「曾呂利物語」正規表現版 第二 六 將棊倒しの事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にし、さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今回は、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正せず(裏写りを消すと、絵の中の複数の人物の表情が、ひどくみえにくくなってしまうため)適切と思われる位置に挿入した(ここ(右丁)がそれ)。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]
六 將棊倒(しやうぎだふ)しの事
關東に、ある侍(あぶらひ)、主(しう)の命(めい)に背き、とうがん寺といふ寺にて、腹を切りけるを、
「明日(あす)、葬禮をせん。」
とて、庫裏(くり)には、其の用意をし、彼(か)の死人(しにん)を棺(くわん)に入れ、客殿におき、坊主十人ばかり、番をしてゐたりけり。
更けゆく儘(まゝ)に、皆、壁に寄りかゝり、居睡(ゐねぶ)りけるに、其の中に、下座なる坊主二人は、未(いま)だ寢入(ねい)らで、物語りして侍るに、かの棺、震動して、死人、棺を打破(うちやぶ)り、立ち出で、さも、凄まじき有樣(ありさま)にて、燈火(ともしび)の下(もと)に行き、紙燭(しそく)をして、火を付け、土器(かはらけ)なる油を、ねぶる。[やぶちゃん注:この「ねぶる」は通常の「舐める」の意。]
[やぶちゃん注:右上端のキャプションは「しやうぎたふしの事ひそくはな入る所」(「ひそく」はママ。)である。亡者からは未だに切腹の血が鮮やかに滴っているのも奇異を添えている。]
其の後(のち)、上座(かみざ)にある坊主の鼻へ、紙燭を入れて、ねぶり、次第に、下座(げざ)まで、鼻へ入れて、ねぶりねぶり、しける。[やぶちゃん注:ここに出る「ねぶる」は特異な用法で、「吸引して舐める」のであるが、岩波文庫の高田氏の脚注に、『鼻の穴へ、こよりをさして、生者の「気」をなめ取ることをい』っているのである。挿絵も、その一瞬を切り取っているのである。]
二人の僧、あまり、恐ろしさに、息も立てず居(ゐ)たりけるが、次第に、近づきければ、逃ぐるともなく、走るともなく、庫裏へ倒れ入りぬ。
各(おのおの)、肝を潰し、
「これは、如何なる事ぞ。」
と、いひければ、
「しかじか。」
と云ふ。おのおの、急ぎ行き見れば、彼(か)の幽靈も、なし。
棺を見れば、別の事も、なし。
坊主たちを、起こしければ、將棊倒しの如く、いづれも死に入りにけり。
いろいろ、氣を付けけれども、遂に、生き出でずなりにけり。
[やぶちゃん注:「諸國百物語卷之二 四 仙臺にて侍の死靈の事」は芸のない転用物。
「東岸寺」岩波文庫の高田氏の注に、『不詳。同名の寺は下野国都賀』(つが)『郡、下総国海上』(古くは「うなかみ」、近代は「かいじょう」)『郡などにあったが、いずれも該当せず』とある。]
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