ木」・「モチ井」・「節分」・「田植の事」・「ウンカ送り」・「ギオン送リ」

 

[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。

 原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここから。]

 

 ○お年取り  大晦日はお年取りと謂つて、年男は座敷の眞中に吳蓙を敷いて、其上で注繩[やぶちゃん注:ママ。「注連繩」の脱字。「しめなは」。]を綯《よ》つて、其にユズリ葉、裏白《うらじろ》を結びつけて、門口、神棚、佛壇、惠比須棚、立臼《たてうす》、竈 、厩 、井戶などに懸けて、地の神の祠や、墓地、山の神の祠、其他屋敷に近接した祠などがあれば其にもかけました。

 其をお祀りと謂つて、其が濟むと、家内揃つてお年取の膳を祝つて、それから神參りなどに出掛けました。

[やぶちゃん注:「ユズリ葉」ユキノシタ目ユズリハ科ユズリハ属ユズリハ Daphniphyllum macropodum subsp. macropodum の葉。当該ウィキによれば、『ユズリハは、新しい葉が古い葉と入れ替わるように出てくる性質から「親が子を育てて家が代々続いていく」ことを連想させる縁起木とされ、正月の鏡餅飾りや庭木に使われる』この三年ばかり、連れ合いの買ってくる門松の「ゆずり葉」がプラスチックになって、なにやらん、侘しい限りである。

「裏白」シダ植物門シダ綱ウラジロ科ウラジロ属ウラジロ Gleichenia japonica。和名は葉の表は非常に光沢(つや)があるが、裏面は粉を吹いて白っぽいことに由来する。当該ウィキによれば、『葉が正月飾りに使われ、注連縄、ダイダイの下に垂れ下げられている。ただし、その由来については、「裏が白い=共に白髪が生えるまで」という意味だと解釈されているが実際は不明である』とあった。

「惠比須棚」五穀豊穣・商売繁盛・大獵(漁)・子孫繁栄などを齎すとされる「えびす様」と「大黒様」との像を祀ってある神棚。本来の神棚とは別に作るのが普通。孰れもルーツは仏教以前の古代インドの神である。]

 

 ○クチアケ 十一日をクチアケと言って、この日朝早く田圃へ行って、(田のないものは畑)惠方へ向つて、三鍬程土を掘つて、其處へ其年の月の數程薄の穗を結へて立てゝ來ます。

[やぶちゃん注:農事開始の年初の民俗習慣。「口開け・口明け」などと表記する。]

 

 ○ニユウ木 十一日に山から櫟《くぬぎ》の木の直徑三四寸のものを切つて來て、其を一寸五尺ほどの長さに切つて、二ツ割りにする、これをもクチアケと謂ひました。そして十四日の朝、茄子の莖を燒いた炭を溶《と》いて、藤の枝の筆で割口へ、平年なれば十二月、閏年なれば十三月と書いて二つを一組として、家の出入口、神棚等、總て、大晦日注連繩を飾る場所に立てゝ、小豆粥を煮て、其頭に一匙宛のせて祭りました。十五日の朝は、それに雜煮を供へるのもありました。十五、十六と三日間祭つて、十七日の朝に取片附けました。あとの木は、屋敷の裏などへ積んでおきましたが、近い頃になつてからは、薪にして焚《た》く家もあつたと云ふことです。

 神棚、佛壇などに立てるものは、タマの木(桂)で丈五寸程の小さなものを造つて、橫に月の數程の線を引きました。

[やぶちゃん注:「ニユウ木」「乳木(にゆうもく)」由来か。本来は仏語で、護摩に用いる木を指し、乳汁の多い生木を用い、火勢を強めるものだが、一派には松・杉・檜などが用いられる。

「櫟」ブナ目ブナ科コナラ属クヌギ Quercus acutissima であるが、何故、櫟なのかはよく判らない。ただ、昔から薪炭木として重宝されたことから、山村の横山では極めて身近な利用木として親しみがあった樹木ではあろう。

「タマの木(桂)」ユキノシタ目カツラ科カツラ属カツラ Cercidiphyllum japonicum は、当該ウィキによれば、『和名』『は葉の香りに由来し、落葉した葉は甘い香りを発することから、香りが出ることを意味する「香出(かづ)る」が名前の由来といわれている』とあり、また、材も『香りがよく、広葉樹の中では材質は腐りにくくて耐久性があり』、『軽くて柔らかく加工しやすい上、狂いがない特性を持っている』。『ヒノキの生えない東北地方では、木彫りの用材にもなった』とあって、さらに、本邦では、『直立する幹が仏像の一本づくりに使われたことから、カツラの前で手を合わせる習慣もある』とあった。]

 

 ○モチ井  正月十四日から十六日までをモチイと言って一四日には餅を搗き、再びお年取を祝ひます。この日、米の粉で團子、繭、綿の花、立臼、ふくら雀、粟穗、稻穗などの形を造って、野生の梅の枝にさして、神棚や臺所の柱にさして飾りました。これも十七日の朝迄おいて、其朝汁粉を煮て中に入れて食べました。

[やぶちゃん注:旧正月由来の儀式である。

「モチ井」「もちひ」が正しい「餅」をかく読む。「糯(もち)の飯(いひ)」が原義で「餅」に同じである。平安からある古語である。]

 

 ○節分  節分には、クロモジの枝に、煮干の頭をさし、それにアセボと云ふ木の枝を添へて、家の出入口にさしました。

 また籠を倒さに吊《つる》して、中に古簑《ふるみの》と笠を入れて、それを棒の先につけて、表に立てました。

 豆撒きの後、家内揃つて圍爐裡《ゐろり》の傍に集つて、豆を食べながら、豆で種々な占ひをしました。茶釜の中へ、豆を一握り程投げ込んで、其茶を汲み出して飮んで、豆が入つて來ると、其年幸福があるなどゝ謂ひました。又、オキョー葉といって、タマの樹の葉より少し大きな木の葉を採って來て、それに、火炭を載せて、葉に現はれる火のあとの形によつて、文字占《もじうらなひ》をやりました。如何にして占つたか記臆してゐませんが、鍋弦《なべづる》が出たなどゝ云つた事を記臆してゐます。

[やぶちゃん注:この前半の飾りは、ウィキの「節分」を見られたいが、その前者は一般に「柊鰯」(ひいらぎいわし)で知られる魔除けで、通常は柊の小枝と、焼いた鰯の頭を家の門口に挿した。ウィキの「柊鰯」によれば、『西日本では、やいかがし(焼嗅)、やっかがし、やいくさし、やきさし、ともいう』とあり、『柊の葉の棘が鬼の目を刺すので門口から鬼が入れず、また塩鰯を焼く臭気と煙で鬼が近寄らないと言う(逆に、鰯の臭いで鬼を誘い、柊の葉の棘が鬼の目をさすとも説明される)』とある。後者は、「目籠」(めかご)と呼ばれるそれで、前の方のリンク先に、「目籠」の項があり、『千葉県では目籠を逆さまにして竹竿に吊るし、鰯の頭を大豆の枝に刺したものとヒイラギ・グミの枝を束ねて門口に刺し、鬼が近づかないようにする』。『静岡県の中西部では、目籠にハナノキとビンカを結び付けて竹竿に吊るし、軒先高くに掲げて鬼を払う「鬼おどし」と呼ばれる習慣がある』。『山梨県では、目籠とネズの枝をしばり付けた長い竹竿を庭先に立て、籠の目を鬼の目として豆を投げてこの目をたくさんつぶすと一年の災いや不幸が減少するという信仰があり、昭和』三十『年代まで盛んに行われていた』。『岐阜県恵那地方では、割り箸に刺したイワシの頭としっぽ、柊または馬酔木の枝を目籠に挿して、玄関に置く。鬼が玄関前で立ち止まり、籠の目を数え始めるとされる』(数えだしてきりがなくなって疲れ切り、侵入を禦ぐというのであろうか)。ここで早川氏の言っているものは、鬼に対抗する異形の一本足の物の怪のハリボテというニュアンスが強く感じられる。

「クロモジ」「黑文字」はクスノキ目クスノキ科クロモジ属クロモジLindera umbellata のこと。当該ウィキによれば、『特に生薬名はないが、枝と葉は薬用になり、材から爪楊枝』や箸『を作る』ことで知られ、爪楊枝の異名にもなっている。さらに近年、『抗ウイルス作用が知られ』るようにもなった。民俗社会では、そうした効用が素朴な知識として古くから意識されていたものであろう。

「アセボ」有毒植物として知られるツツジ目ツツジ科スノキ亜科ネジキ連アセビ属アセビ亜種アセビ Pieris japonica subsp. japonica の異名「馬酔木」(アシビ)の転訛。毒を以って鬼や凶を制するわけである。個人的にはあの小さな壺型の花が好きでたまらない。

「オキョー葉」は思うに「御經葉」であろう。古代インドに於いて紙がなかった頃、御経を木の葉に刻んだ貝葉経(ばいようきょう)があったが、それがルーツと思われる。Tobifudoson Shoboin氏のサイト「やさしい仏教入門」の「貝葉経」で実物の写真を見ることが出来る。頗る妖しい詐欺同前の「アガスティアの葉」(知らない方は当該ウィキをどうぞ)のように、葉に書かれる文字というのに人は神秘を感じ、惹かれやすく、騙されるのである(私は、まるまる一冊、その追跡と暴露を記した本を読んだ)。

「鍋弦が出たなどゝ云つた」意味不明。]

 

 ○田植の事  春苗代を作る事をフムと謂つて、鍬を使はないで、柴を足で田の底へ踏込みました。又苗代の肥《こや》しは、石菖を入れるものと謂つて、これを肥しにする風習がありました。石菖のやうな、腰のしつかりした苗の出來るやうに肥しにするのだと謂ひました。

 苗代に籾を播いて、家へ歸つて剃刀を使ふと、其籾が全部跳ね出してしまふと謂ひました。

 又、妻の姙娠中、新しく田の水口を切ると、生れる子供が三ツ口になると謂ひました。三ツ口のことをグチョーと謂ひました。

 田植の時、植代を造ることをカクと言つて、多く馬でカキました。馬を挽いて大騷ぎをしてやると豐作だと云ひました。シロカキには裸體の上に蓑を着て、足の脛《すね》に藁を結びつけました。馬の口をとるを、ハナドリと謂ひました。

 苗取りの時、苗を結《ゆ》へる藁は結切《むすびき》らぬものと謂つて、又これを切る事も土の中へ踏み込むことも禁じました。又苗を一ツの田に植へ[やぶちゃん注:ママ。]かけて、中止する事も厭《いと》ひました。植了《うゑをは》ると、皆の者が畦に立つて、見事だ見事だと謂つて譽めると豐作がとれると謂ひました。自分の家の田植が濟むと、他の家へ手傳《てつだひ》に行くものでしたがこれをお見舞と謂ひました。

[やぶちゃん注:「土の中へ踏み込むことも禁じました」ちょっと意味がとり難い。藁で結びきってしまった苗を持ってうっかり田地に立ち入ることを禁じたということか。

「見事だ見事だと謂つて譽めると豐作がとれる」祝祭系の予祝型共感呪術の典型である。]

 

 ○ウンカ送り  これは明治二七八年頃まで行つたさうですが、附近の村で、ウンカ送りをやつたと聞くと、早速《さつそく》村の者が遠江の秋葉山《あきはさん》へ行つて御火《おんひ》を火繩につけて迎へて來て、この火を高張提燈に移し、火繩は竹の先に揷《はさ》んで、其を先頭にして、太鼓、鉦、笛の鳴物入りで、幣帛《へいはく》を持つて田面《たづら》を拂ひながら、未だウンカ送りの濟まない村の境まで練《ね》つて行つて、其處で、幣帛を燒き捨てるのでした。

[やぶちゃん注:「虫送り」である。農作物に着く害虫を駆除・駆逐し、その年の豊作を祈願する呪術的農行事。「虫追い」とも言い、西日本では「実盛送り」「実盛祭(さねもりまつり)」など数多くの別名がある。詳しくは、参照した当該ウィキを見られたい。これは、同一地域では共時的行わないと、虫がまだやっていない地区へ移動してしまう限定おっぱなしタイプの呪術であるから、ここに出るような慌てふためいた仕儀が起こるのである。なお、「ウンカ」という標準和名を持つ生物、昆虫はいない。詳しくは私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蚋子(ぶと)の「「浮塵子〔(ふじんし)〕」の注を参照されたい。

「明治二七八年頃」一八九四、五年。

「遠江の秋葉山」現在の静岡県浜松市天竜区春野町領家の赤石山脈の南端にある標高八百六十六メートルの山。ここ(グーグル・マップ・データ)。古くより修験道の聖地とされ、山頂近くに、「火防(ひぶせ)の神」として知られる「秋葉大権現」の後身である「秋葉山本宮秋葉神社」と、神仏分離令で分かれた「秋葉山秋葉寺(あきはさんあきはじ)」がある。まさに「火伏の神」であるからして、そこの火はあらたかな神火なのである。]

 

 ○ギオン送リ これは四十年程前迄行つたさうですが、六月七日の日に、大人は村の御堂に集つて祈禱をして、子供連《づれ》が幣帛の先に、其年の初小麥を紙に包んで結ひつけて、鉦太鼓で賑かに村境迄送り出して行つたと謂ひます。又六月十五日をギオンと謂つて、此日は一切川へ行く事を忌みました。ギオンには下駄の齒の跡の水溜りにもジヤが居ると謂ひました。

[やぶちゃん注:これも前の「虫送り」と同じ五穀豊穣に基づく悪霊退散の行事である。元来は、牛頭天王と素戔嗚尊を崇める神仏習合の祇園信仰がルーツである。

「ジヤ」「邪」。]

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