西播怪談實記(恣意的正字化版) / 段村火難の時本尊木に懸ゐ給ふ事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたいが、「河虎骨繼の妙藥を傳へし事」の冒頭注で述べた事情により、それ以降は所持する二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」北城信子氏校訂の本文を恣意的に概ね正字化(今までの私の本電子化での漢字表記も参考にした)して示すこととする。凡例は以前と同じで、ルビのあるものについては、読みが振れる、或いは、難読と判断したものに限って附す。逆に読みがないもので同様のものは、私が推定で《 》で歴史的仮名遣で添えた、歴史的仮名遣の誤りは同底本の底本である国立国会図書館本原本の誤りである。【 】は二行割注。]
○段村(だんむら)火難(くはなん)の時(とき)本尊(ほんぞん)木に懸(かゝり)ゐ給ふ事
享保年中の事成(なり)しに、佐用郡段村に、出火、有《あり》て、類燒、五、六軒なり。
其内に、長兵衞といひし農夫、眞宗にて、「後世者(ごせしや)」とも沙汰するほどのもの成(なり)けるが、火本(ひもと)の隣(となり)にて、殊に曉の事なれば、とかふする内に、火、移(うつり)、家内、漸(やうやう)、起出(おきいで)たれども、周章迥(あはてまはり)て、得(ゑ)働(はたら)かず、家財、殘らず、燒失しけり。[やぶちゃん注:「得(ゑ)」は呼応の不可能の副詞「え」の当て字。読みは誤り。]
然(しかれ)ども、長兵衞、家財の燒(やけ)し事は、一言(《いち》ごん)も、「惜(おし[やぶちゃん注:ママ。])し」と、いはず、只、本尊を初(はじめ)、佛壇の燒(やけ)にし事のみ、いふて、本意(ほい)なき風情なりしが、程なく、火も治(おさまり)、翌日は、近村よりも、大勢、合力(がうりよく)にきたりて、灰(はい)を片付(かたづけ)けり。
長兵衞裏の畑(はたけ)の隅に、大なる柹木(かきのき)有《あり》ければ、其下にて、人足、煙草を吞(のみ)て居(い)けるが、ある人足、柹木を見上(みあげ)て、
「こは、不思議や。佛樣の懸てゐ給ふ。」
と、いふて、急(いそぎ)、長兵衞に告(つぐ)れば、走寄(はしりより)て見るに、年來(ねんらい)、御馳走(ごちさう)申《まをし》たりし本尊なれば、感淚を流し、卷奉(まきたてまつ)りて、其村の一家(いつけ)の方(かた)へ、預置(あづけをき)ける。
是を聞(きく)人每(ごと)に、奇異の思ひを成(なし)、段村へ行(ゆき)て拜み奉り、彌(いよいよ)、佛恩を悅(よろこび)けり。
其後(そのゝち)、普請(ふしん)、出來立(できたち)、佛檀[やぶちゃん注:ママ。]も相調(あいとゝのい)ければ、迎入(むかへいれ)奉りて、今に御馳走申《まをす》事、他念なし、とかや。
「寔(まこと)に、不思議の靈佛。」
と、沙汰せし趣を書つたふもの也。
[やぶちゃん注:「段村」現在の兵庫県宍粟(しそう)市山崎町(たまさきちょう)段(だん)であろう(グーグル・マップ・データ)。
「享保年中」一七一六年から一七三六年まで。
「後世者(ごせしや)」ひたすら、極楽往生を願う人のこと。「ごせにん・ごせびと・ごせもの」とも呼ぶ。浄土宗・浄土真宗の信徒。
「御馳走」ここは「心を込めて信心し申し上げること」を言う。]
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