西播怪談實記(恣意的正字化版) / 眞盛村山伏母が亡靈によつて狂し事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたいが、「河虎骨繼の妙藥を傳へし事」の冒頭注で述べた事情により、それ以降は所持する二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」北城信子氏校訂の本文を恣意的に概ね正字化(今までの私の本電子化での漢字表記も参考にした)して示すこととする。凡例は以前と同じで、ルビのあるものについては、読みが振れる、或いは、難読と判断したものに限って附す。逆に読みがないもので同様のものは、私が推定で《 》で歴史的仮名遣で添えた、歴史的仮名遣の誤りは同底本の底本である国立国会図書館本原本の誤りである。【 】は二行割注。]
○眞盛村(まさもりむら)山伏(やまぶし)母(はゝ)が亡靈によつて狂(くるい)し事
佐用郡眞盛村に大行院(だいぎやういん)といへる山伏、在(あり)。
母は遠州濱松の產なり。
享保年中の事なりしに、大行院、所用に付(つき)、作州へ行(ゆき)けるが、其跡にて、母、急病によつて、死去す。
近所に一家(いつけ)もなく、元來(ぐはんらい)、貧しきものなれば、村中、寄合(よりあひ)て、死骸を莚(むしろ)に包(つゝみ)て、後(うしろ)の山際に堀埋(ほりうづみ)けり[やぶちゃん注:「堀」はママ。]。
葬禮の儀式、引導の僧もなく、湯灌(ゆくはん)さへ、せざれば、聞(きく)人、あはれに思ひけり。
然所(しかるところ)に、山伏も、ほどなく歸宅して、急死の容須(ようす)[やぶちゃん注:ママ。]、幷(ならびに)、其儘、埋(うづみ)し事をきゝて、歎悲(なげきなか)しみけれども、再葬(さいそう)にも及《およば》ず、打過《うちすぎ》ける。
其比(そのころ)、佐用、笠屋喜右衞門といふもの、山脇(やまわき)村、慈山寺(じさん《じ》)へ【山脇と眞盛と、相隔《あひへだつ》る事、三町。】、張物細工に行《ゆき》て滯留(たいりう)し、玄關に臥居(ふしい)たりけるに、夜半の比、玄關の前より、
「申《まを》シ、申シ、」
といふ聲、鹽(しほ)から聲(こゑ)にて、
『いかなるものにや。』
と、戶の内より、
「誰(た)そ。」
と問(とへ)ば、
「生國(せうこく)は遠州濱松のものなるが、いかに、我子(わがこ)の留守なればとて、『ゆくはん』もせず、貧敷(まづしき)身なれば、『葬送の儀式』とは、おもはねども、せめて、御經(おんきやう)の一ツ卷(くわん)も、讀誦して下されかし。犬猫を埋(うづみ)たるやうなる事、近比、口惜(くちをし)。是《これ》を、お賴申(たのみ《まをし》)たく、參《まゐり》たり。」
といふ。
喜右衞門、住持の寢間へ行(ゆき)て、
「しかじか。」
の樣子を、いへば、
「不便(ふびん)なる事なり。」
とて、起出(をきいで)て見れば、山伏なり。
かゝる所へ、大勢の聲にて、どさめき[やぶちゃん注:「どよめき」の原本の誤記であろう。但し、ママ注記は底本にはない。]來(く)るを見れば、眞盛村のものにて、住持に、いふやう、
「大行院、今日(こんにち)、歸(かへり)しが、晚方(ばんかた)より、狂氣の如(ごとく)になり、口ばしる樣子、『母が死靈』と存(ぞんじ)、銘々(めいめい)、寄合(よりあい)、すくめ置(をき)候所、いつの間(ま)に、ぬけ出參(いでまいり)侯哉(や)。連歸(つれかへり)申べし。」
といふ。
住持、
「委細、聞屆(きゝゞけ)たり。能々(よくよく)、とぶらひ得(ゑ)さすべし。」
とて、歸(かへ)され、翌日、住持、彼(かの)埋(うづみ)し所へ行(ゆき)て、讀經し、念比(ねんごろ)に、とぶらひつゝ、卒塔婆(そとば)など立(たて)ければ、死靈(しりやう)も、坐(しづまり)て、其後(そのゝち)は、何の子細もなかりしとかや。
右、喜右衞門は、予が町内にて、殊に滯留の中の事なれば、直(じき)に見聞(けんぶん)せし次第を、物語の趣を書つたふもの也。
[やぶちゃん注:「佐用郡眞盛村」現在の兵庫県佐用郡佐用町真盛(グーグル・マップ・データ)。
「享保年中」一七一六年から一七三六年まで。
「作州」美作国(みまさかのくに)。現在の岡山県美作市・勝央町(しょうおうちょう)・奈義(なぎ)町・美咲(みさき)町・津山市・鏡野(かがみの)町・真庭(まにわ)市・新庄村(しんじょうそん)・西粟倉村(にしあわくらそん)・久米南(くめなん)町を含む岡山県北エリアに相当する。佐用郡の西の、この附近(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「山脇(やまわき)村」佐用町山脇。真盛地区の佐用川の対岸(左岸)。
「慈山寺」佐用川川畔に現存する。真言宗。]
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