早川孝太郞「三州橫山話」 蛇の話 「蛇のいろいろ」・「昇天する蛇」
[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここから。]
○蛇のいろいろ 最も數多く居るのは、山カヾシで、靑大將(ナマズと謂ふ)[やぶちゃん注:読点なしはママ。]蝮《まむし》、縞蛇《しまへび》(シロオロチとも謂ふ)[やぶちゃん注:読点なしはママ。]烏蛇《からすへび》、ヒバカリなどで、稀に、ヂモグリと云ふ、地の中をモグツてあるく、蚯蚓《みみず》の大きいやうな、真赤な蛇があると云ひます。
[やぶちゃん注:「山カヾシ」爬虫綱有鱗目ナミヘビ(並蛇)科ユウダ(游蛇)亜科ヤマカガシ(赤楝蛇・山楝蛇)属ヤマカガシ Rhabdophis tigrinus。認識が甘い人が多いが、ヤマカガシは立派な毒蛇である。同種は後牙類(口腔後方に毒牙を有する蛇類の総称)で、奥歯の根元にデュベルノワ腺(Duvernoy's gland)という毒腺を持っている。出血毒であるが、血中の血小板に作用して、かなり速いスピードで、それを崩壊させる。激痛や腫脹が起こらないため、安易に放置し勝ちであるが、凝固機能を失った血液は、全身性の皮下出血を引き起こし、内臓出血から腎機能低下へ進み、場合によっては脳内出血を引き起こして、最悪の場合は死に至る。実際に一九七二年に動脈のヤマカガシ咬症によって中学生が死亡する事故が発生している。深く頤の奥で咬まれた場合は、至急に止血帯を施し、医療機関に直行する必要がある。和名の「カガシ」は、古語で「蛇」を意味し、「山の蛇」の意。である。水辺を好み、上手く泳ぐことも出来る。私は昔、富山の高岡市伏木の家の裏山の中型の貯水池で、悠々と中央を横切って泳ぎ渡る彼を見て、惚れ惚れしたのを忘れない。
「蝮」クサリヘビ(鎖蛇)科マムシ亜科マムシ属ニホンマムシ Gloydius blomhoffii。「マムシ」は恐らく有毒の広義の一部獣類を含む「蟲類」の強毒のチャンピオンという意味の「眞蟲」が語源と推定される。毒性はハブよりも強いが、体が小さいため、注入される毒量は少ない。マムシ咬症の一般的病態は、出血(但し、咬傷を受けた部位にもよろうが、咬んだ部分は小さいため、通常ならば、それほど目立たないようであるが、動脈を咬まれた場合は、凝固反応が阻害された出血症状が顕著に起こる)・血圧低下・腫脹(顔面及び眼球の腫脹が暫くして発生する)・皮下出血(体外出血が顕著でなくても、これは普通に広く見られる)・発熱・眩暈(めまい)・リンパ節の腫脹及び圧痛(これは受傷後一~二時間後)、重症の場合は意識混濁・腫脹部の筋肉の壊死・眼筋麻痺からの視力低下等を示す。適切な治療を受けないと。二~九日後には、急性腎不全による排尿障害・蛋白尿・血尿等の循環器障害を呈し、後遺症として腎機能障害が残るリスクは高い。致命的なケースは極めて少ないと言えるが、甘く見てはいけない。
「縞蛇(シロオロチとも謂ふ)」ナミヘビ科ナミヘビ亜科ナメラ属シマヘビ Elaphe quadrivirgata。本種は普通は淡黄色の体色に四本の黒い縦縞模様が入る)種小名「quadrivirgata」は「四本の縞」の意)が、縞が全くない個体や頤の辺りが黄色い個体もおり、腹板が目立つ模様はなく、クリーム色・黄色・淡紅色を呈することから、白系へ偏った箇所が他の蛇類よりも目立つことから「白大蛇(しろおろち)」という異名となったものか。或いは、しばしば認められる「神使」と崇められるシマヘビのアルビノ(albino:白化個体)が縁起担ぎで転用されたものかも知れない。但し、個人的には、後に出るヒバカリの強い白系に偏移した個体を形状の似たシマヘビと誤認したではないかと私は思っている。
「烏蛇」これはアオダイショウ(青大将:ナミヘビ科ナミヘビ亜科ナメラ属アオダイショウ Elaphe climacophora)、及び前記のシマヘビ、或いは先のニホンマムシの孰れかを指す広汎な地方名である。「カラスヘビ」は文字通り、烏のように「黒い蛇」を通称総称するものであり、種名ではない。
「ヒバカリ」ナミヘビ科ヒバカリ属ヒバカリ Hebius vibakari。当該ウィキによれば、北海道を除いて、本州・四国・九州・壱岐・隠岐・屋久島などに棲息する。全長四十~六十五センチメートルで、『胴体の斜めに列になった背面の鱗の数(体列鱗数)は』、『総排出口までの腹面にある幅の広い鱗の数(腹板数)』で百四十二から百五十三枚、『総排出口から後部の鱗の数(尾下板数)は左右に』六十二から八十二枚ずつを数える。『背面の色彩は淡褐色や褐色』(白偏移の個体も多い)で、『吻端から口角、頸部にかけて』、『白や淡黄色の斑紋が入る』。『腹面を覆う鱗(腹板)の色彩は黄白色で、外側に黒い斑点が入る』とある。和名のそれは「日計」「日量」で、これは、『無毒種』であるが、嘗つては『毒蛇とみなされていた』ことから、『「噛まれたら命がその日ばかり」に由来する』ものである。
「ヂモグリと云ふ、地の中をモグツてあるく、蚯蚓《みみず》の大きいやうな、真赤な蛇」ナミヘビ科ナメラ属ジムグリ属ジムグリ Elaphe conspicillata。当該ウィキによれば、全長は七十センチメートルから一メートルで、『体色は赤みがかった茶褐色で、黒い斑点が入る』。『個体により、ジグザグ状になる』。『斑点は成長に伴い』、『消失する。腹面の鱗(腹板)には黒い斑紋が入り、市松模様(元禄模様)状になるため』、『別名、元禄蛇とも呼ばれる』。『頭部に』『「V」字の模様があり、この線が眼にかかるところが』、『学名の由来(鼻眼鏡の意)となっている。上顎は下顎に覆い被さる』。『頸部は太く、頭部と胴体の境目が不明瞭』である。和名の「地潜」で、『特に林床を好み、よく地中や石の下等に潜ること』に由来する、とある。]
○昇天する蛇 山カヾシは天に昇ると謂ひます。又山カヾシの、軀が太くどす黑い奴は能無しで、引締まった軀の、赤色の勝つた蛇が、昇るのだとも謂ひます。
[やぶちゃん注:以下、底本では、「午後二時頃だつたと云ひます。」までが全体が一字下げ。前後を一行空けた。]
昇つたのではなからうかと云ふ噺 大正四年の夏、橫山の近藤福太郞と云ふ男が、早川明と云ふ當時十三歲の少年と二人で、字仲平の桑畑の中で桑を摘んでゐると、傍の桑の木へ、小さな山カヾシが梢に近くなると、軀[やぶちゃん注:底本では「驅」。『日本民俗誌大系』版で訂した。]の重さで、梢が曲るのに落《おつ》こちては登つて行き、登つては落ちしてゐたさうですが、ふと眼を他へそらした間に、其蛇が皆目知れなくなつたので、二人してあたりを探したさうですが、遂に見つからなかつたと云ひました。餘まり不思議故、天に昇つたのではなからうかと云つてゐました。よく晴れた日の、午後二時頃だつたと云《いひ》ます。
[やぶちゃん注:古来からある「蛇の龍への昇天」に基づく認識である。思うに、猛禽類が攫っていったものと私は思う。]
三河に近い、遠江の引佐《いなさ》郡井伊谷《ゐいのや》村のジグジと云ふ所の、ジグン寺と云ふ寺の門前に、六月、田植の人達が雨やどりしてゐると、門前にある大きな桑の木に、山カヾシの赤く輝くやうな奴が卷きついて、篠突く夕立の中に、昵《じつ》と頭を空に向けてゐたと云ひますが、其人達が、あの蛇は、何をしてゐるのかと、不思議がつて、何だか先刻より思ふと、蛇の頭が少し長くなつたやうだと、囁き云ふ中《うち》、ふと眼を他にそらしたか、と思ふ瞬間、其處に居合した者の眼にも、蛇の行衞が更に知れなくなつたと、其中の一人の女が、私の母に話したのを聞きました。
[やぶちゃん注:これは衆目の中で起こったことで、複数の目撃者がいる以上、猛禽類に捕えられたとするには、ちょっと問題のある真正の怪異である。
「引佐郡井伊谷村のジグジ」現在の浜松市北区引佐町(いなさちょう)井伊谷(いいのや:グーグル・マップ・データ)の地区内に飛地として存在する浜松市北区神宮寺町(じんぐうじちょう:同前)であろう。
「ジグン寺」現在の神宮寺町にはそれらしい寺はない。一つ思ったのは、南直近の井伊谷にある井伊谷宮(いいのやぐう:同前)の旧別当寺(廃寺か)ではなかったろうか? と感じはした。
以下、同前。同じ処理をした。]
昇つたのを實見した話 名前は今記憶してゐませんが、私の母方の祖母の從弟で、八名郡下川村字下條《げじやう》と云ふ村へ、婿養子に行つた男が、夏、畑に出て綿を採つてゐると、傍へ小さな山カヾシが來て、空に向つて高く頸を上げてゐるので、不思議に思つて、仕事の手を休めて視てゐると、其蛇が、尾をぶるぶると顫はせたと思ふ間に、するする空に向つて昇つて行くので、驚いて、附近に働いている人たちを呼集め、蛇がだんだん高く昇つて最後にヒラヒラと小さく見えずなる迄、見物したとひました。其日は空に雲一ツない、よく晴れた日であつたと言います。其男が祖母に話したのを聞きましたが、同じ男が、其處此處で幾度も其事を物語つたと云ひます。
[やぶちゃん注:これも目撃者が複数おり、やはり怪異である。
「八名郡下川村字下條」「Geoshapeリポジトリ」のこちらで旧村域が確認出来る。愛知県豊橋市下条東町(げじょうひがしまち:同前)附近か。]