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2023/03/15

早川孝太郞「三州橫山話」 種々な人の話 「湯に入らぬ男」・「馬に祟られた男」・「木の葉を喫ふ男」・「死ぬまで繩を綯つた男」 / 種々な人の話~了

 

[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。

 原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここから。]

 

 ○湯に入らぬ男  山口伊久と云ふ男も、魚を捕る事が好きで、夏は、鮎瀧へ行けば、如何なる日でも居ると云ひました。どんなに煆《や》けつくやうな炎天でも、ぢつと身動きもしないで、鮎を捕つてゐると云ひました。いつも股引に脚絆を肌から離さず、湯には一年も二年も入らぬと云ふ評判でした。それでゐて顏の色はいつも艶々してゐました。餘り家計が豐かでもないのに、百姓は嫌《いや》だと云つて、夏《なつ》川へ行くほかは、山へ行つて、木を伐つたりかわたけをとつたり、又はフシの實を探したりしてゐました。家の中は奇麗に掃除して塵一本もないやうにして、多くは炉に向つてぢつと坐つてゐました。

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「﹅」(以下の注の引用では「●」)。

「山口伊久」「やまぐちいきう」と読んでおく。

「鮎瀧」「早川孝太郎研究会」の早川氏の手書き地図の左下方の寒狹川に「鮎滝」の指示がある。グーグル・マップ・データでもポイントされてあり、サイド・パネルにも、多数の写真がある。この説明板の写真が一番読み易い。それによれば、ここでの独特の鮎の漁法(山口伊久の釣り方はこれではないようにも見えなくはないのだが)について、『この瀧の瀑布を二間』(約三・六四メートル)『余跳躍し遡上する鮎を、二間お竹竿の先に付けた笠網(被(かぶ)り笠)を両手で把持氏し、瀧壺の巌頭に待ちうけて、魚が空中い飛躍する一瞬にこれを掬(すく)い捉(と)る漁法(鮎汲みともいう)に因み、瀧川三之瀧(たきがわさんのたき)の愛称となったことによる』とあり、以下、非常に細かい江戸時代からの、この流域の開発や鮎漁の歴史等、非常によく書かれてある。この瀧遡上の写真は現地にある説明版の写真を写したものであるが、これは壮観である。網代網漁の鮎漁は見たことがあるが、如何にもいやらしく可哀そうで厭だが、ここのこの鮎の雄姿は、なかなか見られない。

かわたけ」担子菌門イボタケ目 マツバハリタケ科コウタケSarcodon aspratus の異名。「皮茸」「革茸」であろう。独特の芳香を持ち、傘上には大きな鱗片が並ぶ。傘裏には長さ五ミリ程度の針状突起が並んで、寧ろ裏側の方が革っぽい。傘の径はしばしば三十センチメートルに達する。乾燥と全体的に黒くなり、より皮革に似る。松茸より希少ともされ、美味である。

「フシの實」「フシ」は「五倍子」で、ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ヌルデ変種ヌルデ Rhus javanica var. chinensis の葉にヌルデシロアブラムシ(半翅(カメムシ)目腹吻亜目アブラムシ上科アブラムシ科ゴバイシアブラ属ヌルデシロアブラムシ Schlechtendalia chinensi)が寄生すると、大きな虫癭(ちゅうえい)を作る。虫癭には黒紫色のアブラムシが多数詰まっており、この虫癭はタンニンが豊富に含まれていうことから、古来、皮鞣(かわなめ)しに用いられたり、黒色染料の原料になる。染め物では空五倍子色(うつぶしいろ:灰色がかった淡い茶色。サイト「伝統色のいろは」こちらで色を確認出来る)と呼ばれる伝統的な色を作り出す。インキや白髪染の原料になるほか、かつては既婚女性及び十八歳以上の未婚女性の習慣であったお歯黒にも用いられた。また、生薬として「五倍子(ごばいし)」あるいは「付子(ふし)」と呼ばれ、腫れ物や歯痛などに用いられた。主に参照したウィキの「ヌルデ」によれば、『但し、猛毒のあるトリカブトの根「附子」も「付子」』『と書かれることがあるので、混同しないよう注意を要する』。さらに、『ヌルデの果実は塩麩子(えんぶし)といい、下痢や咳の薬として用いられた』とある。ここの「實」は前者の虫癭でとってよかろうが、後者の実際の実も採っていたではあろう。]

 

 ○馬に祟られた男  ハヤセの梅と云ふ男が、三月神樂の連中に混ざつて必ずやつて來ました。始終口から涎《よだれ》を流してゐる、五十格好の赤ら顏の男でした。馬が死んだ、赤馬が死んだぞと言ふと、自分の二の腕に喰ひついて、泣きながら、聲の主を追ひかけて行きました。その爲め二の腕はいつも赤く腫れ上つてゐました。遠江の者で實家は、中々の物持だと云ふう事ですが、馬の祟りで氣狂ひになつと云ふ事でした。其後死んだと云つて來なくなりましたが、近くの物持の家へ生まれ替つて來たとも云ひました。

[やぶちゃん注:面白がって誰彼が彼にそう呼び掛けてやらせたのだろうが、私はあたかもその場にいたかのようなフラッシュ・バックを起こし、「ハヤセの梅」が、自身の二の腕にガブッツと噛みつくモノクロームの映像が切なく見えてくるのである。]

 

 ○木の葉を喫ふ男  山口豐作と云ふ男は、三年前に亡くなりましたが、大變つましい男で、十年ほど前までは、石油を使ふのは勿體ないと云つて、昔のまゝの松を、明《あか》しに燃《もや》していました。煙草が好きで、ふだん口から煙管《きせる》を離しませんでしたが、煙草が官營になってからは、買つては喫《の》まないで、秋、霜が來てから、山へ行つて種々《いろいろ》な木や草の葉を採つて來て、煙草のやうに、繩にはさんで、天井に吊るして置いて、其れを刻んで喫んでゐました。

 山牛蒡《やまごばう》の葉や、虎杖《いたどり》の葉や、蕗の葉、ゴード茨《いばら》の葉などが喫めると言ひました。桑の魯桑《ろさう》と云ふ種類も色が奇麗だと云ひました、赤松の葉を煮出して、石の上で叩くと刻煙草《きざみたばこ》のやうになる事も其男から聞きました。

[やぶちゃん注:「三年前」大正一〇(一九二一)年十二月で、序文のクレジットは「大正十年八月」であるから、大正七年となろう。

「煙草が官營になってから」正式には明治三七(一九〇四)年七月に施行された「煙草専売法」以降となる。

「山牛蒡《やまごばう》」正式和名のそれは多年草の双子葉植物綱ナデシコ目ヤマゴボウ科ヤマゴボウ属ヤマゴボウ Phytolacca acinosa 或いはPhytolacca esculenta で、日本全土及び東アジアの温帯に分布し。人家付近に植生する。根は肥大し、円柱形。茎は太く、直立し、高さ一メートル内外となり、大型で楕円形の葉を互生する。六〜八月、茎の頂きに長さ五~十二センチの総状花序が直立する。花は白色で径約八ミリ、花弁はなく、萼片は五枚。果実は扁球形の液果で、黒紫色に熟し、果穂も直立する。果汁は紫色。有毒植物であるが、葉は食用となる。近縁のヨウシュヤマゴボウPhytolacca americanaは北米原産で、花穂や果穂は下垂する。市街地には、この方が普通に見られる。但し、「山牛蒡の漬物」として販売され、寿司屋等で呼ぶそれは、キク目キク科アザミ属モリアザミ(森薊)Cirsium dipsacolepis・オニアザミ(鬼薊)Cirsium borealinipponense・キク科ヤマボクチ属オヤマボクチ(雄山火口)Synurus pungens の根であることは、あまり知られているとは思われない。但し。ここでは「山牛蒡の葉」と言っているので、真正の前者ヤマゴボウであろう。

「虎杖《いたどり》」ナデシコ目タデ科ソバカズラ属イタドリ Fallopia japonica。私などは別名のスカンポ(酸模)の方が親しい。当該ウィキによれば、『春』『の紅紫色でタケノコ状の新芽・若い茎はやわらかく、「スカンポ」などと称して食用になり、根際から折り取って採取して皮をむき山菜と』し、また『やわらかい葉も食用にされ』る。『新芽は生でも食べられ、ぬらめきがあり珍味であると形容されている』。『かつては子供が外皮をむいて独特の酸味を楽しんだ』(私もよくやった)。『この酸味はシュウ酸で、多少のえぐみもあり、そのまま大量摂取すると』、『下痢をおこす原因になり、健康への悪影響も考えられ注意が必要となる』。『山菜として採った新芽は外皮を取り除いて生食するか、かるく湯通しして灰汁を抜き、酢の物、油炒めにして醤油・塩・胡椒で味付けしたり、短冊状に切って肉や魚などと一緒に煮付けにして食べられている』。『また、塩漬けにして保存し、食べるときに水にさらして塩抜きして食べられている』(これも美味い)とある。

「蕗」キク亜綱キク目キク科キク亜科フキ属フキ Petasites japonicus。私の建て替える前の裏庭には鬱蒼と茂り、よく近所のおばさんが貰いに来たものであった。

「ゴード茨《いばら》」不詳。識者の御教授を乞う。

「魯桑《ろさう》」バラ目クワ科クワ属マグワ Morus alba 品種ロソウMorus alba var. multicaulis(或いはMorus multicaulis)。中国浙江省の原産で、ログワ・マルグワ・モチグワなどとも呼ばれる。幹は根際で分枝し、叢生する。葉は長さ十五~三十センチメートルで、短楕円形で、浅い鈍鋸歯があり、上面は平滑で光沢がある。養蚕のため、本邦で栽培されるクワは、この種の園芸品種が多く、特に三倍体が多い。

「赤松」球果植物門マツ綱マツ目マツ科マツ属アカマツPinus densiflora。松脂があるから、香りはあるであろう。]

 

 ○死ぬまで繩を綯《な》つた男  私の祖父の弟で、遠江の堀の内に居た夏目周吉と云ふ男は五年前に亡なりましたが、若い時から律義者で、又大變な儉約家であつたさうです。

 若い頃、親類の家に厄介になちてゐる時など、盆と正月に、𢌞禮《くわいれい》に行くのに、家を出る時は着物に羽織を着て出掛けても、途中、村を出放《ではな》れて家のない所へ來ると、早速羽織を脫いで、棒切を拾つて其先に引掛《ひつか》けて、其をかついで行つて、人家のある處にさしかゝると、再び其羽織を着て步いたと云ひました。盆に𢌞禮する時などは、村はづれの村の入口迄、着物を脫いで、矢張棒の先に引掛けて、褌《ふんどし》一ツになつて步いて來たさうです。祖母がよく言つて笑ひましたが、七十幾歲になつて、私の家へ每年墓參りに來るのに、其男が二十《はたち》の年に、叔母から貰つた着物を着て來ると云ひました。

 此男が年を老《と》つて、死期が近づいた二三年は、ボケてしまつて、朝起きると、其日の天候を家の者に訊いて、三州へ墓參りに行かなくてはならないと、一人諾《うなづ》いては土閒へ降りて草鞋《わらぢ》を造るのが日課であつたさうですが、草鞋に緖を附けるのを忘れてしまつて、二尺ほどもある長い草鞋を幾つも作つたと言ひました。

 いよいよ臨終と云ふ日には、床の中で其日の天候を訊いて、手に唾をつけては、頻りに繩を綯ふ眞似をしてゐて、最後に息を引取る迄、其手附は休《や》めないで、安らかに息を引取つたと云ひます。

[やぶちゃん注:何か面白くも、ペーソスを滲ませたいい話である。芥川龍之介が読んだら、きっと褒めたに違いない。

「五年前」(大正五(一九一六)年頃。

「遠江の堀の内」現在の静岡県藤枝市堀之内。]

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