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2023/03/13

西播怪談實記(恣意的正字化版) / 出合村孫次郞死し不思議の事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたいが、「河虎骨繼の妙藥を傳へし事」の冒頭注で述べた事情により、それ以降は所持する二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」北城信子氏校訂の本文を恣意的に概ね正字化(今までの私の本電子化での漢字表記も参考にした)して示すこととする。凡例は以前と同じで、ルビのあるものについては、読みが振れる、或いは、難読と判断したものに限って附す。逆に読みがないもので同様のものは、私が推定で《 》で歴史的仮名遣で添えた、歴史的仮名遣の誤りは同底本の底本である国立国会図書館本原本の誤りである。【 】は二行割注。挿絵は新底本のものをトリミングして適切と思われる箇所に挿入した(底本の挿絵については国立国会図書館本の落書が激しいため、東洋大学附属図書館本が使用されている)。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

 ○出合(であい)村孫次郞死(しせ)し不思議の事

 揖東郡(いつとうごほり)出合村に、孫次郞といふて、年、四十斗(ばかり)の男なるが、年比(としごろ)、京・大坂(おほざか)に通(かよい)て、小間物を商ひけり。

 年は享保の半(なかば)、五月十七日の事なりしに、近所を迥(まは)りて、

「私(わたし)事、明後十九日に上方へ罷登り申侯間、何にても、御用仰付《おほせつけ》られ下さるべし。」

と、いふて、歸(かへり)けるが、既に其日も暮(くれ)て、翌(あくれ)ば、十八日の朝未明に、隣(となり)へ行(ゆき)て、戶を叩(たゝ)く。

 亭主、

「誰(た)そ。」

と、いへば、

「孫次良《まごじらう》[やぶちゃん注:ママ。]なるが、我を、今日、連(つれ)に來(く)るもの、在(あり)。恐(おそろし)き事、限(かぎり)なし。いかやうともして、隱して給(たまは)れ。」

といふ。

 亭主、

『亂氣(きやうき)。』[やぶちゃん注:ママ。]

と思ひ、

「成程(なるほど)、心得たり。後程(のちほど)、來(こ)られよ。」

と、いへば、宅(たく)へ歸(かへり)て、脇差・鎌を腰に指(さし)、二階へ上(あが)る。

 妻子(さいし)も心得ず、跡より上りて見れば、窓を、切破(きりやぶ)て、差覗(さしのぞき)て居れば、

「何を、し給ふ。」

と問(とへ)ば、

「けふ、我を連に來るもの在。何方(いづかた)より來るぞ、見てゐる。」

と答ふ。

 それより、二階を下(をり)れば、妻子も、常ならず思ひて、續(つゞい)て下(をり)るに、孫次郞は、又、彼(かの)隣へ行(ゆき)て、

「早々、隱し給れ。」

と、いへば、

「心得たる。」

とて、戶棚を明(あく)れば、這入(はいいり)、片隅に小成(ちさくなり)て居《ゐ》けるが、出《いで》て、いふやう、

「戶棚の中にも、身の毛彌竪(よだち)て、ゐる事、叶(かなは)ず。櫃(ひつ)へ入(これ)て、其上に、居《ゐ》て給れ。」

と、いふによりて、則(すなはち)、櫃を取出(とりいだ)し、入(いれ)けるに、大(だい)の男の、小(ちさ)くゞまりて、入(いり)けるぞ、不思議なれ。

 然所(しかるところ)に、妻子、連(つれ)に來たりければ、櫃共《とも》に、下部(しもべ)に、かゝせて、送りけり。

 

Ransin

 

 かくて、妻子、櫃のうへへ、上居(あがりい)て、番をしけるに、ほどなく、未の刻も下(さが)る[やぶちゃん注:午後二時から三時の間。]斗(ばかり)なるに、櫃の中にて、

「きやつ。」

といふ聲に、驚き、蓋(ふた)を明(あけ)て見れば、黑血(くろち)を吐(はい)て、死(しん)でゐければ、妻子、泣悲(なきかな)しむこゑに、近所のものも、走寄(はしりより)て見るに、聊(いさゝか)も、疵は、なかりしと也。

 かくて、翌日、葬送をしけるに、何の故障(こしやう)もなく、野邊の煙(けぶり)となし果(はて)けるとかや。

「右、孫次良は、常々、親へ不孝、其上、我(わが)剛强(がうきやう)にまかせて、人にも恥辱をあたへければ、村中は勿論、近鄕よりも、憎(にくみ)し。」

と也。

 其餘(そのよ)の隱惡(いんあく)はしらねども、終(つい)に、かゝる怪死に及ぶ。

 後世(こうせい)の人、愼(つゝしま)ざるべきや。

 右は、其節、其近村(きんむら)に滯留したる吳服屋、此邊(このへん)へも、來たりて、物語の趣を書傳ふもの也。

[やぶちゃん注:病態は、重い追跡妄想を伴う、恐らくは統合失調症と思われるが、黒い血を吐いて死んでいるところは、重篤な胃潰瘍或いは胃癌も併発していたものか。

「揖東郡(いつとうごほり)出合村」不詳。「出合村」自体が見当たらない。揖東郡であれば、現在の揖保郡太子町(全域)、及び、姫路市の一部、たつの市の一部に相当するものと思われるが、判らない。識者の御教授を乞う。

「享保の半(なかば)」享保は二十一年まであるので、享保一〇(一七二五)年前後。]

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