「曾呂利物語」正規表現版 第四 / 七 女の妄念怖ろしき事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。今回はここから。なお、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今回は、同書にあるものが、比較的、状態がよいので、それをトリミング補正した。]
七 女の妄念怖ろしき事
近江國(あふみのくに)、「さほ山」と云ふ處に、昔、ある何某(なにがし)はべりけるが、彼(か)の者、二人の妻を持てり。今に始めぬ事ながら、取りわき、本妻、妾(めかけ)を憎む事、限りなし。
ある時、妾、雪隱(せつちん)に居(ゐ)ければ、たけ一丈ばかりある大蛇(おほくちなは)、前に來たりければ、
「あら、怖ろしや、」
と喚(をめ)きしかば、人々、出合(であ)ひけるほどに、何處(いづく)ともなく、失せぬ。
其の後(のち)、本妻、產後に、殊の外、病(わづら)ひ、既に末期(まつご)に及ぶ時、男、折りしも、妾の處にゐ侍るが、此の由を聞き、急ぎ歸り、色々、養生すると雖も、叶ふべきとも覺えず、彼の女、云ふやう、
「我は、只今、身まかりぬ。此の年月(としつき)の怨み、生々世々(しやうじやうせゝ)、忘れ難く候。」
とて、男の飮ませける水を、顏に、
「ざつ」
と、吐き掛け、齒がみをして、終(つひ)に空しくなる。
片時(へんじ)も過ぎざるに、妾の所へ忍び、首を、ねぢ切り、消すが如くに、失せぬ。
さて、力(ちから)、及ばず、妾の葬禮を致しけり。
[やぶちゃん注:右上端のキャプションは、「あふみの国さほ山といふ所にての事」とある。]
其の時、件(くだん)の首を手に提げ、橋のありける所に立ちてゐたり。
本妻の乳母、これを見付け、
「あら、淺ましの御姿や、」
と云へば、消え失せぬ。
又、妾の子、十一歲と九歲とになる男の兒子(こご)、二人、有り。是れも、三日の内に、病み出(いだ)し、身まかりぬ。
男は、取り集めたる歎き。一方(かた)ならず、これも、程なく、亡せぬ。
總領、一人、殘りけるが、髻(もとゞり)を切り、高野山に、とり籠り、父母(ふぼ)の後世(ごせ)をぞ、弔ひける。
[やぶちゃん注:この首を下げた亡霊のシークエンスは、小泉八雲の名品‘OF A PROMISE BROKEN’を想起させる。私の拙訳も御笑覧あれ(孰れも私のサイト版)。田部隆次氏の訳「破約」もブログで電子化注してある。
「さほ山」中世中期から近世初期にかけて近江国坂田郡(現在の滋賀県彦根市)の佐和山に佐和山城があった(織豊政権下に於いて畿内と東国を結ぶ要衝として、軍事的にも政治的にも重要な拠点で、十六世紀の末には織田信長の配下の丹羽長秀、豊臣秀吉の奉行石田三成が居城とし、「関ヶ原合戦」の後は、井伊家が一時的に入城したことでも知られる。以上はウィキの「佐和山城」に拠った)が、サイト「オンライン三成会~石田三成のページ~」のこちらによれば、『佐和山は古くは佐保山と呼ばれ』たとある。
「片時(へんじ)も過ぎざるに」ごく僅かな時間も経たぬうちに。瞬く間に。
「取り集めたる歎き」岩波文庫の高田氏の注に、『一時にうち重なった悲しみ』とある。]
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