「曾呂利物語」正規表現版 卷二 三 蓮臺野にて化け物に逢ふ事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。本篇の挿絵は、状態がかなりいいので、その岩波文庫版からトリミング補正したものを用いた。]
三 蓮臺野にて化け物に逢ふ事
都、蓮臺野に、大いなる塚の中に、不思議なる塚、二つ、ありけり。
其の間、二町[やぶちゃん注:二百十八メートル。]ばかりありけるが、一つの塚は、夜な夜な、燃えけり。
今一つの塚は、夜每に如何にも凄(すさ)まじき聲して、
「こはや、こはや、」
と呼ばはる。
京中の貴賤、恐れ戰(おのゝ)き、夕(ゆふべ)になれば、其の邊(へん)に立ち寄る者、なし。
爰(こゝ)に、若き者、集(あつ)まりて、
「さても。誰(たれ)れか、今夜、蓮臺野に行きて、彼(か)の塚にて、呼ばはる聲の、不審を霽(は)らしなんや。」
と云ひければ、其の中(なか)に、力、勝れ、心、あくまで不敵なる男、進み出でて、云ひけるは、
「我こそ、行きて、見屆け侍らん。」
と、云ひも敢へず、座敷を立ち、蓮臺野にぞ、赴きける。
其の夜、折しも、殊に暗く、めざすとも知らぬに、雨さヘ降りて、もの凄まじとも云はん方、なし。
則ち、彼の塚に立寄りつつ、聞きけるに、言ひしに違はず、
「こはや、こはや、」
とぞ、呼ばはりける。
[やぶちゃん注:以上では右上端の「キャプションが半分切れてしまって見えないが、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の当該画像で、「れんだい野にて二ツつかばけ物の事」と読める。]
此の男、
「何者なれば、夜每に、斯くは、言ふぞ。」
と罵(のゝし)りければ、其の時、塚の内より、年頃四十餘りなる女の、色靑く、黃ばみたるが、立ち出でて、
「斯樣(かやう)に申す事、別の仔細にても、なし。あれに見えたる燃ゆる塚に、我を具(ぐ)して、行き給へ。」
と云ひければ、男、恐ろしくは思へども、思ひ設(まふ)けたる事なれば、易々(やすやす)と請け合ひて、彼の塚へと、伴ひ行きぬ。
さる程に、彼の者、塚の内に入るかと思へば、鳴動すること、稍(やゝ)久し。
暫くあれば、彼の女、鬼神(きじん)の姿と成りて、眼(まなこ)は、日月(じつげつ)の如くにて、光り輝き、身には、鱗、生(お)ひ、眞(まこと)に面(おもて)を向くべきやうも、なし。
さりければ、又、
「舊(もと)の塚に、連れて歸れ。」
と云ふ。
此の度(たび)は、氣も、魂(たましひ)も、失せけれども、兎角、遁(のが)るべき方(かた)なければ、舊の塚に、負ひて、歸る。
扠(さて)、彼(か)の塚へ入(い)り、少し、程經(ほどへ)て、又、元の姿に現はれて、
「さてさて、其方(そのはう)のやうなる、剛(がう)なる人こそ、おはせね。今は、望みを達し、滿足、身(み)に餘り候。」
とて、小さき袋に、何とは知らず、重き物を入れて、與(あた)ヘけるが、彼の男、鰐(わに)の口を遁(のが)れたる心地してぞ、急ぎ、家路に歸りける。
前の友達に逢ひ、
「爾々(しかじか)。」
と語りければ、各(おのおの)、手がらの程を感じける。
彼(か)の袋に入れたる物は、如何なる物にかありけん、知らまほし。
[やぶちゃん注:この手の短い怪談集では、こうした最後の最後まで引っ張っておいて、消化不良にさせることが、続いて話を読ませるナニクソ力(ぢから)を発揮させるから、上手い手である。「諸國百物語卷之一 七 蓮臺野二つ塚ばけ物の事」は転用。但し、袋の中身を最後に明らかにしている。やはり、それは、お読みになれば、誰もが、「つまならない」と感じられるであろう。寧ろ、ブラック・ボックスであることが、怪奇の余韻を燻ぶらせるとも言えるよい例なのである。
「蓮臺野」洛北の船岡山西麓から現在の天神川(旧称は紙屋川)に至る一帯にあった野。古来、東の「鳥辺野(鳥辺山)」、西の「化野(あだしの)」とともに葬地として知られた。後冷泉天皇・近衛天皇の火葬塚がある。この附近(グーグル・マップ・データ航空写真)
「思ひ設けたる」ある程度までの覚悟や、心構えはしていたことを指す。]
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