早川孝太郞「三州橫山話」 種々な人の話 「鯉龜」
[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここ。]
○鯉龜 鯉龜《こひがめ》と云ふ爺さんは、本名を早川龜太郞と謂つて、もう六年程前に亡くなりましたが、ふだん魚を捕つたり、籠を慥《こしら》へたりしてゐました。無論百姓もしましたが、村の生砂神《うぶすながみ》の神主の代理もやつてゐました。屋敷の内へ池を造つて鯉を飼つてゐたので、鯉龜と云ふ渾名《あだな》がついたと聞きました。夏は無論のこと、冬、人の魚を餘り捕らぬ時に、大仕掛《おほじかけ》な事をして魚を捕つて行くので、他の村へ行くと、橫山のポンがきたと云はれたさうでした。此爺さんが一生の中《うち》に、一番大きいと思はれる魚を捕つたのは、長篠の水神下《すいじんした》と言ふ所で、夜網にかゝつた鱸《すずき》で、筵を縱に折つて包んでも、未だ頭と尻尾が出てゐたと云ふことでした。鳥の大きな奴は、熊鷹《くまたか》の大きいのを見た事があるが、何分空を高く飛んでゐるので、判然《はつきり》とは言へないが、其あとに隨つてゆく、澤山の鳥や鳶《とび》が普通の鳶と小雀位の比較に見えたと云ひました。二囘許り宙を𢌞つて北の方へ飛んで行つたと謂ひます。
[やぶちゃん注:「村の生砂神」既出既注。
「ポン」前回で既出既注。
「長篠の水神下」現在の愛知県新城市能登瀬壱輪(のとせひとわ)にある水神宮(白岩温泉)の宇連川(うれがわ)の下流であろう(グーグル・マップ・データ)。この附近は「ひなたGPS」の戦前に地図を見ると、広域の「長篠村」であったことが判る。
「鱸」鰭綱棘鰭上目スズキ目スズキ亜目スズキ科スズキ属スズキ Lateolabrax japonicus。この場所は、豊川を下って実に五十キロメートルも上流の山間であるが、スズキはいる。多くの海水魚が、分類学上、スズキ目 Perciformes に属することから、スズキを海水魚と思っている方が多いが、海水域も純淡水域も全く自由に回遊するので、スズキは淡水魚であると言った方がよりよいと私は考えている。海水魚とする記載も多く見かけるが、では、同じくライフ・サイクルに於いて、海に下って稚魚が海水・汽水域で生まれて川に戻る種群を海水魚とは言わないし、海水魚図鑑にも載らないウナギ・アユ・サケ(サケが成魚として甚だしく大きくなるのは総て海でであり、後に産卵のために母川回帰する)を考えれば、この謂いは、やはり、おかしいことが判る。但し、生物学的に産卵と発生が純淡水ではなく、海水・汽水で行われる魚類を淡水魚とする考え方も根強いため、誤りとは言えない。というより、淡水魚・海水魚という分類は既に古典的分類学に属するもので、将来的には何か別な分類呼称を用意すべきであるように私には思われる。私の「大和本草卷之十三 魚之上 河鱸 (スズキ)」も参照されたい。
「熊鷹」タカ目タカ科クマタカ属クマタカ亜種クマタカ Nisaetus nipalensis orientalis。博物誌は私の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 角鷹(くまたか) (クマタカ)」を見られたいが、全長は♂で約七十五センチメートル、♀で約八十センチメートル。翼開長は約一メートル六十センチメートルから一メートル七十センチメートルに達し、本邦に分布するタカ科の構成種では、大型であることが、和名の由来(熊=「大きく強い」の意)である。
「鳶」タカ目タカ科トビ亜科トビ属トビ亜種トビ Milvus migrans lineatus。タカ科の中では比較的大型であり、全長は六十~六十五センチメートルほどで、ここに出るカラスより一回りは大きい。翼開長は一メートル五十から一メートル六十センチメートルほどになるから、よほど、このクマタカは大物であったことが判る。]
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