早川孝太郞「三州橫山話」 山の獸 「老婆を喰殺した狸」・「狸の腹鼓」
[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここ。]
○老婆を喰殺した狸 字池代の大久保と云ふ山に住んでゐた狸は全身白毛の古狸で、近くの深澤と云ふ處の路に出て、坊主に化けて人を嚇すなどと謂ひましたが、明治の初め頃、こゝに近くの早川孫總と云ふ家で、老婆を一人留守に置いて柴刈に出かけたあとで、此狸が婆さんを喰殺《くひころ》して、山へ持つて行つたと云ひました。翌日山を探すと、婆さんの頭と肢が、離ればなれの處にあつたのを拾つて來て埋めたなどゝ謂ひました。此老婆は眼が不自由で、いつも緣側に日向ぼつこをしてゐたさうです。
○狸の腹鼓 山へ仕事に行っていると、狸が呼ばると謂つて、タンタンと音して、向ひの山で木を伐つては、ホイと呼ぶのに、うつかり返事をすると、それは狸だつたので仕事を中止して歸つたなどゝ謂ひました。
人間でいえば苦しそうな聲で、ホーイと幽かに呼ぶとも謂ひます。夜一人でゐる時は、狸が呼ぶから、うつかり返事してはならないとも云ひました。
夜《よる》狸と呼び交はして、自在の茶釜を飮み干したとか、木魚を返事の代りに叩いて夜《よ》を明かしたなどの噺《はなし》は、幾つも聞いたものでした。
狸の腹鼓は、月夜のものと謂ひますが、八名《やな》郡七鄕《ななさと》村の生田三省という人の實驗した話によると雨の降りさうな、眞つ暗な夜、破れた太鼓でも敲くやうな音を時々させたと謂ひます。最もこれは檻の中に飼つてある狸だつたさうですが、同じ男が、鳳來寺の山中で、雨夜に聞いた腹鼓も同じやうな音だつたさうです。
狸と貉《むじな》とは一寸見別《みわ》けがつかないさうですが、冬は跂《あし》を見れば直ぐわかると謂ひます。狸の跂にはアカギレ(皸傷)が一面に切れてゐると謂ひます。
[やぶちゃん注:「八名郡七鄕村」旧南設楽郡鳳来町、現在の愛知県新城市七郷一色附近。完全な山間部(グーグル・マップ・データ航空写真)。
「狸と貉」「一寸見別けがつかない」と言っているからには、この狢(むじな)というのはタヌキ(哺乳綱食肉目イヌ科タヌキ属タヌキ Nyctereutes procyonoides)と同義である。ムジナという標準和名の動物は存在しない。地方によっては、アナグマ(食肉目イタチ科アナグマ属ニホンアナグマ Meles anakum)やハクビシン(食肉目ジャコウネコ科パームシベット亜科ハクビシン属ハクビシン Paguma larvata:私は十中八九、近代の外来種と断じている)を「ムジナ」と呼んでいるケースもあるが(但し、彼らは素人でもタヌキとは容易に弁別出来る)、圧倒的に「ムジナ」は「タヌキ」である。ウィキの「たぬき・むじな事件」を見られれば判る通り、戦前までは、ムジナというタヌキに似た別種が存在すると猟師たちでさえ思っていた事実錯誤がある。
「跂《あし》」この漢字は「あし」とは読めない。音は「キ・ギ」で、訓は「つまだてる」「はう」。意味は「つまだつ・つまさきだつ・踵(かかと)を上げて遠くを見る」或いは「這う・這って歩く」の意味しかない。
なお、狸については、早川孝太郎の「猪・鹿・狸」の「狸」パート(全三十一章)が非常に詳しいので読まれたい。]
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