大手拓次譯詩集「異國の香」 お前はまだ知つてゐるか(リヒャルト・デーメル)
[やぶちゃん注:本訳詩集は、大手拓次の没後七年の昭和一六(一九三一)年三月、親友で版画家であった逸見享の編纂により龍星閣から限定版(六百冊)として刊行されたものである。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちらのものを視認して電子化する。本文は原本に忠実に起こす。例えば、本書では一行フレーズの途中に句読点が打たれた場合、その後にほぼ一字分の空けがあるが、再現した。]
お前はまだ知つてゐるか デーメル
まだお前は知つてゐるか、
ひるの數多い接吻のあとで
わたしが五月の夕暮のなかに寢てゐた時に
わたしの上にふるへてゐた水仙が
どんなに靑く、 どんなに白く、
お前のまへの足のさわさわとさはつたのを。
六月眞中の藍色の夜のなかに
わたし達が荒い抱擁につかれて
お前の亂れた髮を二人のまはりに絡(から)んだとき、
どんなにやはらかくむされるやうに
水仙の香が呼吸をしてゐたかを
お前はまだ知つてゐるか。
またお前の足にひらめいてゐる、
銀のやうなたそがれが輝くとき、
藍色の夜がきらめくとき、
水仙の香は流れてゐる。
まだお前は知つてゐるか、
どんなに暖かつたか、 どんなに白かつたか。
[やぶちゃん注:リヒャルト・フェードル・レオポルト・デーメル(Richard Fedor Leopold Dehmel 一八六三年~一九二〇年)はドイツの詩人。当該ウィキによれば、『プロイセン、ブランデンブルク州ダーメ=シュプレーヴァルト郡の小村に山林監視人を父として生まれる。教師と対立してギムナジウムを放校されたのち、ベルリンとライプツィヒの大学で自然科学、経済学、文学などを学ぶ。その後火災保険の職に就き、仕事の傍ら』、一八九一『年に処女詩集』「救済」(Erlösungen)を『刊行、これをきっかけに』、詩人デトレフ・フォン・リーリエンクローン(Detlev von Liliencron 一八四四年~一九〇九年)『との交際が始ま』った。一八九五から『文筆専業となり』、一八九六『年に代表的な詩集』「女と世界」( Weib und Welt )を『刊行』、一九〇一『年より』、『ハンブルク郊外のブランケネーゼに永住した。一九一四年から一九一六年まで『自ら志願して第一次世界大戦に従軍し』たが、『終戦後の』一九二〇『年に戦争時の傷の後遺症』(静脈炎)『が元で死去』したとあり、『その詩は自然主義的・社会的な傾向を持ちつつ、精神的・形而上学的なエロスによる救済願望に特徴付けられている。童話、劇作などもあり、晩年は第一次世界大戦の従軍記録も残した』。また、『彼の詩には、リヒャルト・シュトラウス、マックス・レーガー、アレクサンドル・ツェムリンスキー、アルノルト・シェーンベルク、アントン・ヴェーベルン、クルト・ヴァイルなど』、『多くの作曲家が曲を付けた。また、彼の詩を元にしたシェーンベルクの弦楽六重奏曲』「浄夜」作品四(Verklärte Nacht:一八九九年作曲)には特に有名である、とあった。シェーンベルクのそれは私の好きな曲である。
本篇は恐らく英訳或いはフランス語訳からの重訳で、私はドイツ語は判らないので原詩は探さなかった。]
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