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2023/03/19

「曾呂利物語」正規表現版 九 舟越大蛇を平らぐる事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今までは、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正(裏映りが激しいため)した上で、適切と思われる位置に挿入してきたが(本篇には挿絵があり、ここ(左丁)がそれである)、裏映りを消すために補正すると、薄くなるか、全体が黄色くなるかで、今一つ気に入らない。そこで、状態がかなりいい、上記岩波文庫版に挿絵の載るものは、それを画像で取り込み、トリミング補正することとした(今回はそれである)。

 なお、標題は「船越(ふなこし)、大蛇(だいじや)を平(たひ)らぐる事」である。]

 

     九 舟越大蛇を平らぐる事

 いつの頃にか有りけん、淡路國(あはぢのくに)に、「舟越」とて、弓矢を取つて、名を得し有りけり。

 彼の知行所に、

「大蛇、住みける。」

といふ池あり。

 廣さ二町四方[やぶちゃん注:約二百十八メートル四方。]も有るべし、眞(まこと)に凄まじき池の心(こゝろ)なり。[やぶちゃん注:「心」ここは様子・有様・雰囲気の意で用いている。]

 しかるに、每年、人御供(ひとごく)をそなふること、久し。怠りぬれば、必ず、洪水し、多くの田畠(たはた)、損じけり。[やぶちゃん注:「人御供」人身御供(ひとみごくう)。]

 さるによつて、今も在所の女を、一人(ひとり)づつ、池の中に牀(ゆか)をして、供ヘ置けば、大蛇、來たりて、是を、とる。

 舟越、つくづく思ふやう、

『かくしつつ、はてはては、我が知行所に、女といふもの、たゆべし。縱(たと)ひ、さなきとて、我が領する下(もと)に、斯樣(かやう)の事あらんを、いかで、打捨(うちす)てては置くべき。いかさまにしるしを見せでは、適(かな)ふまじ。』

と思ひ、重籐(しげどう)の弓に、山どりの尾にて矧(は)いだる大(おほ)かりまた一つがひ、あし毛の馬に、うち乘つて、かの池を、さして行く。

 馬の太腹(ふとばら)、ひたるほど、乘りこみて、大音聲(だいおんじやう)にて、のたまひけるは、

「抑(そもそも)、我ならで、此の池に、主(ぬし)有るべき事、心得ず。そのうへ、地下(ぢげ)の女子(によし)を御供にとる、供へざれば、洪水して、多くの田地を損ふ事、かれこれ、以つて、奇怪なり。まこと、此の池の主たらば、只今。出でて、我と、勝負をあらはせ。」

と、高らかにこそ、呼ばはつたれ。

 その時、水の面(おもて)、俄に騷ぎ、鳴動すること、やゝ久しうして、たけ一丈ばかりなる大蛇、いで、角を振りたて、紅(くれなゐ)の舌をいだして、舟越を目掛けて、かゝりける。

 待ち設(まう)けたる事なれば、矢、ひとつ、打番(うちつが)ひ、其の間(あひだ)、十四、五間(けん)[やぶちゃん注:二十五・五~二十七・三メートル。]もあるらんとおぼしき頃、

「もと筈(はず)、うら筈、一つに、なれ。」

と、よつぴき、

「ひやう」

と放つ。

 此の矢、誤またず、大蛇の口に、

「つつ」

と、入る。

 乙矢(おや)を射る間のあらざれば、駒を、はやめて、逃げ來たる。

 大蛇は、のがさじと、追つかくる。

 

Bueihunakosi

 

[やぶちゃん注:以上では切れてみえないが、「国書データベース」で確認すると、キャプションは「ふなこし大しやたいらく事」と読める。]

 

 舟越、我が屋に驅け込み、門を、

「はた」

と、たてければ、門の上へ、及びかゝる所を、内より、乙矢(おとや)を放ちければ、手ごたへして、

「はた」

と當たり、さすが大兵と云ひ、二の負ひ手、なじかは以つて、たまるべき、門の上に及びながら、大蛇は、忽ち、死してけり。

 されども、舟越も其のまま、氣を、とり失ひ、三日(か)めに、空しくなる。

 かの葦毛(あしげ)の駒(こま)も、死にけるとかや。

[やぶちゃん注:ダイナミックでリアリズムがある悲壮なる英雄の大蛇退治譚である。この話、以前に電子化注した後代の「老媼茶話 武將感狀記 船越、大蛇を殺す」と同話であり、そちらで、この舟越なる人物について、私なりにモデルを比定してあるので(知人の指摘を受けて二〇二三年三月二十日に修正した)、是非、読まれたい。なお、湯浅佳子氏の論文「『曾呂里物語』の類話」(『東京学芸大学紀要』二〇〇九年一月発行第六十巻所収)では、類話について、膨大なそれらを掲げておられるので、興味のある方は、一読を強くお薦めするものである。

「重籐(しげどう)の弓」「滋藤」とも書き、「しげとう」とも読む。弓の束(つか)を黒漆塗りにし、その上を籐(とう)で強く巻いたもの。大将などの持つ弓で、籐の巻き方などによって多くの種類がある。正式には握り下に二十八ヶ所、握り上に三十六ヶ所を巻く。参照した「goo辞書」のこちらに、当該の弓の図があるので見られたい。

「矧(は)いだる」竹に羽をつけて矢を作ることを言う。

「大(おほ)かりまた」大雁股。「雁股」は鏃(やじり)の一種で、先端を二股にし、その内側に刃をつけたもの。飛ぶ中・大型の鳥や、走っている鹿や猪などの足を一矢で射切るのに用いる。ここはそれを矢の先に装着した矢を言う。参照した「コトバンク」の「精選版 日本国語大辞典」のこちらに、その鏃をつけた矢の先の図があるので、参照されたい。

「一つがひ」同一の大雁股の矢二本。

「もと筈(はず)、うら筈」岩波文庫版の高田氏の注に、『弓の兩端の弦(つる)をかける所。弓を射る時、上になる方を末筈』(うらはず)、『下になる方を本筈』(もとはず)『という』とある。ここは、強力に弓を引いて射て、大蛇を仕留めるための窮極の勲(いさおし)である。

「乙矢」第二番目に射る矢のこと。

「二の負ひ手」同前の高田氏の注に、『二つの重い傷』とある。無論、大蛇の受けたそれである。

「なじかは」副詞で、ここでは「どうして~か、いや、~ない」で反語の意を表わす。「なにしにかは」→「なにしかは」→「なんしかは」→「なじかは」と変化・縮約されて出来た語。]

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