柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 妖怪名彙(その7) / オイテケボリ・オツパシヨイシ・シヤクシイハ
[やぶちゃん注:永く柳田國男のもので、正規表現で電子化注をしたかった一つであった「妖怪談義」(「妖怪談義」正篇を含め、その後に「かはたれ時」から、この最後の「妖怪名彙」まで全三十篇の妖怪関連論考が続く)を、初出原本(昭和三一(一九五六)年十二月修道社刊)ではないが、「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で「定本 柳田國男集 第四卷」(昭和三八(一九六三)筑摩書房刊)によって、正字正仮名を視認出来ることが判ったので、これで電子化注を開始する。本篇の分割パートはここから。但し、加工データとして「私設万葉文庫」にある「定本柳田國男集 第四卷」の新装版(筑摩書房一九六八年九月発行・一九七〇年一月発行の四刷)で電子化されているものを使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問な箇所は所持する「ちくま文庫版」の「柳田國男全集6」所収のものを参考にする。
注はオリジナルを心得、最低限、必要と思われるものをストイックに附す。底本はルビが非常に少ないが、若い読者を想定して、底本のルビは( )で、私が読みが特異或いは難読と判断した箇所には歴史的仮名遣で推定で《 》で挿入することとする。踊り字「〱」「〲」は生理的に嫌いなので、正字化した。太字は底本通り。
なお、本篇は底本巻末の「内容細目」によれば、昭和一三(一九三八)年六月から十月までと、翌十四年三月発行の『民間伝承』初出である。]
オイテケボリ 置いてけ堀といふ處は川越地方にもある。魚を釣るとよく釣れるが、歸るとなるとどこからとも無く、置いてけ置いてけといふ聲がする。魚を全部返すまでこの聲が止まぬといふ。本所七不思議の置いてけ堀などは、何を置いて行くのか判らぬやうになつたが、元はそれも多分魚の主《ぬし》が物をいつた例であらう。
[やぶちゃん注:「本所七不思議」の一つとしてよく知られるもの。「本所七不思議」は旧本所(現在の東京都墨田区のこの広域の旧地域)に江戸時代頃から伝承される怪奇談の名数。当該ウィキによれば、『伝承によって登場する物語が一部異なっていることから』八『種類以上のエピソードが存在する』とあって、「置行堀」・「送り提灯」・「送り拍子木」・「燈無蕎麦(あかりなしそば:別名「消えずの行灯(あんどん)」)・「足洗邸(あしあらいやしき)」・「片葉(かたは)の葦」・「落葉なき椎」・「狸囃子」(別名「馬鹿囃子」)・「津軽の太鼓」が挙がっており、総て独立リンクがあるので参照されたい。因みに、「置いてけ堀」の正式名は「錦糸堀」で、江東区登録史跡としての「おいてけ堀跡」はここにあり、その声の主(ぬし)を河童とするモニュメントはこちらにある。
「置いてけ堀といふ處は川越地方にもある」サイト「妖怪伝説の旅」の「おいてけ堀/置行堀(宮代町、川越市、越谷市)」には、標題にあるように、川越周辺外にもあるようである。それによれば、川越のそれは現在の埼玉県川越市吉田とされているらしい。]
オツパシヨイシ 土地によつてはウバリオン、又はバウロ石などともいふ。路傍の石が負うてくれといふのである。德島郊外のオッパショ石などは、或力士がそんなら負はれいといつて負うたら段々重くなつた。それを投げたところが二つに割れ、それきりこの怪は絕えたと傳へられて、永くその割れた石があつた(阿波傳說物語)。昔話の正直爺さんが、取付かば取付けといふと、どさりと大判小判が背の上に乘つたといふのと、系統を一つにする世間話で、實は格別こはくない例である。
[やぶちゃん注:「オツパシヨイシ」「オッパショ石」。当該ウィキによれば、『もとは徳島市二軒屋町』(ここ)『に存在し、名のある力士の墓石とされていた』。『この墓ができてから』二、三『ヶ月後、石が「オッパショ」と声を出し始めたので、この名前で呼ばれるようになった』とする。『「オッパショ」とは「背負ってくれ」という意味で、言われるがままに石を背負うと、最初は軽く感じるものの、次第に重さを増したという』。『この噂が高まったためにこの石のそばを通る者は少なくなったが、噂を聞きつけた力自慢の男が石のもとを訪れ』、『確かに「オッパショ」と声を上げるので背負ったところ、次第に重くなり始めた』。『この石には何者かが取り憑いていると直感した男は、石を力任せに地面に叩きつけたところ、石は真っ二つに割れた』。『その後、石が声を出すことは無くなったという』とあり、『現在ではこの石は、徳島市西二軒屋町と城南町境にある焼香庵跡墓地』(ここ)『に存在する』とあった。グーグル・マップ・データ航空写真を視認し、墓群とまさに「オッパショ大明神」を発見した。サイド・パネルの画像を見られたい。柳田は「妖怪談義」(狭義の正篇)の「八」でも言及している。
「ウバリオン」、新潟県三条市に伝わる妖怪「おばりよん」であろう。当該ウィキによれば、『大正時代の新潟の民俗誌』「越後三条南郷談」には、『「ばりよん」の名で記載があり』、『他にも「おんぶおばけ」「うばりよん』」『「おぼさりてい」とも言われる』とある。
「バウロ石」前掲と同系統の妖怪石。「ばうろ」とは、やはり、「おばうて呉れ」と言葉を発する「石」の意であろう。
「阿波傳說物語」国立国会図書館デジタルコレクションの原本のここで「オツパシヨ石の由來」が視認出来る。]
シヤクシイハ 作州箱村の箱神社の近傍に在る杓子岩は、夜間人が通ると味噌をくれといつて杓子を突出したのでこの名があるといふ(苫田《とまた》郡誌)。味噌を持つてあるく人もさう有るまいから、これはもと味噌を供へて祭つた石かと思はれる。
[やぶちゃん注:「作州箱村の箱神社」不詳。以下の「苫田郡誌」を国立国会図書館デジタルコレクションで見ると、ここに当該部があったが、その「(六)杓子岩」の項には、『泉村大字箱舊箱神社の近傍に在り』とある。旧苫田郡を探ってみると、岡山県苫田郡鏡野町(かがみのちょう)の中に「鏡野町 泉公民館」を見出せた。この近くの「泉神社」のサイド・パネルの画像を見たところ、多量の氏神合祀を記した解説板の中に、『箱字茅ノ葉尻』として、『村社』『箱中神社』というのに目が止まった。しかして、遅ればせながら、この南西直近に岡山県苫田郡鏡野町箱(はこ)を発見出来た。ここのどこかに、この「箱神社」は在ったと考えてよい。]
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